Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

路面電車と電気鉄道の違い?

『路面電車』から連想するのは『併用軌道』『ポールまたはビューゲル集電』『単行運転』(連接車を含む)、『電気鉄道』から連想するのは『専用軌道』『パンタ集電』『統括制御多連運転』のキーワードになるのが一般的だと思います。


なお、この記事は北海道乗り鉄旅に出掛けるので予約更新です。 コメント頂戴しても帰宅後まで返信できませんので、予めご承知置きください。

【函館市電】・・・2016年5月

上記路面電車キーワードを備えた路線は大都市から消えても、全国各地に存続してます。

【ウィキペディアより】

現在東京都内で路面電車と位置付けされてるのは2路線、その一つが東急世田谷線です。 元は渋谷-二子玉川間玉川線支線で、三軒茶屋路上に複線分岐ポイントがあり、二子玉川行と下高井戸行が渋谷駅から発着してました。 玉川線が交通渋滞解消の為に地下化された新玉川線完成で廃止され、三軒茶屋-下高井戸間が取り残されました。 全線専用軌道だったので生き残り、現在の車両はパンタ集電連接車に変更され、路面電車らしが薄れました。

【ウィキペディアより】

もう一つは都電荒川線、路線の85%が専用軌道で生き残った唯一の都電です。 つまり主に専用軌道で部分併用軌道の路面電車で、京福電鉄嵐山線も同様の事例です。 そもそもこの区分は部外者の勝手な分類に過ぎず、境界は実に曖昧です。 歴史を辿れば両者に境界線は存在しなかったと解ります。 江ノ電を例に見ていきます。

【過去記事より転載】

江ノ電は路面電車に近い存在として認知されてますが、その昔は現在より路面電車色の強い路線でした。 ホール集電の単行電車、専用軌道区間を持つ路面電車、東急世田谷線と同じカテゴリーでした。 62年前にパンタ集電への切り替えに着手してますが、数年後廃止された東急玉川線車両譲渡を受けてます。

【ウィキペディアより】

現在は全車パンタ集電の連接車で、統括制御2連(外見は4連)運転です。 時代が下がると共に路面電車から電気鉄道の要素を強めてます。 自動車交通が発達した1970年代に利用客減で廃止論議もありましたが、テレビドラマ舞台やNHK新日本紀行で取り上げられて注目を集めてV字回復、最近もメディアに頻繁に登場し、小田急傘下で経営は安定してます。

【江ノ電路線図】

しかし全線10kmに15駅の短い駅間距離、曲線半径28mの急カーブ、18km/hの低表定速度、民家軒先掠める沿線風景は昔ながらで路面電車的です。

【京都市内を走る京阪大湯線】・・・1955.3

もう1例は京阪大津線です、京都市内を走るポール集電単行電車は路面電車キーワード備えており、京都市電と勘違いするほどです。

【ウィキペディアより】

前写真42年後の京都市内駅、駅舎のない典型的な路面電車停留所で、ここだけ見れば江ノ電よりはるかに路面電車的です。

【追分付近を走る京阪大津線】・・・1960.8

ところが京都市街を出外れると登山電車に早変わり、逢坂山の急カーブ・急勾配を越えて、大津側に下ります。 少し小型私鉄車両の2連急行電車、ポール集電除けば電気鉄道です。 この先大津市内の急坂併用軌道を走って浜大津に到着します。 現在は4連電車が走り京都市内は地下化されて地下鉄東西線へ直通運転されてます。


この様に路面電車と電気鉄道の中間的存在があり境界が曖昧模糊としてますが、両者を区分する方法が一つだけあります。 路面電車(軌道線)と電気鉄道(鉄道線)では関連法令が異なり、それに基づき許認可されるのです。

【ウィキペディアより】

意外な事に江ノ電は『鉄道線』、大津線は『軌道線』の認可を受けてます。 鉄道線は路上を走れず、軌道線は最大車長30mで共に法令違反ですが、個別申請で認可を受けてます。 この法令の違いを逆手に取った電鉄会社があります、阪神電鉄です。


