『路面電車』から連想するのは『併用軌道』『ポールまたはビューゲル集電』『単行運転』(連接車を含む)、『電気鉄道』から連想するのは『専用軌道』『パンタ集電』『統括制御多連運転』のキーワードになるのが一般的だと思います。 なお、この記事は北海道乗り鉄旅に出掛けるので予約更新です。 コメント頂戴しても帰... 続きをみる
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前回旅の2日目旭川泊まで、今回は残りの行程計画です。 3日目、4日目と進めるのが普通ですが、4日目宿泊地を札幌に絞り込み、先に帰りの5日目行程を決めました。 札幌の他に旭川と帯広ホテルも仮押さえしてましたが、乗り鉄稼ぎ不能や早朝発がネックで、具合が悪かったのです。 札幌から普通電車で岩見沢へ戻り、... 続きをみる
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閑散期限定の超お買い得切符で北海道訪問予定の話を5月末に公開しました。 ◆北海道乗り鉄急ぎ旅計画・・・5月28日更新 有効期間5日で出発日は9日間だけ、通常は行程を決めて宿を押さえて出発日を決めますが、今回は宿を重複予約して出発可能日を絞り込んでの見込み購入でした。 予定数販売で売り切れになるから... 続きをみる
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この処60年前1965年10月ダイヤ改正関連記事を続けて投稿してます。 当時筆者は高校1年で、限られた時間と軍資金がない中『何処へ旅しようか』と時刻表で模索してた頃で、列車名にも懐かしさを感じます。 この時登場した列車について雑感を記します。 【過去記事よりっ転載】 このダイヤ改正で、その後路線の... 続きをみる
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金曜日毎にCLK講座を更新してきましたが、工作に必要な視力回復が思わしくなく、北海道旅行準備の為に当分お休みします、次回はバラスト撒布の予定です。 数回に渡り1965年10月ダイヤ改正直前の全国の動きを紹介しました。 最後は私鉄と路面電車編です。 【過去記事から転載】 ★私鉄の動き 国鉄が新旧交替... 続きをみる
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1965年10月ダイヤ改正は、東北本線盛岡電化と鹿児島本線熊本電化に伴う変化、特に大型蒸機の大量余剰と廃車が南北で発生しましたが、他地方でも様々な動きがありました。 【過去記事より転載】 ★在来線の動き 新幹線開業1年を経て旅客輸送実績データが収集されました、東海道在来線昼間特急は廃止され新幹線に... 続きをみる
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私事で恐縮ですが、5月24日に東京で眼科手術を受けました、術後数日見え方が悪くなると言われてましたが、実際は1週間全くメールも読めない状態で、ブログ記事ストックが底を尽き掛けてます。 先日1965年10月ダイヤ改正直前の東北本線の様子を紹介しましたが、同様な事が全国各地でも起きてました。 今回は西... 続きをみる
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1960年代は道路整備が進み自動車交通が大きく発展した時代で、地方私鉄の多くがバス路線に客を奪われ、トラックに貨物輸送を奪われて姿を消しました。 そんな地方私鉄の一つ、九州の片隅で姿を消した大分交通宇佐参宮線を紹介します。 宇佐参宮線は宇佐神宮参拝客輸送と、地域特産品出荷路線として大正5年に開業し... 続きをみる
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JRのお得な割引切符を昨日購入しました。 『大人の休日倶楽部パス』です。 年3回JRが比較的空いてる時期を選んで発売される割引切符です。 昨年の北海道遠征前に入会しました。 昨年旅行行程往路は旭川便フライトで1週間レンタカー道内周遊、JR利用割引切符には縁がなさそうに見えますが、終盤の旭川から仙台... 続きをみる
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首都圏は1964年の東京オリンピック開催と東海道新幹線開業で建設ラッシュのピークを越えましたが、関西圏は1970年万博開催へ向けて、これからピークを迎える時期でした。 都市部への人口集中は関西圏でも発生しており、ラッシュ時混雑緩和が喫緊の課題でした。 大阪市は6路線89kmの都市高速鉄道網を建設中... 続きをみる
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前回まで3回に渡り国鉄型機械式気動車の歴史を追ってきました。 国鉄(鉄道省)が気動車開発に期待した小単位・多回数・高速運転は、地方私鉄に於いても全く同じで、運転経費が嵩む蒸機運転合理化策として、地方私鉄各社でも採用する動きが広がりました。 特にキハ39500(41000)が成功を収めるとその動きが... 続きをみる
