私鉄の国鉄型機械式気動車
前回まで3回に渡り国鉄型機械式気動車の歴史を追ってきました。 国鉄(鉄道省)が気動車開発に期待した小単位・多回数・高速運転は、地方私鉄に於いても全く同じで、運転経費が嵩む蒸機運転合理化策として、地方私鉄各社でも採用する動きが広がりました。
特にキハ39500(41000)が成功を収めるとその動きが加速され、独自設計技術を持たない地方私鉄への国鉄型気動車導入が進みました。 導入方法には二つあり、車輛製造メーカーへの自社発注と、国鉄から払下を受ける方法で、新車か中古車かの選択に似てます。
自社発注で製造された地方私鉄気動車は上表23両で、国鉄41000/40000/42000系設計を流用し各社使用条件に合わせて、荷室追加・ロングシート化等の仕様変更が加えられてます。 発注時期は1937年の中国鉄道を除き1950年~1953年に集中しており、GHQ石油製品統制が解除され燃料入手が容易になった時期に重なります。
上表B、国鉄は単年度生産に終わった失敗作キハ40000型新製の留萌鉄道気動車です、全長12.2mの車体に90馬力エンジン搭載なので、貨車や客車を牽いたかもしれません。
同じく上表A、キハ41000型新製の羽後交通キハ1です。 写真注記によると、木造客車台枠を流用しており、完全な新製ではない様です。 火災事故で廃車とありますが、地方私鉄でもガソリン動車の火災事故が発生してたと解ります。
小名浜臨海鉄道キハ103は、上表によれば自社発注のキハ41000型新製ですが、写真注記には払下車とあり、出自が曖昧です。
国鉄機械式気動車の廃車と払下車の推移を見ると、石油製品統制時代の1949年までに100両以上が廃車され、統制解除を跨いで1949年~1952年に100両近くが払下車になってます。。
国鉄払下車は1950年までガソリン機関、1958年~1970年は称号改正されたディーゼル換装車の2グループに分かれます。
羽幌鉄道払下車は当初ガソリン機関を外して客車運用され、後にディーゼル機関搭載で動車化されました。 中央扉を潰したり、妻面カスタマイズされてます。
夕張鉄道払下車のキハ42000型も妻面窓枚数を減らす改造を受けてます。
国鉄時代の形状をそのまま留めた南部鉄道払下のキハ41000型です。 地方私鉄の単行運転に丁度良いサイズだったのでしょう。
国鉄払下機械式気動車の中で、唯一機関を外し最後まで客車として使用された珍しい例が、秋田中央交通で、八郎潟-五城目間3.8kmの路線は1969年に廃止されました。
【ウィキペディアより】
前写真と異なりツートーン塗装され凸型電機に牽引されて客車運用されてた様です。 電化路線なら気動車不要で、最初から客車使用目的で払下を受けたのでしょう。
これも国鉄時代の形状をそのまま留めた茨木交通払下のキハ42000型です。 夏の暑い盛りとは言え、停車中に客室窓だけでなくホーム反対側3ヶ所扉が空け放たれてるのは、何ともローカル味満点です。
現在も国鉄旧型気動車で運行してる小湊鉄道は60年前も同じで、キハ41000型払下車で運行してました。
遠州鉄道は浜松市と北方郊外を結ぶ複数鉄道路線を運営してましたが、1964年東海道新幹線開業に合わせる様に全廃された762mm軌間非電化奥山線を始め規模縮小し、現存するのは西鹿島線、新浜松-西鹿島間17.8km(全線電化、1067mm軌間)だけです。 当時から電化されてた遠州鉄道が非電化国鉄二俣線と直通運転する為に導入した払下気動車です。
【天竜浜名鉄道(旧二俣線)路線図】・・・ウィキペディアより
遠州鉄道は二俣線沿線を含め浜松市北郊の旅客を市中心部に運ぶのが目的でしたから、旅客利便性を考え、自社内では無用の気動車を導入した様です。 ちなみに廃止された奥山線は浜松市から北北西へ二俣線気賀で連絡し、更に北北西の奥山に至る軽便鉄道でした。
岡山県棚原鉱山の鉄鉱石輸送を目的に建設された片上鉄道は、1931年に開業し戦時買収国有化の対象にならず、1991年まで存続しました。 払下を受けた国鉄キハ41000型は妻面2枚窓に改造され、新しい時代の香りを纏ってます。
【片上鉄道動態保存車】・・・ウィキペディアより
片上鉄道払下車は動態保存されており、国内唯一のキハ41000型動態保存車であると共に、最古の気動車でもあります。
防石鉄道は周防と石見を結ぶ陰陽連絡線として計画され、国鉄山口線開通で夢破れ部分開通しただけで1964年に全廃された鉄道です。 国鉄から長門鉄道に払下られ、更に防石鉄道に譲渡されたキハ41000g型です。 この様な車両の使い回しは気動車に限らず、国鉄線内や大手と地方私鉄間の電車にも良く見られた事例ですが、今後は大幅に減るでしょう。
1980年代までの鉄道車輛は、50-60年寿命の設計で、余命を残し払下や譲渡されましたが、JR化以降の新製車輛は、25年寿命の設計で製作・整備コストを抑えたペラペラ車輛だからです。 103系/115系電車や40系気動車の様な長寿命鉄道車輛登場はもうないでしょう。
ではまた。




















