Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

1963年 消えゆく地方小私鉄

1960年代の国鉄は新線建設時代だったと前回紹介しました。 結果的に巨費を投じて赤字を膨らませたのですが、実質的に国営企業だった国鉄は『赤字の責任?、国が決めて承認した新線建設を進めただけで、赤字は国が何とかするのでしょ』の立場でした。


高速交通網の起点名神高速全通は1963年7月、東名高速全通は1969年5月、マイカーブーム火付け役となったサニー/カローラ発売は1966年でした。 自分で食い扶持を稼ぐしかない民間鉄道会社は車社会到来に敏感で、小規模地方私鉄が1960年代に次々姿を消しました。

【2018年10月18日更新より転載】
消えゆく地方私鉄の様子は風間克美さんが克明に記録されてます。 戦中派風間さんが旅に出られる様になったのが1950年代末、撮影対象のテーマに選ばれたのでしょう。 鉄道P誌にも開業に沸く国鉄新線と同時に、廃線になる地方小私鉄がレポートされてます。


◆遠州鉄道奥山線
遠州鉄道奥山線は浜松市街地と郊外を結んでた路線です。

【奥山駅発最後の列車】・・・1963年4月30日
遠州鉄道は奥山線、西鹿島線と路面軌道線を有してましたが、現存するのは西鹿島線のみ、鉄道からバス事業、不動産事業にシフトし、会社は今も存続してます。

現存する西鹿島線は1067mm軌間の電化路線ですが、奥山線は軽便鉄道として建設された762mm軌間の非電化路線でした。

並行するバス路線に押されて利用客が減少し、30km弱路線の1/3奥山-気賀口間が、この日に部分廃止されました。

水田間の草だらけの薄い路盤上の細いレールを、小さな気動車がコトコト走ってた訳です。 国鉄駅の隅から発着する地方小私鉄の姿を何度も見てますが、当時は全く興味がなく惜しい事をしたと思ってます。

レール撤去直後で廃線跡の匂い十分、爾来61年の現在は痕跡探すのも難しいでしょう。

【遠州鉄道奥山線最後の日 1964年10月】・・・掲載許諾済
延命した遠州浜松-気賀口間も、浜松駅に0系新幹線が発着する様になった1964年10月に廃止されました。 正に新旧交代です。


◆琴参電鉄
名は体を表す、金毘羅宮参拝客輸送が主目的だった鉄道です。

多度津桟橋と琴平赤門間及び善通寺から坂出に至る2路線がありました。

この年9月15日で廃止されバスに置き換えられました。 御覧の通りの車両で路面電車に見えます、実際そうだったのですが・・・。

専用軌道部分もあり、立派なトンネルもありました。 多度津は地名が示す通り昔からの港町、本州側からの渡船が金毘羅宮参拝メインルートだった時代は過ぎ、宇高連絡船・土讃線に取って替られたのでしょう。

当然地元の方の足としても使われており、さよなら電車が運転されてます。 自動車が増え、併用軌道部のお邪魔虫になったのかもしれません。


◆松本電鉄浅間線
松本電鉄浅間線は松本駅前と浅間温泉間を結んでいた路線で、駅前から1kmほど路面軌道、その先は専用軌道になってました。

【松本駅前1963年3月29日
筆者が知るのは路面軌道撤去後ですが、この駅舎は懐かしいです。 北ア山行で駅泊したのは写真右端の差し掛け下でしたし、帰路夜行アルプスを待ってる時に駅舎のある上り本線1番線から中央西線鳥居峠越えに向かうD51重連貨物列車を見送ったのは1970年でした。

全線単線で、路面電車らしい駅名のここは、駅前大通りから専用軌道に入った辺りで、ポイントが見えてますので交換施設があった様です。

浅間温泉は松本の奥座敷、知名度も訪問客数も段違いですが、伊予鉄路面軌道の道後温泉駅もこんな雰囲気です。


◆仙台鉄道
仙台鉄道は聞いた事もなく調べました。 仙台市通町-西古川間を結んでた762mm軌間の軽便鉄道だったと解りました。

歴史によると1922年部分開業、1928年全線44km開業でした。 東北本線の前身日本鉄道が仙台以北で旧奥州街道から外れ、海側ルートで敷設された為、街道宿場町は近代的交通手段から取り残されてしまいました。 地元有志が発起人になり仙台鉄道が建設されました。 

現存資料が少ない様で古い写真しか掲載されてません。 開業当時44km区間所要時間は2時間20分、平均速度20km/h弱ですが、当時では飛ぶ様に早かったのだと思います。

バランスの良いスタイルのナローCタンクロコが走ってました。 乗客減と度重なる台風被害復旧で経営が悪化し、1950年には仙台から路線大部分の40km区間が廃止されバスに置き換えられました。 残る区間は陸羽東線支線の形で営業を続けました。

一番新しい掲載写真は1959年、営業キロが3km強に短縮された時代で、翌1960年に廃止されました。 74年前に9割廃止、64年前に完全消滅した鉄道なので、地元でも忘れ去られた鉄道かもしれません。


◆その他の消えた地方路線
開業時は地域振興の立役者だった鉄道路線が、モータリゼーションの津波によりその役目を終え、全国各地でひっそりと姿を消してます。

東武は東武日光駅から東照宮参拝口まで路面軌道を運転してたと初めて知りました。 調査するとこの路線は1910年に開業し貨客輸送しており、60‰の急勾配がある路面電車で、1968年2月に廃止されてます。

防石鉄道は防府と益田を結ぶ陰陽連絡線として計画され、防府側から建設された鉄道です。 山口線開通で夢は破れ1964年に廃止されてます。

尾道と内陸部の石畔(いしぐろ)17kmを結んでた鉄道で、1964年に廃止されてます。

名鉄小牧線旧小牧駅と岩倉駅間5駅5.5kmを結んでた路線で、名鉄小牧線の経路変更で役割を終え1964年4月に廃止されました。

名鉄路線ながら岐阜市電と相互乗り入れし車両共用してた珍しい路線で1964年に廃止されてます。 こうして新線開業と地方小私鉄廃止を見てくると、1963年が鉄道が交通の主役から滑り落ちる将来が確定し、日本国内の鉄道網が最も充実してた年だったと思います。


ではまた。

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