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鉄道発祥以来長らく動力源だった蒸気機関は、低い熱変換効率と高い運転コストを克服する技術開発がないまま捨て去られて50年経過しました。 現在の鉄道事業者が使用する動力源はほぼ100%電気(モーター駆動)と化石燃料(ディーゼル機関駆動)になってます。 【JR北海道DC特急『北斗』】・・・2024年5月... 続きをみる
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若い頃の旅で何故か四国は足を踏み入れませんでした、費用を安く上げるには夜行列車利用が一番でしたが、四国には使える夜行列車がなかったからです。 東京から見ると地の果てに感じた四国最深部でも新線建設が進んでました。 【中村線部分開業発車式 窪川駅】・・・1963.12.18 土讃線終着駅窪川は、とりあ... 続きをみる
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筆者は1965年に高校進学して一人旅が許される様になりました、蒸機全廃の10年前です。 時間的に間に合っても出会う機会がなかった型式が2形式ありました、C51とC59です。 C59は九州と呉線でしか見られませんでしたし、C51は1966年に全廃されました。 残り僅かになったC51は他線区で余剰にな... 続きをみる
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昨年末の1年の振り返りに、NHK全国俳句大会入選についてこんな事を書きました。 『結社では満3年で同人に昇格し、俳句作家として認められた形になってましたが、公的な勲章は何もなかったからです。 今年も応募し昨年同等かそれ以上を狙ってます。 結果通知は1月末、公開可能は3月末です、大口叩いて落選では大... 続きをみる
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前回の続編、今回は関西私鉄の話題からです。 【前号より転載】 近鉄特急網拡大のニュースです。 発車式に花を添える着飾った女性達は多分近鉄社員なのでしょう。 現在なら社外から雇わないと問題化する処です。 由運行開始翌日の吉野駅、終端駅だと解ります。 近鉄特急乗車経験は京都-近鉄奈良間だけですが、西大... 続きをみる
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60年前を知る人は高齢者のみになりました、古い時代の春の話題です。 こんな事があったんだとご覧ください。 【鉄道P誌1965年5月号表紙】 表紙は西武鉄道700系、東村山付近の撮影です。 当時都内から日帰りハイキングコースの定番は、丹沢・奥多摩・奥高尾(陣馬山・景信山)そして西武鉄道で行く正丸峠・... 続きをみる
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1月31日更新の以下記事で、釜石市内で撮影された廃止直前製鉄所鉱石輸送専用線写真と、シーナリーガイドK氏の陸中大橋駅訪問記が繋がった話を紹介しました。 ◆釜石製鉄所専用線の話 釜石製鉄所専用線レポート執筆者は、新聞記事で1965年3月に廃止される事を知り、釜石を訪問してます。 以下がその新聞記事の... 続きをみる
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結局2月はレイアウト建設進展なしに終わりました、西日本編に続き東日本編です。 ブルトレ全盛時代の牽引機EF65登場です、1965年デビューだったんですね。 岐阜は名古屋に近い為かブルトレ特急は全列車通過でした。 『県庁所在地駅なにに』と、地元から要望があったのでしょう、1964年10月ダイヤ改正で... 続きをみる
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昭和40年代 前半(1965-1969年)は古き良き日本が残る最後の時代でした。 新幹線開業・オリンピック開催を終えて経済発展一段落、日本人の価値観や生活を大きく変える出来事が多発した『激動の40年代』前の、『曲がり角手前の小休止』時代だった様に思えます。 昭和40年代に起きた主な出来事を拾ってみ... 続きをみる
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本題に入る前にご報告、2月10日に拙ブログ開設以来累計250万アクセスに到達しました。 9年1ヶ月、1490回更新での250万アクセス到達になりました。 【2025.02.10 18:00】 これも一重に読者の皆様のご愛読の賜物と深く感謝申し上げます。 あくまで通過点に過ぎませんが、次の節目300... 続きをみる