阪神は1905年開業の大手私鉄として古い電鉄会社です。 鉄道敷設認可を受ける際、鉄道線では官営鉄道(国鉄)と競合し認可が受け難い為、路線一部が併用軌道の軌道線として認可取得しました。 併用軌道が何mで何処だったか不明ですが認可通り建設し、後に併用軌道を廃止して鉄道線になってます、『作っちまえばこちらの物』だったのでしょう。

阪神電鉄開業時120年前の車両です。 木製ダブルルーフ車体のポール集電単行電車、どう見ても路面電車です。 チンスポイラー状の物は併用軌道用排障器でしょうか。 『待たずに乗れる阪神電車』のキャッチコピーで阪神間を往復してました。

時代は不明ですが、単行運転輸送力が限界に達し、統括制御可能な301形投入で多連運転を開始しました。 301形は排障器付きですが後継311形にはないので、この間に併用軌道を廃止して鉄道繊になったと思われます。


以上の様に路面電車と電気鉄道には法令上の区分しかなく、見た目で判断できないとご理解いただけたと思います。 江ノ電が電気鉄道で、地下鉄乗入大津線が路面電車とはね。


ではまた。

北海道乗り鉄旅計画は難産の末に完成 後編

前回旅の2日目旭川泊まで、今回は残りの行程計画です。 3日目、4日目と進めるのが普通ですが、4日目宿泊地を札幌に絞り込み、先に帰りの5日目行程を決めました。

札幌の他に旭川と帯広ホテルも仮押さえしてましたが、乗り鉄稼ぎ不能や早朝発がネックで、具合が悪かったのです。 札幌から普通電車で岩見沢へ戻り、その昔重量級運炭列車が行き交った室蘭本線岩見沢-苫小牧間DC普通列車に乗車します、非電化複線路線です。

苫小牧5分接続で一気に自宅へ向かいます、最速『はやぶさ』は上野-新函館北斗間4時間弱ですが、盛岡以遠停車駅が多いタイプで4時間半近い所要時間です。 苫小牧から茅野まで10時間40分の長旅ですが、PCで写真整理してればアッと言う間でしょう。 只々疲れ寝てるかもです。 残り3回の座席指定を使い、帰路の座席確保しました。 これも先に5日目の行程決めた理由で、満席はなくても希望座席確保が難しくなるからです。

さて旅の目的である現存路線の沿線風景を楽しむのが3日目、4日目の行程で、3日目宿泊地は釧路です。 JR北海道は民営化当初から赤字続きの民間企業で、野放図な新線建設を進めた国鉄のツケを背負わされた結果でした。 次々と赤字路線を廃止し路線距離を半分以下に減らしました。 それでも追い付かず、2016年に『自社単独で維持する事が困難な路線』を公表し、地元自治体の理解、または資金援助を伴う新たな経営形態移行を求めてます。

【JR北海道HPより】・・・2018年頃の路線図

上図はその時の関連資料の様で、不採算路線廃止しないと会社が潰れますの赤字宣伝広告と言えます。 残存路線と営業係数が記入されており、一番収支が良い札幌近郊でも営業係数107の赤字です。 その後現在までに上記路線図から毎年の様に路線廃止が続きました。

【ウェキペディアより】

無人駅の廃止で人件費は減りませんが、設備維持管理費不要になるので、最近10年間に数十駅が廃止され、前編で紹介した宗谷本線抜海駅と同時に、日本最東端の駅として知られてた東根室駅も廃止され、根室が日本最東端になりました。 JR北海道の涙ぐましい経営努力で北海道旧国鉄線はやせ細りつつあり、新幹線札幌開業で更に大きく姿を変えるでしょう。

従って現存路線は函館本線・室蘭本線・石北本線・宗谷本線・釧網本線・富良野線全線と、引き裂かれた根室本線(滝川-富良野と新得-根室)及び日高本線・留萌本線・札沼線の一部しか残ってません。 完乗は無理でも残る日程で乗車率を高めたいと思います。

3日目行程を反時計回りで検討した処、非常に接続が良いと解りました。 旭川から特急2本で釧路へ、運転本数が少ない花咲線に接続し、根室15:58着です。 6時半からのホテル無料朝食は無理ですが、前夜コンビニで朝食仕入れて置けば済む話です。

