Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

中村線と予土線に想う事

若い頃の旅で何故か四国は足を踏み入れませんでした、費用を安く上げるには夜行列車利用が一番でしたが、四国には使える夜行列車がなかったからです。 東京から見ると地の果てに感じた四国最深部でも新線建設が進んでました。

【中村線部分開業発車式 窪川駅】・・・1963.12.18

土讃線終着駅窪川は、とりあえずここまで線路を敷設しましたと言う印象でした。 足摺岬観光や高知県と愛媛県の経路が未完成のまま途切れた様な終着駅でした。 1963年末窪川から中村へ延伸した中村線が部分開業しました、土讃線延伸ではなく中村線としてでした。

【中村線部分開業発車式 若井駅】・・・1963.12.18

窪川駅西隣若井駅まで、正確には次の川奥信号所まで土讃線その先が中村線、中村線客扱い始発無人棒線駅の若井駅でも発車式が行われました。 中村線は1970年10月中村まで全通しましたが、2年前1968年9月に赤字83路線指定を受け、全線開業前に廃止対象に決定された運命を背負って誕生しました。 土讃線延伸ならそうはならなかったと思います。

【若井駅】・・・2022年乗車しまんトロッコ号

従って国鉄分割民営化でJR四国路線になった中村線は、翌1988年4月に土佐くろしお鉄道に移管されました。 現在の中村線は中村-宿毛間が延伸され、高知から直通特急が多数乗り入れており、JR四国時代より土佐くろしお鉄道経営移管が好結果だった様です。

【若井駅】・・・2022年

一方、同じ若井駅を始点とするJR四国予土線の前身旧国鉄宇和島線には100年を越える歴史があります。 宇和島線は予讃本線が宇和島へ到達した1945年より20年以上早い大正年間に、宇和島鉄道として宇和島と高知県境内陸の町や村を結ぶ軽便鉄道として開業しました。 四国の僻地で他線と連絡のない孤立した鉄道路線として20年以上存続してました。

【予土線位置図】

宇和島鉄道は1933年国有化されナロー軌間のまま宇和島線になり、1941年1067mm軌間に改軌されました、予讃本線が松山から順次南下開業してた頃です。 そして1945年予讃本線が宇和島まで開業すると、宇和島-北宇和島間は予讃本線に組み入れられました。


【北宇和島駅】・・・2022年

写真中央直進が予讃本線松山方向、右が予土線です。 狭い島式ホームの北宇和島駅を出た予土線は大きく右にカーブし、右奥に見えてる山裾を分水嶺峠に向けて登って行きます。 2022年訪問時、単行キハの窓を生い茂った草がガサガサピシピシ擦る音に驚きました。

【ウィキペディアより】

宇和島線江川埼と川奥信号所(若井駅)間が開業し予土線が誕生したのは1974年でした。 誕生時から大赤字確実路線で、国鉄再建法に基く廃止対象の資格要件を満たしてたのに建設されたのは、『代替交通手段がない』と言う理由でした。

【定期列車運用ホビートレイン】・・・2022年松丸駅

現在は宇和島から窪川へ国道381号線が整備されてますが、2022年訪問時江川埼付近で区間最後の拡幅工事中で、以前は1.5車線道路だった様子が窺えました。 1.5車線道路なら路線バス運行可能ですが、予土線開業の50年前は路線バス運行不能な道路だったと思います。 徳島市と四万十市(中村)を結ぶ四国横断国道439号線がその好例です。

【国道439号線土佐大正付近】

進化したナビは中村から土佐大正ルートを、海沿いに窪川まで北上し国道381号線西行して土佐大正への大回りルート指示します。 筆者携行ナビ指示は国道439号線直行でした。 快適な2車線道路が残り15kmで豹変、舗装こそしてますが連続カーブのすれ違いは一方待避が必要な道幅で、15kmを50分要しました。 路線バス運行は無理です。


予土線開通時代に諏訪から豊橋へドライブ旅行の経験があり、飯田南の天竜峡から豊橋まで国道151号線を走りましたが、等高線沿いにウネウネ走る未舗装のこの様な酷道で、整備後は2時間少々の行程に5時間半要しました。 高速道開通後でも地方はこんな状態でした。

【土佐大正駅下り時刻表】

予土線は江川埼から大きく蛇行する四万十川をトンネル・橋梁で串刺しにして直進します。 開通時の国道381号線は両岸中腹等高線沿いの悪路で、地元には外界と繋がる交通路として大歓迎されたでしょう。 しかし国道が整備され、その役割は終わった様に見えます。


予土線はJR四国のお荷物になっており、江川埼-窪川間運転本数は2020年に6本から5本へ、2021年に5本から4本へ減便されてます。 2023年訪問時には、吉野生撮影列車を県境の橋と土佐昭和でも撮影できました。 さて話は60年前の国鉄宇和島線時代に遡ります。

1966年のGW、地の果て宇和島線江川埼駅でのC12 259です。 何処から撮影に訪問したのでしょう、遠い道のりだったと思います。 当時はC12混合列車が走ってました、宿泊した松丸の旅館女将は60年前に滋賀から嫁いでおり、小さな蒸機の記憶をお持ちでした。

【江川埼駅構内】・・・2022年

前の写真は旅客ホームから中央奥貨物ホーム手前の側線で貨車入換中の姿だと思います。 当時は貨物上屋がありましたが、現在はホーム跡が残ってるだけです。

【江川埼駅構内】・・・2022年

1面2線島式ホームから駅舎へは踏切で本線と側線を渡ります。 C12が貨物入換作業で走行してた側線は、少ない乗降客が躓かない様にレール間を埋め尽くし走行不能になってます。 ならば撤去処分すれば多少穴埋めになりますが、人件費にもならないのでしょうね。

【宇和島市内公園の保存機】・・・2022年

宇和島機関区には6両の宇和島線運用C12が配属されてました、撮影された259号機は宇和島市内の公園に静態保存されてます。 蒸機時代を知る人はどんどん減ってます。

1960年から1964年まで宇和島線ではレールバスが運用されてました、キハ02のファーストナンバーです。 当時から乗客数が少なかった事が解ります。

多分現在延伸された江川埼駅の奥に機関車駐拍所があり、給水塔や詰所が並んでたと思われます。 貨物扱いのある終着駅、現在無人のこの駅に何人が常駐してたのでしょう。

【江川埼駅ホームより】・・・2022年

前写真よりホーム端に寄った場所の撮影なので、上屋が写り込んでません。 60年経っても山の形は変わりませんが、西は宇和島から予土線方向数kmまで高速道が伸びており、東は窪川手前まで高速道が運用開始されてます。


10年を待たず四国周回高速道が完成しそそうな状況で、完成部分を見ると予土線沿いの公算が大、足摺岬アプローチ窪川西・土佐大正付近・江川埼・松丸にICが設置されるでしょう。 日に4便に減便された現在すでに、予土線存在意義はトロッコ観光列車以外失われてます。 廃止は時間の問題だと思います。


ではまた。

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