Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

国鉄型キハのご先祖様

鉄道発祥以来長らく動力源だった蒸気機関は、低い熱変換効率と高い運転コストを克服する技術開発がないまま捨て去られて50年経過しました。 現在の鉄道事業者が使用する動力源はほぼ100%電気(モーター駆動)と化石燃料(ディーゼル機関駆動)になってます。

【JR北海道DC特急『北斗』】・・・2024年5月

JR各社非電化区間には様々な形式のDC列車が走ってます。 1895年京都の路面電車として登場し、順調に発展した電車に比べ、気動車には短くも苦難に満ちた歴史がありました。


1928年帝国鉄道協会が創立30周年記念に発刊した『帝国鉄道年鑑』で、自動車交通発達への対応遅れを指摘された鉄道省は、蒸機列車では難しい小単位・多回数・高速運転の必要性を認識し、開発を着手しました。 その初号国鉄型キハのご先祖様キハ二5000登場は、電車に34年遅れた1929年でした。 レール上を走る自動車、ガソリン動車でした。

現状認識は正しかったのですが、国産品多用・他車種と部品共用化の設計制約条件と、関連技術未発達に加え設計経験不足もあり、心臓である機関には池貝鉄工所製40馬力エンジンが選定されました。 非力なエンジン選定で軽量化が実用性能の鍵になりましたが、客車設計に準じた台枠・内装や機関車用連結器採用等で、空車重量が15.5tにもなりました。

キハ二5000は1929年に12両製造され翌1930年に運用開始、初運用は大垣から先日紹介した西濃鉄道市橋間で、国鉄ガソリン動車初運転であると同時に、気動車私鉄線乗入初事例でもありました。 逆の事例になる小田急御殿場行や、南海白浜行の30年も前の事でした。


重量級車体を小出力機関で走行させると、機関にも変速機にも過大負荷が掛かり故障続出、現場から『ガタリン動車』のニックネールを頂戴しました。 1941年に全車客車改造を受け短い生涯を閉じるまでの12年間、仙台-塩釜間、徳島-小松島間、室蘭-輪西間、七尾線、久留里線等で運用されましたが、結果としては失敗に終わりました。

【TMS掲載市販エッチング板利用キハ二5000製作記】

当時(60年前)は国鉄初の気動車として知られてた様で、製作記がTMSに掲載されてます。 キハ二5000で失敗した国鉄は1931年に電気式ガソリン動車キハ二36450(発電機搭載電車)を試作し彦根-長浜間で運用するも、燃料消費がガソリン動車の3倍で大失敗、朝鮮・満州・地方私鉄で実績を上げるガソリン動車に刺激され、1932年にキハ36900を開発しました。

翌1932年にキハ41000と改称されたキハ36900は、国鉄初のガソリン動車成功事例で、量産されました。 大出力機関搭載と車体幅200mm、車高330mmの小型軽量化してました。

発進時の機関負荷を軽減するコロ軸受や、空気抵抗が少ない丸味を帯びた妻面等、新技術が多く取り入れられてます。 機関は国鉄(鉄道省)開発GMF13型100馬力搭載でした。

【キハ41000(キハ39500)年度別製造数】

国鉄はキハ39500の成功に気を良くし、翌1933年に車長を短くギア比を変更して貨車または客車牽引を狙ったキハ40000型を開発しましたが、これも大失敗で1933年単年度製造に終わりました。 二兎を追って一兎も得ずの結果でした。

1935年にキハ41000のエンジンを8気筒化したGMH17型150馬力エンジン搭載キハ42000を完成させ、東京-静岡間高速試験で108km/hを記録し、先発した特急『つばめ』に追い付いたという逸話が残ってます。 国鉄型ガソリン動車はキハ41000とキハ42000で頂点に達し、昭和10年代の各地路線で、発達する自動車交通対抗手段として活躍しました。


ではまた。

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