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『満鉄』特急『あじあ』号計画が持ち上がったのは満州国の建国翌年1933年でした。 日本が満州の直接経営を始め、その背骨に当たる大連-新京間高速列車の要望実現が背景です。 当時の最速列車急行『はと』は、701.4kmのこの区間を10時間30分で結んでました。 ここに130km/h運転を目標にした世界... 続きをみる
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旧南満州鉄道通称『満鉄』は、1906年から終戦までの39年間存在した日本の鉄道です。 従って乗った記憶、見た記憶のある人は85歳以上です。 生まれる前の時代なので特に興味はなく、戦前日本が経営してた現在の中国東北部を走る標準軌の鉄道で、流線形蒸機牽引の看板列車特急『あじあ』号が走ってた程度の通り一... 続きをみる
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前回鉄道P誌掲載写真が釜石の国鉄準急『陸中』と製鉄所鉱石運搬専用線ナロー蒸機並走と解った話と、TMS掲載のホッパーのある陸中大橋駅の記事が、繋がった話を書きました。 鉄道P誌には記事内容と全く関係ない写真掲載が良くあり、これもその例です。 対岸が霞んで見えない長い鉄橋を渡る小編成の写真です、相当な... 続きをみる
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昨年9月鉄道P誌に掲載された1枚の写真が気になり、次の記事を書きました。 ★1枚の写真から・・・2024.09.11更新 【同記事より転載】 結局場所は釜石、被写体は釜石線準急『陸中』と、並行して走る釜石製鉄所鉱山専用線と解ったのですが、廃止間際のこの鉱山専用線訪問レポートがあったので紹介します。... 続きをみる
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◆集中アクセス余話 臨時増刊号でお知らせした集中アクセスのその後です。 1月17日は最終的に3,372まで伸びました、18日、19日はご覧の通りで3日間で6,900です。 通常より4,500~4,700多く、余波が続いてる様です。 週間と言っても更新5日目で、平穏だった最初の2日は120~130で... 続きをみる
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1964年10月新幹線開業を間近にした5月~9月には鉄道に係わる様々な動きがありました。 新時代の鉄道誕生と共に、まだ蒸機現役であり新旧混在、新旧交代の時代でもありました。 全国からそれらの動きを拾ってみます。 ★新幹線開業・ダイヤ改正 9月一杯は東海道で活躍する151系も10月1日からは博多乗り... 続きをみる
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久し振りにKATOホームページ覗いたら面白い新製品がありました、現代型住宅各種です。 新型JR車両が次々発売され、平成後期が時代設定のレイアウトに似合う民家がなかったので良い狙い処です。 KATOストラクチャは伝統的に完成品販売が多く、これもそうです。 【通販サイトより】 令和に新築された住宅とし... 続きをみる
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前回の続編です。 『分解作業』で目的地別に分類し仕訳線に留置された貨車を引き出し、出発する貨物列車編成に仕上げるのが『組成作業』です。 旅客列車の編成表と同じ様に貨物列車にも列車毎に貨車の編成順序が決められており、ダイヤ改正の都度改定される『貨車集結方』に全貨物列車の編成順序が記されてます。 新鶴... 続きをみる
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『ツル操』とは現在の新川崎駅近くにあった新鶴見操車場の事です。 国鉄関係者が岡操(岡山)、広操(広島)の様に貨物列車始発駅終着駅の略称として使ってた物です。 操車場で編成されたローカル貨物列車が各駅で行う貨車入換作業については、TMS掲載摂津鉄道S氏記事を基にした以下2記事を2023年9月に公開し... 続きをみる
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前回は1961年10月サン・ロク・トウダイヤ大改正前で紙数が尽きました。 大改正で登場した新特急の記念切符は作られなかったので、最初は地味~な記念切符の話題です。 ★1961年12月 関西本線DC化 1961年12月、関西本線大阪-奈良間にDC列車運転開始し記念切符が販売さててます。 国鉄が競合... 続きをみる
