湘南顔80系写真集
皆さんご存じの湘南顔80系走行写真を集めてみました、写真集としてご覧ください。
★湘南顔80系西へ
交流電化開始前、直流電化が進んだ地域に80系電車が次々と進出しました。
東京都心お茶の水駅付近です、関西向湘南電車とあるので、東海道本線全線電化完成前から関西地区で運転開始された様です。 未電化区間は蒸機牽引回送だったのでしょう。
東京発熱海行普通列車運用の80系です。 毎年夏に逗子・葉山へ海水浴へ行くのが家族恒例行事で、その際横浜駅や大船駅で湘南電車に遭遇しました。 帰りには横浜崎陽軒のシュウマイ(¥100)を買うのも恒例で、瓢箪型醤油入れをコレクションしてました。
仕様変更は室内設計に留まらず、正面窓もHゴム支持に変わってます。
沼津までだった湘南電車は、静岡へ、浜松へと職場を広げていきました。 静岡か浜松始発下り普通電車が、豊橋から豊川まで飯田線に乗り入れ運転してた様です。 飯田線内の撮影で、編成は3M3Tの6連です。
80系は優等列車にも使われてました、鉄道管理局によりヘッドマークデザインがち 左準急『東海』に対し右準急『比叡』は正面Hゴム窓でスマートになってます。
東海道全線電化完成後の山科付近です。 日が短い時期、7:00過ぎの朝日が山の端から昇る時間帯の逆光撮影です。 拙ブログ紹介写真に山科付近撮影が多く、京阪地区在住の撮り鉄マニアにとって山科は、近場の田園風景撮影ポイントだったと思われます。
関西快速に運用された80系はヘッドマークを付けてた様です。 初期の快速塗装クリーム色と小豆色には見えません。 2M3Tの5連で、当時の快速は短編成でした。
電化区間が西へ伸びるに従い、80系の活動範囲は西へ伸び、姫路・岡山・宇野線・赤穂線へと広がっていきました。 姫路電化直前の試運転列車です。
これも山陽本線乗り入れ試運転です。 真新しく背が高いコンクリート柱には架線が張られただけで、信号線はまだ移設前です。
姫路市発野洲行の普通列車、後年一般的になった都市圏貫通運転列車の運行が、この時代から始まってたと解ります。 クハ2両、モハ3両、サロ1両の6連でしょうか。
★湘南顔80系北へ
1962年登場の111系/113系に都市近郊普通列車主役の座を明け渡し、80系は上越へ、東北へと流れていきました。
優等列車は専用設計された153系/165系に、普通列車は乗降性に優れた111系/113系/115系の挟み撃ちに遭った形で、一世を風靡した80系は大都市近郊から遠ざけられた感があります。 上越線では水上までの普通列車が電車化され80系が働いてました。
関東平野が尽き谷沿いに上越国境へ利根川を遡ります。 東北本線上野-黒磯間や日光線にも80系の姿がありました。
写真中央横ラインがループ線から出た本線で、左端上段が湯檜曽駅です。 この区間を走る80系は珍しく、石打か越後湯沢始発の臨時準急スキー列車ではないかと思います。
★湘南顔80系ローカル線へ
大幹線から追われた80系は、旧型木造国電が健在だったローカル線では新型電車でした。
80系で身延線初の準急『富士川』が登場してます、80系最短編成、クハ・モハ・モハ・クハの4連です。 ヘッドマーク台座付けたままで出張中です。
身延線と同じ境遇だった飯田線にも80系準急『いな』が登場しました。 運転区間は豊橋-上諏訪間でした。 4連二等車なしはサロ併結でモハ1両必要になり6連になるからです。
日に2本運転の準急『いな』が中部天竜駅で列車交換してる姿です。 ヘッドマーク付けてなくても、この時代の飯田線80系は準急だけ、飯田線は旧型国電の溜まり場でした。
これにはビックリしました、80系電車がDD51重連に牽かれて非電化区間を走ってます。 電車トレーラー化の客車的運用です。 2ヶ月後の新幹線開業後特急『つばめ』と『はと』が下関-博多間をトレーラーとして電機牽引で走りましたが、非電化区間とはね。
当時時刻表の内房線準急は全てDCで『白浜』はありません。 列車名一覧にもなく、夏季運転臨時準急なのでしょう。 DC車両不足なら客車を使ったでしょう、もしや盆休み臨時急行運転で客車も出払って窮余の一策?、DL次位車両は何?、謎だらけの列車です。
ではまた。































