Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

運材列車がゆく

信州に漸く秋が訪れ、屋根裏工作環境が改善しましたが一向にその気が起きません。 こんな時は無理せずに流されるのが一番です。


昨年の厳冬期に自室で作った物があります。
◆運材貨物列車を仕立てる
余剰になったトラ55000を使って運材列車を仕立てたのですが、完成後一度も走らせないまま1年半経過してしまいました。 ネタ不足の折なので、物語仕立てにしました。


◆中山平晩秋のある日

晩秋の早朝、午前6時過ぎだと言うのに中山平製材所事務所には灯が灯ってます。 この日は出荷日で発送手続をしてるからです。

8時過ぎ始業、中山平から発送する丸太材をフォークリフトでトラックに積み込み、中山平との間を数往復します。

中山平では野積上屋前に停められた無蓋貨車2両に着き込みます。 貨物ホームがありますが、積載貨物により積み込み場所は様々なのです。

生野から運材貨物列車発車、水田を見下ろす築堤の上を進みます、無蓋貨車10両に緩急車を加えた11両編成です。

小川鉄橋を超えて石垣と擁壁間の雛壇状堤の上を通過中です。  牽引機は長野式集煙装置付D51です。

晩秋の水田の中を進み、中山平が近付き間もなく減速が始まります。

速度を落として中山平構内進入、駅員が立ってる貨物ホーム先に停車します。 当駅で貨物扱いします。

蒸機後部連結器を外し入換作業、駅員の誘導でD51は本線引上げです。 本線引上げは閉塞区間に進入占用するので、閉塞作業を行ったと思われますが、詳しくは解りません。


D51本線引上げ後、貨物側線ポイントを切り替えて後退、荷積みの終わった無蓋貨車2両を連結します。 再び本線引上げし、ポイントを切り替えて後退し元位置に戻ります。

これで中山平到着時11両編成だった列車は13両編成になり、本線有効長ほぼ一杯になりました。 出発信号機が進行表示に切り替われば、汽笛を鳴らして発車です。


ではまた。

1枚の写真から

古い鉄道P誌に掲載された1枚の写真に目が止った、キハ58と小型蒸機が並走してる写真である。 撮影地、日時情報がなく余計気になった。

複線でなく並走区間である、左のキハ58は準急ヘッドマークを掲示しており、1961年から1968年のローカル線と解る。 当時のキハ58は腰から下は土汚れグラデーション、何故かオデコ部分も汚れて走ってた。


右は手前で離れてゆく支線の様で、蒸機は短い無蓋貨車編成を牽いてる。 その右は市街地と線路に挟まれた直線道路で舗装路に見える。  軽三輪トラックとバイクが走る如何にも昭和の風景は何処なのだろう。

悪い目で写真の出典を探すと、遠く離れた78ページ片隅にあった、1965年の釜石だった。 左は国鉄釜石線、右は製鉄所鉱石輸送専用線で、自動車交通発展による道路拡幅の障害になると、撮影年に全廃された。 準急『陸中』は宮古/釜石と首都圏を結ぶ列車だった。

グリーン車含む9連の盛岡・釜石/宮古行急行『陸中』として上野を発車、常磐線経由で4-9号車が盛岡行、1-3号車が花巻で分割し、花巻-宮古間は準急として運転された。

当時の時刻表によると、上り『陸中』は花巻で単純な分割併合だが、下り『陸中』は花巻で分割の際、盛岡始発の準急『はやちね2号』併合になってる。 『はやちね2号』はグリーン車併結なので最低3両編成、釜石線、山田線を6(7)連準急が走ってた事になる。


軽三輪トラックと蒸機の走る間もなく廃止される鉱石輸送専用線が古臭い物なら、舗装道路と三陸沿岸の片田舎から首都圏直通優等列車は新しい時代の息吹、全ての物が急速に変化し、良し悪しを考える間もなく押し流された時代の空気感を良く表した1枚である。


ではまた。

祖師谷軽便鉄道

先日の『ナローの魅力』、沼尻鉄道訪問記と、HOn2 1/2レイアウト祖師谷軽便鉄道の紹介でしたが、レイアウトの詳細がなく、何処かで見たハズと探したら見つかりました。

前記記事から離れた号にレイアウト紹介記事がありました。 沼尻鉄道に倣った鉱山鉄道で、一般的な石灰石鉱山とし、運材列車が走ってもおかしくない樹木が生い茂った山の中の小悦道の想定にしてます。