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昔も今も変わらず鉄道事業者は記念切符を良く販売します。 『開業』『開通』『▲周年』『電化』『新型車登場』理由は何でも良いのです。 記念切符とイベント開催で利用客増えれば増収ですし、記念切符を記念品として購入して貰えば丸儲けだからです。 最近では真岡鉄道や大井川鉄道など記念切符販売を収益の柱にしてる... 続きをみる
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上半期/下半期で別ける予定が、5月で終わってしまいました。 6月以降のまとめです。 【物置を作るより転載】・・・6月19日 小型水田3枚でも稲刈りすればハザ掛けして天日干しですし、様々な用途に使う稲わら収納場所も必要です。 何より日々使う農機具や蓑や菅笠などを収納する物置を作りました。 簡単にチョ... 続きをみる
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2024年は一向に進まない延伸線建設を進める決意で臨みました、健康寿命には限りがあり、完成が期待できなくなってしまうからです。 とは言え最初に大きな目標をブチ上げると、できなかった際無様ですし、視力問題の不安もありました。 週3回更新を工作記で埋めるのは無理で、厳寒期でもありシリーズ物から始め、工... 続きをみる
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東海道新幹線開業準備で忙殺されてた1963年の国鉄内部では、新幹線開業後の車両運用について意見が割れてました。 余剰になる151系の交直両用改造案と、特急網整備の為新製案の間で結論が出ませんでした。 【ウィキペディアより】 最終的に新製になった訳ですが、開発着手が遅れ60Hz交直両用481系は19... 続きをみる
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ボリュームの大きい記事が続いたので、今回は前回C59特集に関連する小話です。 前回のC59特集で『1962年5月に広島まで電化され、瀬野八越えD52補機の役割も終わりました』と書きましたが、筆者の思い込みで間違ってました。 広島電化で登場した151系特急『富士』や153系急行『宮島』の瀬野八越え補... 続きをみる
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鉄道P誌1964年9月号からC59特集を紹介します。 【鉄道P誌 1964年9月号表紙】 本来ならC59/C60特集として特急ヘッドマークを付けたC59が表紙を飾る処でしたが、C56にその座を譲ってます。 【1963年版 蒸気機関車スタイルブックより】 国産初の特急牽引蒸機C51の後継として192... 続きをみる
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今回は鉄道P誌1964年9月号からC56特集です。 【鉄道P誌 1964年9月号表紙】 国鉄動力近代化計画がスタートし、近い将来蒸機全廃が確定した1960年代初頭から、鉄道P誌は蒸機特集を始めました。 早く消える形式からで、C51から始まりました。 関連形式一緒にしたシリーズでしたが、企画者は全体... 続きをみる
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諏訪市博物館で非電化時代の上諏訪駅再現ジオラマを見て、考証してみることにしました。 筆者上諏訪駅初訪問は1965年夏、松本電化完成直後でした。 夕刻上諏訪着、その日の夜行鈍行で新宿へ帰る際に立ち寄ったのです。 まさか第二の故郷になるとはね。 【前号より転載】 松本電化後も上諏訪機関区は1972年3... 続きをみる
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12月7日(土)夜の県内ニュースで、諏訪博物館で鉄道模型運転会が開催され、親子連れで賑わったと報じられ、翌日まで開催との事なので覗きに行きました。 10年以上前からこの時期に諏訪博物館で開催されてたのは知ってましたが、これまで機会がなかったのです。 ニュース映像では16番組立式レイアウトを疾走する... 続きをみる
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セピア色に変色した時刻と格闘し、58年前研究旅行記憶を繋ぐ作業の最終回です。 急行『八甲田』に乗車して熟睡し、次の記憶は翌朝平泉駅です。 平泉は通過駅で、どこで乗り換えたか全く不明でした。 手元にあった1964年9月号を使って推察してました。 【1964年9月号復刻版より】 一番ありそうな行程は『... 続きをみる
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前回は8月5日大曲で商人宿に宿泊まででした、駅前から線路沿いの道を5分ほど歩いた場所の木造2階の古い建物でした。 この時の記憶はありませんが、後年の記憶を合わせると、客室は和室で襖で仕切っただけ、夕食は18時半、朝食は7時に宿泊客全員が1階広間でとる方式でした。 『明日始発で発つので朝食はおにぎり... 続きをみる