根室10分で折り返し、まだ明るい19時前に釧路着です。 時間利用効率が素晴らしく良く、これで決まりと思ったのですが、翌日の釧網本線・石北本線接続が非常に悪く網走で2時間待ちです。 富良野線と根室本線富良野-滝川間を諦めなくてはなりません。

【ウィキペディアより】

乗り鉄待ち2時間なら観光はどうかと、もう一度行きたい美幌峠訪問可能性を調べました。 調べてビックリ、美幌駅・川湯駅と美幌峠間に運行されてた路線バスが全廃されてました。 美幌峠は車か観光バスでしか行けない観光地になってました。 航空便+レンタカーが旅のスタイルとして定着し、鉄道利用観光客が激減した結果ですが、寂しい現実です。


そこで旭川から時計回り行程検討にスイッチしましたが、旭川朝一番発石北本線の網走釧網本線接続はやはり2時間待ちなので、富良野方面を先に片付ける行程を検討しました。

旭川・富良野・滝川は三角形頂点関係にあり、時計回り・反時計回り双方検討で、時計回りルートを選択しました。 ホテルで朝食取って旭川7:39発富良野線乗車、富良野で乗継26分あれば新得方面廃線跡確認には十分でしょう。 滝川行普通列車で滝川10:25着です。

【函館本線滝川駅旭川方面時刻表】

滝川⇒旭川は特急なら途中深川停車だけですが、可能ならローカル列車と思ったら6/7時台に3本の次は5時間後の12時台、14時台、16時台と続きます。 24本/日の特急に対して普通列車は9本/日運転されてますが、完全な通学高校生と病院通い高齢者向けダイヤです。

滝川10:52発『ライラック11号』で旭川11:25着、石北本線発車まで1時間少々あります。 丁度昼飯時なので『旭川ラーメン』を味わう事にします。

【旭川ラーメングルメマップより】

荷物引いて歩くのシンドイと思ったら、駅前イオンモールにもあると解りました。

『旭川ラーメンの特徴』で検索すると、醬油ベースが基本で豚骨x魚介スープもあるそうな、シンプル具材が特徴ともあり、ザ・旭川ラーメンはない様です。

網走接続が良いのはこれだけ、石北本線特急『オホーツク』がありますが、釧網本線釧路行への接続が悪く使えません。 旭川から釧路に行くには札幌・南千歳経由の方が便利なので当然と言えば当然です。 それに普通列車車両の特別快速の方が面白そうです。


釧網本線全線運転列車は4本/日です。 所要4時間近い長い路線なので、網走・釧路双方から2-3本の区間列車が運転されてます。 釧路湿原の入口塘路に到着する頃には日が暮れてますが仕方ありません。 釧路-塘路間は2011年にノロッコ号に乗車してますから。 20:31着でホテルチェックインしたら空いてるのは呑屋だけ、晩飯の算段が必要です・

4日目行程はまず花咲線、釧路8:21発で根室に向かいます、鈍行DC2時間半の旅です。

【厚岸湿原】・・・2024年5月

崖上から展望した雨の湿原を、今回は車窓から眺める訳です。 湿原通過中列車は観光徐行運転してました。 車内放送あるのでしょうか。

根室19分で折り返し、ドライブ旅行で最東端東根室駅訪問経験ありますが、根室駅は半世紀以上振りです。 納沙布岬まで未舗装岬巡りの道をバスに長時間揺られたのは記憶のはるか彼方の遠い昔になりました。 花咲線を快速で折り返し後、釧路接続の『おおぞら8号』で札幌へ向かいます。 初乗車石勝線南千歳までは十分明るいでしょう。


以上で北海道乗り鉄急ぎ旅全行程確定です。 日高本線・留萌本線・札沼線残存区間除いてJR北海道路線完乗(岩見沢-滝川間函館本線も未乗車)です。 計画して有効期間5日は絶妙な設定だと感じます。 4日では里帰り程度しか利用できず魅力薄で、5日ならエリア絞った小旅行に最適です。 もう1日6日なら全路線完乗可能でしたが、意味あるかどうかです。


