Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

県道駐車帯の製作 その2

前回の続きです。 三角棒と角棒組合せで石垣角度出しする方法が予想以上に上手くいき、5枚中駐車帯3面の目途が立ちました。 今回は洞門出口県道の石垣作りからです。 ここの県道は2.5%勾配で、石垣上辺が傾いた石垣なので、面倒な工作になりそうです。

石垣作りの前に洞門出口に40mm長ガードレールを取り付けます。

反対側120mm長2本のガードレール取付は足の本数が多くて苦戦したので、ここは4本で難なくと思いきや穴位置を合わせられない、嫌になりながら何とか取付完了しました。

石垣基準のベースに県道トンネル&洞門ユニットベースを使いますが、左の様に紙粘土が盛ってあり石垣全長を石垣ベースに使えません、削り落とし右の様にしました、 紙粘土除去すると角材の洞門基礎がモロ見えになるので、コンクリート基礎に見える様にします。

洞門出口県道石垣長は47-48mm必要と解りました。 石垣材を貼るベースを45mm幅で製作する事にしました。

➊45mm長の5mm三角棒と2mm角棒の組み合わせ部材を作ります。
➋ベース0.5tプラ板に2mm余裕残し貼り、奥に45mm長5mm角棒を隙間なく貼りました。
➌5mm角棒に5mm角棒10mm長と30mm長を、5mm間隔を空けて2本重ねて接着します。
➍2段重ね5mm角棒の上前面に2mm角棒45mm長を接着しました。

駐車帯ベース厚11.6mmに対し、製作した三角棒裏は12.0nn高で0.4mm高く、わずかに急角度になりますが、許容誤差範囲なので駐車帯と同じ様に斜材を貼りました。 2段目5mm角棒ない部分には角穴を空けてます。

反対側斜材と2mm角棒が接する部分にもタミヤセメントを流し接着してます。 ここから先の工程は現物合わせの連続になります。

現場で斜材に貼る石垣高を計測して切り出し、斜材に貼りました、駐車帯部より高くなってます。 残材利用で塗装跡が残ってますが、再塗装するので問題ありません。 ベース角穴中心に2.5mm穴を空けてます。

2.5mm下穴を小型四角ヤスリで斜めに削り拡げ、3mm角棒が水平に通る様にしました。 ここにドライブイン擁壁下側溝が県道下を通り顔を出して河原へ排水します。

県道接触面を傾斜に合わせて斜めにヤスリ落としました。

ここでまた現場確認、駐車帯ユニットの高さ出しです。 石垣高に合わせ板紙2枚重ねると、丁度県道路面高になり追加スペーサ不要でした。

そこで4mm厚コンパネスペーサを接着固定しました、写真下側は1mm弱の余裕です。

洞門側接合部を確認すると双方の石垣台座が干渉するので、洞門側石垣上辺の48mmはそのままにして、45mm幅で製作した台座下部の干渉部分を約4mm削り取りました。 県道側石垣の駐車帯石垣接合部も現物合わせで、白色斜材に石垣材貼れば合いそうです。

採寸して駐車帯洞門側石垣材を切り出し、前加工して貼り付けました。 本人は隙間なく貼ったつもりでも少し隙間が空いてます、カメラの目は非情なので仕方ありません。

駐車帯ベース側から見るとこんな形状で、県道側を標高差に合わせて約2mm高くしてあります、洞門側からスロープを下って進入する形です。

組み合わせ確認、まず問題なさそうです。

晴天日に塗装しました、石垣色として無難なグレー、百均調達のスプレーです。 陽光下で少し艶がありますがウェザリングするので大丈夫です。


ではまた。

1963年 鉄道の話題 首都圏編

引き続き首都圏の話題からです。


◆国鉄編
輸送力増強中心の関西に対し首都圏はバラエティに富んでます。

1963年末から九州行ブルトレ牽引機がEF58からEF60 500番台に交替する予定になっており、7月末には試運転が行われてます。

10月末には完成したEF60 501機が貨物列車牽引で足慣らししてます。

新型電機話題の東海道に対し、北の玄関上野では発着蒸機列車が3本/日に減ってます。

DD20はDD51の1基エンジンDLとして試作されましたが、用途が重なるDD13に対し際立った特長がなく、試作で終わりました。

関西でも運転されてた海水浴臨時列車、関東では三鷹-大磯間に運転されてました。 新宿から山手貨物線・品鶴貨物線、年末の鶴見事故発生現場を通り東海道本線のルートです。

新清水トンネル着工に先立ち、高崎以遠上越線の複線化工事も進んでました。 貨物列車と擦れ違う上り列車は準急『清津』です。 客車列車準急は普通の存在でした。 電車は騒音と振動で優等列車に向かないの常識を破ったのが80系、完全に覆したのが151系でした。