線路配置は欲張らず、エンドレスと終端駅から双方向アクセスの連絡線が基本で、終端駅の客扱いは1面1線の短いホームだけ、転車台を組み込んだ機廻し線と2線の石灰石ホッパー積込線の必要最小限にしてます。

運転パターンは祖師谷駅を発車してエンドレス周回後、砧駅を通って逆向きで祖師谷駅に戻り、貨車入換や機関車付け替えを駅構内で楽しむ物です。 600x900mmはNでR270を一杯に敷いて、直線部が300mm、2両分しか取れない狭小スペースですが、1/87ナローではR150程度の急カーブが可能で、これだけの事ができてしまうのは何とも驚きです。

作者はHOn2 1/2は曲線半径、勾配、線路の占めるスペースにおいて16番よりはるかに有利と書いてますが、正にその通りです。 上写真のスペース感は、20m車を走らせる前提のNよりむしろ勝ってます。

駅構内以外の3個のポイントをトンネル内に設置して、野中ポイントの不自然さを避けたと書かれてます。 このレイアウトのシーナリー製作には新しい試みがあります。 標準技法の木枠組、金網、新聞紙、プラスター仕上げでも、井桁ボール紙ホチキス止め、新聞紙貼り重ねでもなく、今日のスタイロフォームに繋がる発泡スチロールを利用したのです。

完成時の強度保持骨格になる木枠組は従来と同じです。 木枠組間に発泡スチロールを砕き、細部は半田ゴテで溶かして修正し押し込みます。

詰め込んだ発泡スチロールの塊をゴム系接着剤で木枠組に接着します。 詰め込んだ発泡スチロール塊の間から木枠組が見えてるので、砕いた際の小片を隙間に詰め込みます。

この状態では直線部や平面部が多く地形として不自然で、紙粘土の喰い付きも悪いので、半田ゴテで小片を溶かして周囲と溶接すると共に、凸凹を作ります。 発泡スチロールは半田ゴテで溶かすと収縮率の違いで周辺にシワができるので、そのまま残します。 表面を紙粘土で仕上げる際に、発泡スチロールのシワや凸凹を利用して岩肌表現してます。

見事に詰まってます、従来技法より大幅に軽量化されてます。

植樹前の山肌です、植樹の際は発泡スチロールを溶かす接着剤は使用できないので、注意が必要です。 このレイアウトでは発泡スチロールを別の場所でも使ってます。

ご覧の様に築堤法面の土台にも使ってます。 発泡スチロールを半田ゴテ加工する際に発生するガスに注意と書かれてます。 健康面かと思いきや悪臭、いずれにしろ要換気です。

表面を半田ゴテで凸凹にした後、紙粘土で仕上げた築堤です。

発泡スチロールと紙粘土で作った地面の上には、『草と樹木とその材料』のA氏が試してなかった素材で草を表現してます、スチールウールです。 細い金属繊維が絡んだのを摘まみ取り、伸ばしてフワッとブロックにならない様に重ねて接着剤で貼り付けてます。

スチールウールは錆びるので、油性塗料で塗装する必要があり、塗料が乾かない内に着色済オガ屑を撒けば更に実感的になると書いてます。 スチールウールは16番には目が細か過ぎるかもしれないと書かれてますので、Nには良さそうで試してみようと考えてます。

樹木は発泡スチロールを擦り下ろした物で10本ほど製作し、その労力に挫折したそうです。 座布団に入れるスポンジクズを発見して量産可能になったそうで、スポンジクズは形状も目の粗さも様々、粗い物が適してる様で、フォーリッジクラスターの用法です。

1本立ち樹木には幹や枝がありますが、生い茂った森林にはありません。

ストラクチャの大物は石灰石ホッパーと木橋ですが、ホッパーは改めて製作記を別稿で書かれるという事で写真のみです。 木橋は長さ240mm、当時のN用直線レールを、橋梁上は枕木間隔狭くて良いのでそのまま使い、桐板で歩み板をマッチ棒で橋脚を作ってます。

この小さな小屋は保線小屋の様です、人間の大きさ変わらないのに、車両が小さくなると他も小振りになる様です。

ここにも『小川のある風景』がありました、摂津鉄道登場前です。 小川は木橋を潜って流れの向きを変え、レイアウト右端まで続いてます。

こんな風景見せられると筆者もナローの魅力に嵌りそうです。


ではまた。