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この時刻表を使い計画した研究旅行の話です。 前年研究旅行は山陰でした、梅雨末期集中豪雨で山陰本線が被災し、復旧見通し立たず中止になり残念な思いをしました。 都立高校部活で女性部員も参加するので、無理もできず費用削減の貧乏旅になります。 山陰研究旅行計画は不明ですが、多分山陰周遊券で急行『出雲』で出... 続きをみる
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ノートPC代替は帰省した息子のお陰で無事完了しました。 技術的トラブルに遭遇せずに済みましたが、慣れの問題で記事作成に手間取ってます。 OSがWIN11になりスマホ標準で作られたアプリの使い勝手や、メーカー変更でキーボード配列が変わったり、左右クリックボタンのないパネル等、使い慣れるまでしばらく時... 続きをみる
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鉄道P誌1964年5月号からは、新幹線や新線建設、及びアナザーストーリーをお伝えしてます。 5-6月号掲載の『新緑』、『水辺』と題した特集写真を紹介します。 【鉄道P誌1964年5月号表紙】 表紙は伊豆急乗り入れの国鉄113系と伊豆急車輛の、伊豆多賀駅での列車交換風景です。 新緑の最初は箱根から、... 続きをみる
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めっきり寒くなってきました、秋の工作最適シーズンが過ぎつつありますが、どうにもなりません。 鉄道昔話と雑感です。 【鉄道P誌 1964年3月号表紙】 ◆ED75 表紙の交流電機ED75の牽引列車乗車経験があるハズですが、電化完成路線から消えた蒸機に興味はあっても、新鋭電機に興味がなかったので馴染み... 続きをみる
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全国鉄道ニュース最終回は甲信越・東北編です、北海道情報はありません。 甲信越を少しはみ出ますが静岡県東部を含め、まずはそこから時計回りに東北へ進めます。 東海道五十三次の富士川手前に吉原宿がありました。 東海道本線は敷設時に吉原宿を通らず南に4-5km離れた寒村鈴川に駅が作られました。 それでは不... 続きをみる
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このシリーズは私鉄ニュースを先に、国鉄を後にしてきたので、今回もそれに倣い、最初は沿線で生まれ育った東急からです。 現在の『二子玉川駅』当時の『二子玉川園駅』(2000年改称)で捉えられた東急車輛製ステンレスカーのルーツ5200系です。 東急車輛がライセンス供与を受けたステンレス車両製造に当り、5... 続きをみる
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続いて中京編です、記事を書き溜めて工作再開とは想う物の、書き溜める事ができず、また俳句も忙しくままなりません。 する事がないより忙しいのは良い事ですが。 最初は私鉄情報からです。 近鉄最盛期の路線網は広く、桑名と揖斐川流域を結ぶ養老線も近鉄支線の一つでしたが、貨物輸送減と並行する道路整備による利用... 続きをみる
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前回の九州編に続き西から東へ、今回は関西編です、まずは山陽本線全線電化を間近に控えた広島からです。 写真と説明文を切り抜いて貼り合わせる作業は結構手間が掛かりますが、知らなかった事や興味を惹いて調べたり、中々面白いものです。 東海道本線電化最後の区間が米原-京都だった様に、山陽本線電化も東西から進... 続きをみる
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新幹線開業60周年で1964年の話題が続いてます。 同年鉄道P誌複数号の各地の話題を地域毎にまとめて紹介します。 レイアウト製作記ブログでなく、鉄ネタ昔話ブログと化してますが、まっ良いでしょう。 九州玄関口の博多駅が手狭になり、新駅が前年末に移転開業してます。 新博多駅は市街中心地にあった旧駅から... 続きをみる
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1900年代初頭、明治末から大正にかけて、官営化前の鉄道会社路線から外れた町の有力者や鉱山経営者が出資し、建設許認可を取り易かった軽便鉄道が全国各地に建設されました。 歩行や馬車に頼ってた移動運搬手段の機械化は、新時代を実感する象徴でした。 【写真展案内葉書】・・・2018年10月 それから半世紀... 続きをみる