京浜急行と横須賀線間の三浦半島丘陵宅地開発の推進力になったのが、京浜東北線が延伸された根岸線で、建設が着々と進んでました。

日暮里駅前に5色の噴水が出現した話題です。

東海道本線は写真の川崎-鶴見間の他、横浜-大船間にもロングレールが敷設されてる事は良く知られており、数分間ジョイント音のない乗車感覚を楽しんだものです。 消防ホースで水を掛けて冷やす必要があったとは、どんな作業ミスだったのでしょうか。

土地の登記簿は結構いい加減な物で、境界杭が紛失してると、厳密に測量しないと解りません。 東北本線が日本鉄道時代と言いますから、明治時代からの鉄道と民家間の所有権争いが決着し、複線化を機に農家庭先の第4種踏切が消える事になりました。


◆私鉄編
首都圏私鉄編は話題が多い京急からです。
◆景急
京急は品川-横浜間で国鉄と直接競合なので、早い時期からスピード競争をしてました。

この年に京浜久里浜-野比間が延伸開業してます。 その後久里浜線として1966年に三浦海岸まで延伸開業しました。

この延伸開業に合わせ、京急最大の久里浜工場が開場してます。

高架品川駅から延伸し、地下に潜る区間の工事現場です。 国策事業新幹線建設工事と異なり、都心1等地での民間事業者工事、工事完了して都営1号線と直通運転が開始されたのは5年後の1968年6月でした。

『都心乗入』の4文字に京急の強い思いが込められてます。


◆東急
東急沿線で育ち、東急で高校通学したので思い入れがあります。

東急ステンレスカーは試作的な5500系を経てカルダン駆動・回生ブレーキの6000系に始まりますが、大量増備されたのが7000系でした。 ヌメッとした6000系に対しキリッとした好男子でした。


懐かしいのは右に顔を見せてる3000系、物心付いて始めて見た電車だからで、急行運転なく、3000系MMT3連が渋谷-桜木町間を走っでました。 高校通学も3000系でした。

東急7000系が小田急線を借りて新型台車の高速試験をしてます。 当時の両社路線網でどのルートで乗入れたのか想像が付きません。

私鉄と営団地下鉄相互乗り入れを最初に実施したのは日比谷線です。 先に開業した北千住-東銀座間で東武北越谷までの直通運転が開始されてました。 南側は東急中目黒駅接続で、この年2月に始まった工事の様子を、隣駅祐天寺が最寄り駅だったので見てます。

工事は1年半で完成、1964年8月に日比谷線が全線開業し、北千住-日吉間の直通運転が開始されました。 それ以前東急渋谷から銀座線で都心に向かってた通勤客が日比谷線を利用する様になり、限界に達してた銀座線輸送のバイパス機能を果たす様になりました。


◆その他
その他の関東私鉄関連話題です。

デラックス特急1720系登場2ヶ月前に、東武特急1700系が三つ目追加改造を受けてます。

横浜と海老名を結ぶ相鉄線は関東私鉄の中では準大手、関西の山陽急行電鉄の様なポジションです。 キハ35系を連想させる様な飾り気のない6000系の第3編成が増備されました。

関東の非電化ローカル小湊鉄道にも実用性一点張り増備車です。


ではまた。

1963年 鉄道の話題 関西エリア編

九州中国編に続き、関西エリアの新幹線開業前年の話題です。


◆国鉄編
関西エリアの国鉄関連話題は輸送力増強関係が中心です。 首都圏だけでなく京阪神にも人口集中が進んだ結果です。

高徳本線の優等列車は高松-徳島間の準急『阿波』と、高松‐牟岐間の準急『むろと』でした。 阿波踊りの多客時に臨時準急が運転されてます。 普段のキハ55系3連に20系、58系を増結した6連で、如何にも予備車両を搔き集めて作った編成です。

夏休み期間の臨時列車(料金なし、快速扱い)です、御坊は海水浴と推定できますが、宇治の夏季旅客集中する納涼スポットが何処だったのか解りません。 急行はキハ58系で統一されてましたが、それ以外は58系/55系、場合によって20系の混成は当り前でした。

臨時列車ですがヘッドマーク付けてました。

東海道の輸送力が限界に達してた新幹線開業前年、151系では足りずに157系が不定期特急『ひびき』として運転されてました。 冷房完備で格上げとは定期列車への格上げです。 『ひびき』が食堂車を併結しない特急の先鞭となり、全国に広がる端緒になりました。

