Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

私鉄特急ロマンスカーの系譜 その3

2月5日の降雪で東京は8cmだったそうですが、首都高が長時間閉鎖されるなど大きな影響が出た様です。 諏訪はこの日最高気温-0.2℃の真冬日で10時に降り始めた雪が見る見る積もり、夕方までに15cmと今シーズン初の本格的降雪になり、雪かきに追われました。

【2/7朝8時高速側道で撮影】
2月7日(水)は出掛ける用事があり車で出ましたが、地元車が国道を避けて使う裏道は圧雪アイスバーンの状態でした。 さて本題です。


小田急SE車は特急ロマンスカーの新しい扉を開きましたが、設備面では冷房がなく、1958年以降のスタンダードにはなりませんでした。


5.デラックス車時代の到来
軽量・高速・高性能に快適性・豪華さを加えたのは近鉄が1958年7月に登場させたビスターカー10000系でした。

旧ビスターカーと呼ばれる10000系は、ビスタードーム型2階席天井が低く、窓傾斜が強く圧迫感がある問題点もありましたが、空気バネ採用し最初から冷房を装備してました。 

【近鉄旧ビスターカー10000系】
また試験採用してた車内公衆電話やシートラジオを全面採用するなど、国鉄151系『こだま』登場に4ヶ月先行した先進的な車両でした。

【近鉄新ビスターカー10100系】
冷房装備でなければ特急車ではないという新しい業界スタンダードを作った近鉄は、1959年12月に長年の懸案だった大阪-名古屋間乗り換えなし直通運転開始に合わせ、新ビスターカー10100系/10200系/10300系投入で旧ビスターカーの問題点を改善しました。

【近鉄新ビスターカー10100系】
本文記載ありませんが、掲載写真によると、新旧ビスターカー共に非貫通2枚窓と貫通タイプ双方の先頭車があった様です。

近鉄ビスターカーの影響は東武に飛び火しました。 1960年7月までに特急専用車1700系/1710系へ冷房装置追加設置を完了させました。

その3ヶ月後1960年10月に1720系を登場させました。 冷房に加えサロンルーム・ビュッフェ・マジックドアを備えた車両で、1700系/1710系特急料金¥200に対しDX特急料金として¥300を徴収してました。

【国鉄準急『日光』】
東武1720系の登場には国鉄との乗客争奪戦『日光戦争』が深く影を落としてました。 第一ラウンドは日光線非電化時代のキハ55系準急『日光』が相手で優位に立てました。

【157系準急『日光』祝賀列車】
しかし1959年9月に日光線電化に伴い157系が投入された第二ラウンドでは、速度・設備共にパワーアップした国鉄が優位となり、1年遅れの1720系投入で対抗した訳です。

近鉄・東武の相次ぐ新型特急車両投入により、構造上冷房装備が困難な小田急SE車は色褪せて見える様になりました。 小田急が乗車定員と外観を犠牲にして無理やりSE車を冷房化したのは1962年でした。

近鉄に後れを取り特急用車両が陳腐化してた南海は、1961年に20000系を登場させました。 冷房・リクライニング・マジックドア・サービスコーナーと仕様盛り沢山の車両でした。

しかし南海独自の物がなく、ほとんど先行他社のパクリでした。

近鉄は南海と同時期に名阪間で停車駅が多い乙特急用に10400系/10500系を増備してますが、同時期にデビューした名鉄パニラマカーの陰に隠れ話題になりませんでした。

小田急NSE車登場は1963年3月です。 屋根上運転台と前面パノラマシートのアイディアは小田急が1700系の頃から温めてたそうですが、決断せず10年グズグズしてる間に、屋根上運転台は国鉄『こだま』に、前面パノラマシートは名鉄に先を越されてしまいました。

運転開始前月です。 NSE車は2000年に退役するまで実に37年間第一線で活躍する長い車両寿命を全うしました。

就役直後のNSE車で家族箱根旅行の際に初乗車経験をしました。 NSE車登場後のSE車は御殿場線乗入用で運用されており乗車経験ありません。 60年前は多摩川を渡って神奈川県に入ると、この様に長閑な田園風景が広がってました。


6.スピードアップと特急料金
特急ロマンスカーの車両中心に歴史を追い見てきましたが、スピードアップと特急料金に焦点を当てて見てみます。

1947年国内初の私鉄特急ロマンスカーを運転した近鉄が名阪間を3時間55分で結んでましたが、2時間18分まで短縮してます。 競合する東海道本線準急が2時間36分、関西本線準急が3時間でしたので、東海道新幹線が開業した1964年10月まで優位性を保ってました。

【東武1720系】
関東初の特急ロマンスカーを運転した東武は、浅草-日光間を運転開始時の2時間49から1時間46分へ1時間強短縮してます。 この2社は国鉄と直接競合の関係にあったので、スピードアップが顕著に進みました。 競合の少ない路線ほどスピードアップは穏やかです。


小田急は東京-小田原間で国鉄と競合する様に見えますが、箱根湯本乗り入れの強みを活かし、箱根は小田急、熱海・伊豆は国鉄の棲み分けが上手くできてました。

乗車運賃に対する特急料金比率です、対運賃比が1.0なら2倍になります。 小田急が突出して高く強気の姿勢です、箱根行くなら小田急の社会認知が進んでたからです。 この表には東武1720系が含まれておらず、¥300の設定で0.83となり小田急を抜いてます。

【長野電鉄2000系】
一番安い長野電鉄は、他社が特急料金と座席指定料金をセットにしてるのに対し、特急料金だけで座席指定なし、定員制で販売してたからです。

【近鉄と国鉄の名阪間運賃比較水位】
特急ロマンスカー登場以降の名阪間の近鉄vs国鉄の料金比較です。 次第に近鉄が国鉄より高くなってます。 経済感覚が発達した関西人相手の商売なので、スピードと快適さ考えたら近鉄が良いと思われる絶妙の価格設定の結果だと思われます。


7.終りに
以上1947年に私鉄特急ロマンスカーが登場してから1963年まで16年間の進化過程を見てきました。 それから61年4倍近い時間が経過してますが、その間に特急ロマンスカーの常識を覆す様な事は何一つ起きてません。 自動車や情報通信分野に比べ変化は緩やかです。

【東武鉄道公式サイトより】
他分野の進歩・進化速度からしたら、私鉄特急ロマンスカーが空を飛んでても少しもおかしくありません、60年はそれだけ長い時間です。 車両製造技術や運行管理は大幅に進歩したのでしょうが、乗客に感じられるのは、少し早く、乗り心地が改善し、大幅に豪華で高価になっただけです。 鉄道関連技術は飽和点に近付いてると感じます。


ではまた。

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