ではまた。

北海道乗り鉄旅計画は難産の末に完成 前編

閑散期限定の超お買い得切符で北海道訪問予定の話を5月末に公開しました。

◆北海道乗り鉄急ぎ旅計画・・・5月28日更新

有効期間5日で出発日は9日間だけ、通常は行程を決めて宿を押さえて出発日を決めますが、今回は宿を重複予約して出発可能日を絞り込んでの見込み購入でした。 予定数販売で売り切れになるからで、つまり行程はポイントだけ抑えて後で立案する形になりました。

【大人の休日倶楽部 北海道・東北パス】

これがその割引切符で、星印6個は最大座席指定6回を使い切ってる事を意味します。 往復各1日で正味3日、その中にフェリーで礼文島へ渡る計画組み込むのが最大のポイントになりました。 まずは稚内へ行く必要があり、東京-稚内のルート探索をしました。

現在は新幹線と在来線特急3本乗継で14時間少々の所要時間、東京を朝出ればその日の内に稚内へ到着できます。 60年前に比べれば半分程度になったのではないかと、1966年3月号時刻表で調べました、当時の感覚で稚内は『地の果ての遠い場所』だったからです。

正に60年前の最速列車所要時間の半分でした。 『はつかり』『はくつる』利用で28時間、急行乗継で30時間以上、『ゆうづる』利用だと33時間、夜行列車2回で翌々日早朝着です。 ❶/❷が北海道内DC急行なのに対し、❸は客車急行で足が遅いのが原因です。


北海道内を函館起点で見ると、60年前稚内まで12時間半の所要時間が10時間に2割短縮してます。 また連絡船青森到着までの3時間50分で、ほぼ東京に到着する大幅な所要時間短縮で、新幹線tと青函トンネルの威力の大きさに驚かされるばかりです。

数年前のダイヤ改正で『あずさ』は、新宿終着でなく東京終着列車本数が増加し、新幹線へ乗継が便利になりました。 茅野7:00発『あずさ4号』は東京着9:26『はやぶさ11号』発車10分前ですが乗継はまず無理で、リスクが高過ぎます。 


『あずさ』は、東京駅3階高架1/2番線到着で、長いエスカレーターで地階コンコースへ下り丸ノ内側から八重洲側へ人混みを縫って東京駅を横断し、20数番線新幹線改札から乗車する余裕不足なのです、大きな荷物持っての移動なので猶更です。 昼食を含め長旅のお供調達に魅力的なお店が東京駅地階には数多くあり、乗換は30分以上の余裕が必要です。

ギリギリ間に合わず次の新幹線を待つのは芸がないので、茅野発7:39『あずさ8号』で東京へ移動します、冨士見・韮崎に停車する『あずさ4号』より快適です。

接続するのは東京発10:45『はやぶさ17号』、乗換時間44分で丁度良く、多少の遅延は吸収できます。 新函館北斗着15:01、ここから北海道内旅開始です。

確定した初日行程指定券です、信州の田舎から函館まで7時間半弱、初日に何処まで行くかを検討しました。 稚内や網走到達は無理で、候補は旭川か釧路です。

旭川方面は新幹線に接続する『北斗15号』で札幌、『ライラック39号』乗継で旭川着20:25です、翌日の網走方面・稚内方面の足掛かりとして悪くありません。

『北斗15号』が南千歳で石勝線釧路方面に接続すれば、初日釧路入りの手もあると調べたら接続が悪く、1時間40分ロスで釧路着も深夜です。 『あずさ』『はやぶさ』を遅くできる接続で、初乗り石勝線の夜間通過は味気ないので釧路入り案はボツにしました。

従って新函館北斗から『北斗15号』で札幌へ向かう訳ですが、旅の目的の一つ『山線乗車』の可能性がないかと長万部駅時刻表を調べました。 かつて複数の急行列車と特急『北海』が走った函館本線山線は優等列車消滅だけではなく、長万部-倶知安間は普通列車4本/日だけの廃止直前ローカル線に落ちぶれてました。 16:39発小樽行に着目しました。

