前回路面電車(軌道線)の話をしました、その流れで昭和時代に消えた路面電車の話です。 大阪市電・東京都電の大部分が昭和時代に消えましたが、地方でも多く消えてます。
廃止順紹介法もありますが、西から見ていきます。 今回は廃止軌道線だけで、同時期廃止の鉄道線(ナロー含む)は除外してます。
◆琴平参宮鉄道
名は体を表します、金毘羅宮参拝客輸送が主目的だった鉄道です。 本州側から船便で四国に渡った多度津港・坂出港と琴平を結んでました。 江戸時代徒歩旅行では多度津と坂出が四国の玄関口だったからです。
【過去記事より転載】
しかし四国へのメインルートが国鉄により宇高連絡線、四国表玄関高松に変更され、高松-琴平間に琴平電鉄が開業して勝負あり、利用客が激減しました。
【過去記事より転載】
地元から惜しまれて、1963年(昭和38年)9月に廃止されました。 人の流れの変化で廃止に追い込まれた路線は、新幹線開業後の在来線を見る様です。
◆三重交通神都線
『金毘羅さん』の次は『お伊勢参り』、神都線は国鉄伊勢市駅前を起点とし、外宮・内宮・二見ヶ浦相互を結ぶ3路線がありましたが、1961年(昭和36年)に廃止されました。 観光客で賑わう五十鈴川に架かる橋の手前に路面電車が走ってたのですね。
◆名古屋鉄道岡崎線
名古屋鉄道(名鉄)岡崎市内線は、旧城下町岡崎市街地から離れた場所に岡崎駅が設置された為、岡崎駅前と岡崎井田を結んでた路線で、馬車鉄道として開業後に、電化されましたが、1962年(昭和37年)に廃止されました。
鉄道駅と旧市街b中心部が離れてるのは良くあったケースで、敷設側の都合と住民鉄道排斥運動の結果の場合があり、岡崎がどちらに該当したのかは解りません。 ちなみに名古屋には市電(軌道線)が存在しましたが、1974年(昭和49年)に全廃されました。
◆松本電鉄浅間線
松本電鉄は上高地アクセスの島々線の他に松本駅前と郊外の浅間温泉を結ぶ路面電車を運営してました。 浅間線は松本駅前から1.6km併用自動、その先3.7kmが専用記号で、単線の為、途中に交換施設を持つ停留所がありました。
浅間線の廃止は1964年(昭和39年)で、筆者が初めて松本を訪れたのはその2年後で、軌道撤去後でしたが、旧松本駅舎は1970年代までこのままで懐かしいです。
【過去記事より転載】
終点浅間温泉駅には駅舎があり、路面電車終点電停とは趣が異なります。 知名度訪問客数共に桁違いですが、伊予鉄軌道線の道後温泉駅に似た雰囲気です。
◆静岡鉄道秋葉線
秋葉線は日本一長い軽便鉄道駿遠線を経営してた静岡鉄道の軌道線です。 森町周辺の茶等特産品出荷を国鉄駅から行う為、762mm軌間馬車鉄道として開業しました。 その後静岡鉄道傘下に入り、1926年(大正12年)に電化と1067mm軌間へ改軌が行われました。
袋井駅前の新袋井-遠州森町間12.1kmの路線で、専用軌道と森街道未舗装路併用軌道で構成されてました。 戦後の食糧難時代は沿線農村への食糧買出し客が屋根上乗車するほどでしたが、利用客減で1962年(昭和37年)廃止されました。 路面電車が貨車や客車を牽引する光景は、他の路面電車には見られない物でした。
◆伊豆箱根鉄道
伊豆箱根鉄道軌道線は沼津駅前-三島広小路間5.9kmを結んでた路面電車で、1963年(昭和38年)に廃止されてます。 伊豆箱根鉄道は三島-修善寺間の鉄道線経営を軸に、ホテル・レストラン・観光施設・遊覧船と海上航路など観光事業を手広く手掛け、事業買収・売却を頻繁に行ってきた企業なので、上記運転区間と廃止年度しか解りませんでした。
◆箱根登山鉄道
箱根登山鉄道の路面伝電車って何?と調べると、正確には箱根登山鉄道小田原市内線でした、ならば小田原市電?と思いきやさにあらず、下記数奇な運命を背負った路線でした。
つまり一時は箱根観光メインルートの役悪を担ったが、国鉄丹奈トンネルのルート変更と、自社登山鉄道延伸により存在価値を奪われ、最後は道路改修の都合で廃止されました、赤字原因の廃止ではありません。 国道1号線の長距離が併用軌道だったとは驚きでした。
◆山梨交通軌道線
山梨交通軌道線は甲府駅前と増穂町中心部の甲斐青柳間20.2kmを結んでいた路線で、甲府市内併用軌道、市外専用軌道の路線でした。 甲斐青柳駅前から鰍澤口行バスが接続して、ピーク時利用客200万人/年でしたが、戦後衰退し1962年(昭和37年)廃止されました。
◆東武鉄道伊香保線
東武鉄道伊香保線は馬車鉄道として開業後電化、古くは渋川駅前-伊香保間伊香保線、前橋駅前-渋川駅前間前橋線、高崎駅前-渋川新町間高崎線の3路線が、渋川新町を結節点に3方向に延びる軌道線でした。 道路整備の障害になった事と累積赤字より、併用軌道の高崎線が1953年(昭和28年)に、前橋線が1954年(昭和29年)に廃止されました。
登山鉄道で専用軌道区間が多い伊香保線は残り、単線スイッチバックが4ヶ所もある軌道線として知られてましたが1956年(昭和31年)に廃止されました。 写真はスイッチバック交換施設での撮影と思われます。
◆旭川市街軌道
旭川は戦前北海道出身者を中心に編成された第7師団が置かれた軍都で、人の移動が多い街でした。 旭川軌道線は1929年(昭和4年)に開業、昭和19年度には1000万人を超える利用客がありました。 終戦後は利用客減少が続き、昭和26年度は458万人で半減、老朽化した車両や設備更新費用捻出に苦労する状態に陥り、1956年(昭和31年)全廃されました。
鉄道路線廃止には自動車交通発展が支配的要因になったのは既知の事実です。 バス路線に押され乗客減⇒採算悪化⇒廃止の例が、多くの地方私鉄で1960年代に発生しましたが、路面電車は更に軌道が占有する道路改修工事が要因となり、鉄道線より5-10年早かった様です。 人口20万人前後の中規模都市で市電廃止と存続、その差は何だったのでしょう。
ではまた。