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新幹線や大都市圏新線の建設や開業が相次ぎ、新造船で青函航路輸送力を増強した1964年、これらの華やかで今に語り継がれるニュースの影には、忘れ去られたアナザ・ストーリーがありました。 国鉄浜松工場が新幹線保守点検拠点に生まれ変わる為に、蒸機点検修繕の役目を終え、最後の修繕蒸機を送り出したニュースです... 続きをみる
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1960年代は経済発展に伴い本州-北海道間の貨客輸送量も伸び続けてました。 その需要増加に対処するには、増便か連絡線の大型化しかなく、津軽丸級が新造されました。 津軽丸に続き、八甲田丸、大雪丸、羊蹄丸、摩周丸、十和田丸、松前丸の同型船が次々就航し、旧型船を置き替えて輸送力が増強されました。 青函連... 続きをみる
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前回1964年春、新幹線開業を控えた各地の様子を紹介しましたが、当時の日本は開発ラッシュで、土建国家の様相を呈してました。 鐡道新線建設も大都市圏で盛んでした。 ★根岸線 最初は首都圏の根岸線です。 【桜木町全景】 京浜東北線を桜木町から南へ延伸する路線ですが、建設する横浜南部丘陵地帯まで『京浜』... 続きをみる
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レイアウト製作判断要素『場所』『資金』『工作力』『時間』の4条件の中で、賃貸居住の若い世代の鉄道模型ファンは『場所』と『資金』で断念するしかない方も多いと思います。 前回記事でその2条件をクリアしました、しかし高齢者特有の問題があります。 2.資金(補足) 酒井5トンの製作記事を拝見した方から前... 続きをみる
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TMS掲載の祖師谷軽便鉄道に触発されHOナローに興味を持ち、小型レイアウトを、作るとしたらの前提で設計しました。 【設計記事より転載】 設計が完了し780mmx1240mmのスペースで1/87森林鉄道の世界を再現可能と解り、益々興味が深くなりました。 延伸線建設中断でGoかNo Goか2週間考えま... 続きをみる
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前回は作品グラフ紹介から窓枠製作技法に話が飛び、紙数を使い果たしてしまいました。 今回はその他の掲載記事からです。 【前号より転載】 名古屋駅JRホームで名鉄8000系を見た経験を前回書きましたが、名鉄は全く馴染みがなく疑問が湧きました。 名古屋を中心に豊橋-岐阜間が本線で国鉄と競合してた程度の知... 続きをみる
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この号からは『新しいローカル線』と『神岡線をレイアウトする』を前借してます。 【TMS1967年2月号表紙】 表紙は名鉄8000系DC車両です。 何時か定かでありませんが、大阪からの帰路名古屋駅で特急『しなの』の入線待ちの際、同ホーム反対番線から発車するのを見ました。 デビュー時は国鉄内準急でした... 続きをみる
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前回摂津鉄道作者S氏の神岡線訪問記『新しいローカル線』を紹介しました。 この訪問記にはおまけとして、神岡線風景を取り入れたレイアウト設計案が掲載されてました。 S氏は摂津鉄道に辿り着く前、山陰本線峡谷風景再現レイアウト設計を行ってました。 S氏は神岡線のシーナリーと新しい感覚のストラクチャを取り入... 続きをみる
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★ナローは人気薄? HOn2 1/2レイアウト設計はストラクチャとシーナリー設計が未完ですが、構想を練るのに時間が必要なので、まとまったら改めてとします。 ナローは人気薄で、前回の記事タイトルは『TOMIX/KATOの転車台制御は間違ってる!』にしてたら、アクセス倍でしたね。 70年前言えば読者の... 続きをみる
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前回に続きTMS1966年12月号からの紹介です。 【1966年12月号表紙】 表紙は前月号から連載されてたナローの魅力HO2 1/2祖師谷軽便鉄道です.。 同じく前号から連載の『キユ25の作り方』後半も当号です。 1.作品グラフ 1-1. 9mmゲージ米国型蒸機 最初は日本訪問中の米国人鉄道模型... 続きをみる
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この号からは下記記事を既に紹介しており、残り記事の紹介です。 ◆線路の立体交差 ◆エコーヒルライン 【TMS 1966年11月号表紙】 表紙写真はエコーヒルラインです。 高校生が三代目レイアウトとして屋根裏部屋に製作した米国スタイルの鉄道でした。 記事中に出てきた米国型蒸機の牽く列車なら似合うので... 続きをみる