輸送力増強は物流王者の地位をまだ保ってた貨物輸送も同じで、関西拠点貨物ターミナルが開場してます。

これは輸送力増強でなく踏切事故根絶の高架化工事完成ニュースです。 車社会の進展により、鉄道線路が交通障害になり渋滞原因になる例が都市部で目立ち始めた時代でした。


◆私鉄編
関西私鉄は新型車ラッシュでした。 国鉄・JRを通じて50年以上主力として活躍した103系/115系はこの年誕生してます。 丈夫で長持ちの国鉄車輛伝統を引き継ぎながら新技術を導入して軽量化・高性能化・快適性向上した車両で、その流れは私鉄にも波及しました。 車両製造が大手独占状態だったので当然の事です。 鉄道会社毎に見て行きます。


◆南海
関西私鉄なら近鉄か阪急からが定石ですが、この時期何故か南海関連話題が多いので、南海からにします。

南海7000系のデビューです、4扉20m車なので通勤用として活躍したのでしょう。 私鉄車輛としては長命で2015年まで52年間現役でした。

7000系のステンレス車体が6000系です。 ステンレス車は東急車両のライセンス生産で、腐食に強い特性を活かし、60年以上の現在も現役、来年2025年引退予定です。

南海ズームカー21000系は同社初のカルダン駆動採用車で、高野線直通運転用に開発されました。 2扉セミクロスシートの初期2編成は臨時特急にも使用されましたが、増備車はロングシートに改められました。 引退後には大井川鉄道と一畑電鉄に譲渡されてます。

投入される新型車で見劣りする旧型車も自社で更新改造してます。

1971年3月3日で全廃された南海和歌山軌道線最後の新型車投入です。 車齢8年で廃止されており、先の読みが甘かったのでしょうか。

国鉄が物流王者だった様に私鉄も沿線でその地位を守っており、南海の様な1067mm軌間の私鉄では、国鉄と相互乗り入れの貨物輸送が行われ、貨物列車が運行されてました。 私鉄貨物牽引機の多くはED級で凸電も多く、南海はこの時期に増備してます。

最後に存在さえ忘れ去られた様な、工場内入換用DLが紹介されてます。


◆近鉄
京阪神の国鉄/JRと私鉄の旅客獲得競争は首都圏より激しく、接続含めた利便性・速達性で競い合ってます。 そのダイヤ遵守プレッシャーが尼崎事故の遠因になりました。

速達性の鍵になるのは優等列車に挟まって走行する各駅停車用車両で、加速・減速性能の良い各駅停車用車両が開発投入されました。 ラビットカーは近鉄版バージョンです。

近鉄は新幹線開業で戦略を大きく転換しました。 スピードで対抗が不可能になったので、新幹線で名古屋・京都・大阪に到着した旅行者を伊勢・志摩・奈良の観光地へ誘引する事に的を絞ったのです。 11400系は11100系の派生形式で、停車駅の多い乙特急用に作られた形式です。 恐らくロングランナーの兄弟形式より高加速高減速だったと思います。


◆阪神
阪神電鉄にも新型車が登場してます。

旧型小型車置き換えの為に新製した優等列車用車両で、比較的簡素なコストダウン設計車両ですが、2005年まで42年間活躍しました。

近鉄ラビットカーに相当する各駅停車用高加速高減速ジェットカーが増備されてます。


◆京阪
京阪は新型車ニュースでなく新線開業です。

東京オリンピック開催・新幹線開業前年、大阪では千里丘陵にニュータウン建設が始まってました、この地で1970年万博開催が既に決まってたかどうかは定かではありません。 京阪千里山線千里山-新千里山間延伸工事が完成し、慣熟運転が紹介されてます。

この延伸は一期工事で、二期工事で同社箕面線桜井駅まで延伸する計画と書かれてます。


◆阪急
阪急は踏切事故根絶、交通障害対策として地下に潜ってます。

阪急京都線の京都側拠点河原町の地下駅化が完成してます。

開通式は6月12日、5月から12月まで阪急は、先に開通した新幹線線路を山崎付近で約4km借用してますので、この祝賀列車も新幹線線路を走ったことになります。


◆その他
大手以外の関西エリア私鉄にも新型車が登場してます。

翌1964に運用開始し、調べた限りでは現在も活躍してる山陽電鉄300系が新型車として紹介されてます。

全く知らなかった鉄道で、江若は『こうじゃく』と読みます。 名前が示す様に近江と若狭を結ぶ鐡道として建設され浜大津-近江今津間で営業してました。 国鉄湖西線建設計画が持ち上がり、この6年後1969年に全線廃線され、路盤などが湖西線に転用されてます。


建設当時から関西-北陸最短ルートとして国鉄買い上げを想定しており、廃線時も買収価格や経路条件交渉に政治家が関わり、利権の匂いが強くする廃線と湖西線建設です。


ではまた。