Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

昔の東北駆け足旅と句-05

前回更新11月18日(土)の当地気象予報は平地でも降雪の恐れでした。

【里にも雪】・・・11月18日15時撮影
今シーズン長期予報は暖冬、まさかねと思ってましたが本当に降りました。 降雪2-3cm程度で、道路は蓄熱してたのか積もりませんでした。 もうすぐ冬タイヤ履き替えです。

【八ヶ岳主系列の峰々】・・・11月19日10時撮影
翌11月19日(日)は快晴、降っては消えを数度繰り返してた八ヶ岳も真っ白になり、根雪になるでしょう。

【蓼科山(左)】・・・11月19日10時撮影
蓼科山も真っ白、その肩に当る白樺湖周辺も5-10cmの積雪があったと思います。 来月上旬開場を目指して人工降雪機フル稼働してた7か所ほどのスキー場には恵みの雪です。


さて話は変わって、今年6月に5泊6日の東北ドライブ旅行をしましたが、若い頃にも何度か旅をしており、最初は1965年夏高校地理部の研究旅行でした。 田沢湖線全通前で秋田側が生保内線、岩手側が橋場線の時代で、八郎潟干拓の様子などを見学しました。

【東北本線奥中山の三重連】・・・鉄道P誌より
東北本線青森電化の直前でしたが、青森深夜発上野行急行で平泉まで移動したので、貴重なこの風景を見逃したのは残念でした。 今回紹介する旅は1969年か1970年に勤労感謝の日の連休を使い、往復夜行現地1泊の駆け足旅行の思い出と、その経験の作句です。


旅の目的は『ストーブ列車を見たい』でした。 1968/1969年2月に受験で札幌へ行った際に足を延ばせば良かったのですが、その時間余裕が取れず、消滅する前にと考えたからで、まさか現代まで観光資源として生き残るとは夢にも思いませんでした。

ストーブ列車は混合列車編成の要因で生まれた物です。 国鉄貨物がトラック輸送に負けて廃止されるのは時間の問題で、早くしないと2度と見られないと思った訳です。 北海道は遠過ぎる、でも青森津軽鉄道にはまだ走ってる情報がTV番組か雑誌にありました。


★一筆書き学割切符
3泊4日で学割均一周遊券使うより安くしようと、遠距離ほど安くなる国鉄運賃の仕組を活用し、以下の様な片道切符を利用しました。 大宮-東京電環は乗り越し精算です。
東京電環⇒大曲⇒盛岡⇒大館⇒弘前⇒東能代⇒秋田⇒新津⇒大宮
つまり奥羽本線夜行急行で大曲へ、田沢湖線、花輪線、五能線(五所川原から津軽鉄道)を乗り鉄し、帰路は秋田から羽越本線上越線経由夜行急行を利用する一筆書き切符です。


★残る記憶と作句
田沢湖線は『日本一深い田沢湖はどんな処』の興味満足訪問で、初冬の東北の暗いイメージしか残ってません。 花輪線・五能線は乗り鉄完乗区間延長の単純な目的でした。

【過去記事より転載】
花輪線の旅客列車DC化は早く、多分キハ20系列車乗車だったと思います。 シナリーガイドK氏撮影の蒸機列車からの機関車駐泊所風景、見た事がある様なの程度です。 八王子に3線機関庫があり、八高線C58が屯してた時代なので珍しくなかったからだと思います。 


大館から奥羽本線で北へ、弘前周辺に泊まったのですが、川部か黒石か記憶が曖昧です。 駅から徒歩数分の1泊2食¥1,000程度の商人宿でした。 ハッキリ覚えてるのはその晩初雪が15cmほど降り積もり、駅まで足跡辿ってもシューズが濡れて冷たかった事です。 暖冬の昨今この時期の雪は珍しくなりましたが、1983年には八方で初滑りを楽しんでます。

【画像出典 風太郎のPな日々】・・・2022年11月作句
6時台の始発列車乗車で駅へ行くと、行商へ出る婆さんが大きな荷物を脇に置いて待ってました。 20歳の筆者には婆さんに見えましたが、50代の農家主婦ではなかったかと思います。 北国の暮らしは苦しく、男は出稼ぎに、女は行商で生活を支える時代でした。


当時のスナップネガは度重なる転居で紛失し、イメージが良く合う風太郎さん撮影写真をご了解をいただいて使用してます、改めて感謝です。

【画像出典 風太郎のPな日々】・・・2022年11月作句
駅務室に灯り点いてるのに誰も居ないと思ってたら、発車時間まで10分を切った頃、ホームから職員が白い息を吐きながら戻ってきました。 フードを外した帽子で宿直の駅長と解りました。 改札を通りホームに上がると、乗降客の為に1m幅で雪掻きしてありました。

【画像出典 風太郎のPな日々】・・・2022年11月作句
始発列車はDCでしたが、雪には吸音効果がある様で、エンジン音を轟かせる事なくホームに滑り込んで来た様な記憶があり作った句です。

【画像出典 風太郎のPな日々】・・・2022年11月作句
「しまく」は取り巻く・巻き付くを意味する今昔物語に出てくる古語です。 画像借用した風太郎さん写真(宗谷本線 抜海)のDCもそうですが、降雪の中を走行するDCの顔面は真っ白、雪が巻き付いてました。

【画像出典 風太郎のPな日々】・・・2022年11月作句
津軽鉄道でお目当てのストーブ列車に乗車しましたが、ストーブ周辺は意味不明の津軽弁を話す地元の方に占拠されており近付けませんでした。 TV普及から10年近く経過し、標準語を理解し意思疎通の問題はないのですが、理解できても話せなかった様です。

【過去記事より転載】
ストーブ列車で金木往復後五能線乗り鉄、8620牽引全線運転列車は日に1本で所要6時間、しかも板張り背もたれオハ61系でした。 時間が合わずDC列車5時間弱の旅で良かったのかもしれません。 日本海側座席だったので、深浦駅構内施設は見逃してます。


東能代夕方着、秋田から羽越本線上越線経由夜行急行に乗りました『羽黒』だったか『鳥海』だったか定かでありません。 往路夜行急行も『男鹿』だったか『津軽』だったか、国鉄が電化の進展に伴い頻繁にダイヤ改正と優等列車名変更を繰り返してた時代でした。

【画像出典 風太郎のPな日々】・・・2021年12月作句
この句だけ他の句の1年前の作句です。 朝は雪、移動中昼間は降り止んで夕方からまた雪、夜は風が出て吹雪になりました。 パシパシと窓を打つ音に目覚めたのは鶴岡-新津間だと思います。 曇った窓を拭うと雪の礫が打ち付けており、何も見えませんでした。


ではまた。

×

非ログインユーザーとして返信する