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今回は前回沼尻鉄道を訪問取材した作者のナローレイアウト祖師谷軽便鉄道の紹介です。 作者は最初に何分の一スケールで製作し、何mm軌間レールを走らせるか悩んでます。 当時ナローの世界の趨勢は米国ではHOn3、915mmの1/87で10.5mm軌間レール、欧州ではHOn2 1/2、762mmの1/87で... 続きをみる
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国鉄1067mm(3フィート6インチ)軌間も世界標準から見ればナローなのですが、ここではメインラインより狭い軌間の鉄道をナローと呼ぶ事にします。 国内には2/3フィート軌間もありましたが、762mm(2フィート6インチ)軌間が圧倒的に多数を占めてました。 交通事情の悪い地方中心に軽便鉄道として多数... 続きをみる
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KATO11月発売予定品にSL冬の湿原号がありました。 北海道が厳冬期を迎える時期の発売は頷ける気がしますが、最近のKATOの一粒で何度も美味しい商法の一つです。 【KATO公式HPより】 一時は人気だったSLイベント列車も、蒸機維持管理が難しくなり、筆者が知るだけでも「SL銀河」「SL北琵琶湖」... 続きをみる
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前回建コレとTOMIXストラクチャについて10年前と価格比較し、一部の不人気製品の処分販売を除き、ほぼ倍になってると解りました。 今回はKATOとGMを見ていきます。 3.KATO KATOは鉄道関連施設ストラクチャは充実してますが、その他は建コレに遠く及びません。 KATOストラクチャは寸法精度... 続きをみる
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先日KATO D51を例に過去10年余の車両価格動向調査し、物価上昇を上回る38%アップと解りました。 今回はストラクチャの価格動向です。 1.トミーテック建コレ 建コレは市販ストラクチャで最も種類が豊富で、当社従来線ストラクチャ最多数派の50数棟採用してます。 比較的安価で外観もそこそこ、ウェザ... 続きをみる
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前回レイアウトと言えば16番だった60年前の状況と、未完に終わった筆者建設計画の話をしました。 また北海道の自然風景に特化した小型レイアウト再評価の話と作者後書きを最後に紹介しました。 実はこの後書きには続きがありました、以下の通りです。 【作者後書きより】 16番レイアウトでここまで潔く捨てた作... 続きをみる
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年初から毎水曜日にレイアウト建設工作記発表を続けてきましたが、梅雨末期から屋根裏での工作不能になり、しばらく工事・工作を中断するしかなくなりました。 苦しい時の古い鉄道雑誌頼りは拙ブログ定番で、前回に続いて同号掲載記事を紹介します。 【前号より転載】 4.高校生製作のレイアウト 最初は筆者1学年上... 続きをみる
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この号には前回更新『レイアウトに合わせた機関車製作』記事も掲載されてます。 更に以前公開した下記記事もこの号からです。 ◆港の貨物引込線 先につまみ食いした訳で、著作権期間満了で内容紹介できるTMSが残り少なくなったので、喰い伸ばし策を実行してるのです。 【TMS1966年 10月号表紙】 表紙写... 続きをみる
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レイアウト製作には『経済力』『時間』『技術・工作力』に加え『情熱』が必須条件である事は今も昔も変わりません。 60年前に比較すると『経済力』は数分の一に軽減し手が届く範囲になりましたし、部材が潤沢に揃い『技術・工作力』の壁も低くなってます。 しかし趣味人生にの一大事業である事に変わりはなく、先人達... 続きをみる
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思い立ってブログ開設したのは2015年末でした。 ガイダンスに従いブログ名やHNを決め、IN/PUTランキング参加のバナーやブログパーツを貼ってPVにも参加しました。 開設数週間、日に100件アクセスに到達し、ならばPV1,000ポイントと思いきや700ポイント前後で???となり、ブログ村事務局に... 続きをみる