Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

1963年 国鉄新線開業

1960年代は国鉄近代化計画に基づく輸送力増強と、地域発展の動脈となる新線建設が全国各地で進んだ時代でした。 十数年後から赤字ローカル線廃止が次々行われたのは何とも皮肉でした。 今回は1963年、最初の東京五輪前年に開業した国鉄路線を紹介します。


◆日南線全通
日南線南宮崎-北郷間が1963年5月8日に開業し志布志まで全通しました。

南宮崎-青島間は買収した宮崎交通線の線路付け替え区間です。 日南線全通により志布志線北郷-志布志間は日南線に名称変更されました。

宮崎在住の方が開業直前の日南線をレポートしてます。 新装なったという事は宮崎交通時代の駅名標は貧弱だった様です。

非電化ローカル線でも開業前試運転が行われてました。 架線はなくても路盤により振動が出る区間の有無などを事前確認したのでしょう。

宮崎県南部の県民にとって日南線全通は、明治末から要望するも実現しなかった長年の悲願だったと書かれてます。

5月8日出発式の様子です。 在住の方の話なので間違いありませんが、宮崎駅は県庁所在地国鉄駅には貧弱な、島式ホーム1本2線駅だったのを、日南線全通に合わせ島式ホーム2本4線駅に改修したそうです。

日南線全通に合わせ準急『日南』の運転が開始されてます。 


◆三江線延伸開業
陰陽連絡線として最も遅い1975年に開通し、唯一2018年に廃止された三江線は1930年着工され、三江北線/南線時代が長く続きました。

三江南線式数-口羽間13.7km延伸開業祝賀列車、1963年6月30日です。  延伸区間は旅客扱いのみで日に4往復、この先12年の歳月と巨費を投じて全通させる意味がなかったのは明らかで、北海道開拓国策で部分開業した根北線は1970年に廃線されてます。


◆会津線延伸開業
1971年に会津若松-小出間全線開業して只見線と改称された会津線の合津川口-只見間が1963年8月20日に延伸開業してます。

会津川口駅の祝賀列車の牽引機はC11でした。 なおこの区間は只見川水系ダム建設の為に1957年に敷設された電源開発貨物専用線の転用で、新規敷設ではありません。

福島県只見と新潟県魚沼間の山里は豪雪地帯で冬の交通途絶孤立の恐れが高い地域でした。 当時の常識だった道路より雪に強い鉄道として例外的に全通建設が進みました。 以来50年の現在は道路と鉄道の雪への強さは同等か逆転気味で、只見線冬季長期間運休が発生しており、沿線で豪雨被害が発生すれば復旧されずに廃線になる可能性が高いと思います。

この時は会津線終着駅、将来は只見線途中駅として建設された只見駅です。 地上駅舎と構内踏切で島式ホームを結ぶ配置で、左方に貨物側線と貨物ホーム/上屋が見えてます。


◆指宿枕崎線開業
この年には日本最南端でも新線が開業してます。

春に建設が進む指宿枕崎線の様子が紹介されてました。

その5ヶ月後10月31日に開業を迎えてます。 装飾過剰で運転士前方視界を遮るのではと思える祝賀列車です。

県庁所在地鹿児島市と、そして遠く首都東京と鉄路で結ばれる事は地元の長年の夢であり、枕崎市内の熱烈歓迎、お祭りムードが良く解ります。 以上4路線の新線開業を紹介しましたが、華々しい式典がなくても1963年に開業した2路線がありますので追加紹介します。


自動車交通の短期間急速発展が想定外の時代に策定された、地方発展の鍵は鉄道敷設の考え方に基づく建設計画に従い着々と進められてました。


◆岩日線
この路線を知ってるのは相当な乗り鉄マニアと時刻表マニアだけだと思います。 瀬戸内海沿いを走る山陽本線岩国と徳山間を内陸で結ぶローカル線岩徳線途中駅から北に延びる盲腸路線で、沿線に観光スポットもなく地味な事この上ない路線だからです。

【完成した錦川橋梁】
岩国と山口線日原を結ぶ、三江線と山口線間陰陽連絡線として計画された路線です。 日原側が着工されてれば岩日南線になるハズでした。

【建設中の柳瀬駅】
岩徳線川西から錦川沿いに錦町まで32.7km区間ですが、開業後のダイヤによると日に6本の列車全てが岩国発着でした。 錦町までの延伸開業は1963年10月1日でした。

【柳瀬トンネル入口から岩国方】
岩日線は国鉄民営化と同時に第三セクター化されました。


◆能登線
元旦震災被災地でも新線建設が進んでました。  能登線は穴水と珠洲市蛸島を結ぶ61kmの路線でした、1963年10月1日開業です。

【白丸駅】
能登白丸駅(無人駅)として開業、国鉄民営化翌年1988年に第三セクター能登鉄道白丸駅となり、2005年能登鉄道廃線で廃駅になってます。

【能登小木駅】
国鉄能登線の能登小木駅として開業し、第三セクター転換時に九十九湾小木駅に改称、廃線で廃駅になってます。 廃線探訪の方に人気がある様で駅舎が現存してます。 

【松波駅付近】
松波駅は改称されませんでしたが運命は同じでした。 能登鉄道に引き継がれた七尾-輪島間も廃線になり能登半島七尾から奥半分は車でしか行けない場所になってしまいました。


20年ほど前に車で訪問しましたが、快適な自動車専用道が整備され鉄道の必要性を全く感じませんでした。 JR西七尾線も被災したと思いますが、その後の情報を把握してません。 和倉温泉アクセス観光路線ですが、JRは民間企業ですので収支次第かもしれません。


ではまた。

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