60年前5月の鉄道風景 Vol.2
1966年GW期間中に撮り鉄さんが大活躍した様で、まだGW後半です。

この時代には軌道線に花電車が走る事が良くありました、祭の景気を盛り上げる為です。 博多どんたく・港まつりに合わせ、福岡市内を西鉄の花電車が走りました。

当時は大手私鉄各社が貨物輸送をしてました。 電機牽引が多く、東武の様に蒸機もありましたが、阪神電鉄は貨電を新製して貨物輸送の近代化を図ってました。

やっとGW終了です、鉄道P誌は校正ミスが多く、太多線を太田線と誤記してます。 美濃太田-多治見間を結んでるから太多線なのです。 当時の太多線列車は蒸気牽引でC50からC58に牽引機が交替しました、所属は美濃太田機関区です。

その太多線始発駅多治見は、電化工事に合わせ2面3線駅から3面5線駅に改修工事が完了しました。 新設4・5番線が太多線発着ホームです。

昭和の遊園地は電鉄会社が利用客増加を目的に沿線に建設されるのが普通でしたが、1965年開園した横浜ドリームランドは自家用車か路線バスでアクセスする異例の遊園地でした。 1966年5月に大船-ドリームランド間にモノレールが開業しましたが、 設備の欠陥により、わずか1年4ヶ月後に運行休止に追い込まれました。
その後交通アクセスの悪さがネックとなって経営状況が悪化し、東京ディズニーランド開園やバブル崩壊の影響を受け、2002年に閉園に追い込まれました。 『横浜ドリームランド』は、最後の『昭和の遊園地』になりました。

中央西線瑞浪電化工事が完成し、営業運転前の試験運転が盛んに行われてました。

南海電鉄は昔から難波始発南紀直通列車を和歌山から乗入運転してました。 直通運転車両はDCもありましたが客車もあり、南海本線は電車が牽引してました。

長野電鉄が車輛製造メーカー標準車と、他社設計パクリを除き、唯一の独自開発新製車がOSカーでした。 現在は全て大手私鉄のお古です。

阪神7801/7901系は、優等列車用旧型電車置き替え用に1963年デビューした車両で、1970年以降の最終増備車は冷房付き、両開きドアに進化してました。

1895年(明治28年)輸入された国鉄(鉄道院)蒸機1400型は、浜川崎セメント工場で命脈を保ってましたが、遂に最期を迎えました。

中央西線瑞浪電化開業は7月1日でした。 通常はその前にバックアップ蒸機を従えた電機の試験運転が行われます。 5月中旬に電気単独牽引列車が運行されてました。

貨物がEF60なら旅客は横須賀線から都落ちする70系です。 慣熟運転ですが、旅客輸送したらフライングですな。 7月1日正式電化開業待つ必要はなかった様です。
ではまた。