『北斗15号』は長万部16:28着、小樽行普通列車に接続しており、2時間の大回りで山線乗車を初日に片付ける事ができます。 6月後半の北海道は7時半近くまで明るいく、余市辺りまで車窓風景を楽しめるでしょう。 小樽から電化区間で各駅停車電車に接続です。

そこで往路3枚目の座席指定は『北斗15号』新函館北斗⇒札幌を取りました。 長万部下車で山線乗車予定ですが、土砂災害不通バス代行や運転休止の不測の事態発生時は札幌へ直行する備えです。 これで札幌-稚内間夜行列車『利尻』が存在してれば最高なのですが。

と言うのは今回の礼文島訪問は通算6回目で、トレッキング(体力的に多分無理)や滞在が目的ではないので、稚内港6:30発便で香深へ渡り、島内観光バスを利用、稚内港16:15着便で戻る弾丸ツアーが効率的なのです。 新婚旅行当時は4時間弱の乗船時間で1日2便でしたが、大型高速船就航で2時間弱に海の旅も所要時間が半減してます。

北海道内経路探索すると、鉄道利用の他に航空便利用・高速バス利用経路が頻繁に登場し、札幌-稚内間の高速バスを調べました。 フリーパス適用外追加出費になりますが『利尻』利用客ニーズは今もあるハズと思ったらビンゴ、札幌⇒稚内夜行高速バスがありました。


『利尻』より大幅に所要時間短縮で運行されてます。 横3列シートの豪華バスでフェリーターミナルまで運んでくれます。 運賃¥6,200ですが、ホテル料金考えれば御の字です。 道央高速道旭川手前で旅の初日が終わり、2日目に入ります、夜行便は便利です。

【礼文島内観光バスパンフ】

礼文島ではフェリー到着に合わせて島内観光バスが運行されており、路線バス利用よりはるかに効率的なので利用します。 以前訪問した上記写真の澄海岬では強風を越えた台風並み暴風で、キャップを風にさらわれました。

【北端スコトン岬】・・・2012年撮影

島の最北端スコトン岬や桃岩展望台などを効率良く回るので、『滞在し自分の足で回らないと真の良さは解らない』主義を返上し、今回はミーハー観光客に徹します。 野次馬的興味があるのが最後に行く『北のカナリア広場』で、同名映画の撮影地です。

【島の分校セット】・・・ウィキペディアより

2012年訪問時は映画制作中で、稚内駅正面にポスターが貼ってあり、島南端知床バス停からトレッキングルート林道を少し登った林道脇の草原にポツンと建ってるだけでした。 翌年訪問時は観光施設として整備中で、舗装道路工事中でした。 抜けれると進んだら抜けられず、高低差20mほどの急斜面を草の根頼りに下りました、今どうなってるかの興味です。

【現在の利尻・礼文航路就航船】・・・2012年撮影

観光バスツアーは12時半に香深へ戻り、出航まで2時間近くあります。 馴染みの漁師宿の海の幸諦めた替わりに『ウニ丼』昼食して、公共温泉施設で汗を流すのも良さそうです。 さて、2日目の宿泊地は旭川の予定です。

稚内フェリーターミナル16:15着、特急『宗谷』発車まで1時間半近くあります。 稚内次駅は市街地外れの南稚内、かつて稚内機関区があり天北線分岐駅でした。 宗谷本線は南稚内から勾配を駆け上がり海を臨む丘の上に出ます、利尻島が見える撮影ポイントです。

【抜海駅1988年】・・・出展:風太郎のPな日々

この丘の上に今年3月廃駅になった抜海があります、駅前は何もありませんが2011年訪問時は駅から下った海沿いに集落があり、セイコーマートで買物しました。 タクシー往復可能な時間余裕ありますが1万円前後の出費、天候と懐具合次第になるでしょう。 2014年礼文島訪問時に旭川航空便で入り、宗谷本線乗車してるので19時以降の車窓風景は諦めます。


旭川には21時半到着宿泊、2日目までの行程確定です。 3日目宿泊地は釧路、4日目は旭川/札幌/帯広の何処かで、行動予定検討中です、次回に続きます。


ではまた。