奈良まで出掛けました 後編
奈良の旅の続編です。

【関西本線木曽川橋梁】
乗車予定は名古屋13:07発亀山行快速列車でしたが、早着したので関西本線先発の四日市行普通列車に乗車しました。 四日市で現在生き残る軽便鉄道『四日市あすなろ鉄道』を見る時間が取れないかと考えたからです。

【富田駅】
60年前rは東京-大阪湊町間に夜行急行『大和』が走り、東海道本線バイパス機能を果たしてた関西本線は、その機能を喪失し、JR東海運行の名古屋-亀山間・JR西運行のJR難波-加茂間の電化路線・加茂-亀山間の非電化ローカル線に運行上も3分割されてます。
名古屋-亀山間は、中京圏通勤通学路線で並行する近鉄と競合しており、4連普通電車と快速電車が運行され、関西本線直通列車は存在しません。 嵩上げ跡が生々しいホームに、栄光の時代の痕跡が残ってます。

【四日市駅-1】
乗車列車終着の四日市到着、名古屋40分後発車の亀山行快速列車は20分後に来ます。 重い荷物持って跨線橋昇降し、『生き残った軽便鉄道』探しを諦め、亀山行快速の前に来る新宮行特急『南紀』を待つ事にしました。 さすがに石油コンビナートの四日市、JR貨物飯の種タンカーが側線に多数停車し、入替作業をしてました。

四日市駅-2】
紀勢本線新宮まではJR東海運行で非電化、当然DC特急です。 3-4連と思ってたら何と2連で、松山-宇和島、高知-中村並みです。 南紀観光には新幹線大阪回りで白浜経由電車特急の方が便利な時代になったのかもしれません。 このキハもJR東海デザインです。

【四日市-亀山間某駅】
関西本線を建設した関西鉄道は、上下兼用貨物線のある3線駅を標準仕様にしてた様で、2/3の駅がこの線形です。 中線撤去駅がチラホラ存在します。

【亀山駅-1】
快速亀山行は四日市から各駅停車、四日市行普通列車と合わせ、桑名等の途中主要駅の運転密度を上げると共に、近鉄対抗のスピードアップ策なのでしょう。

【亀山駅-2】
亀山駅で待ってた乗継列車は、JR西閑散線区単行運転用キハ120系、因美線・木次線で見ました。 16m級の寸詰まり車体です。

【亀山駅-3】
仕様がいくつかあるのでしょうか、バスの様な中折れ扉でした。

【亀山駅-4】
定時に発車、電車はスムースに発車し加速、昔に比べて落差が少なくなったとは言え、機関音の高まりと速度変化が一致しないキハでないと、ローカル線らしくありません。

【亀山駅-5】
架線がなくなり、亀山駅引上線が尽きる辺りで前方に鈴鹿の山並みが見えて来ました。

【関駅】
亀山次駅が古い宿場町の関です。 ここも中線撤去3線駅です。 加太越の山が目前に迫ってきました。 構内除草が行き届いてません、景色的には良いけどね。

【関-加太間】
関駅を過ぎると山に分け入ります。 昔のキハの様にエンジン全開で40-50km/hで平衡する事はなく、大出力エンジンの野太い排気音を撒き散らしながらグイグイ加速します。

【加太駅場内信号機】
加太駅が近くなりました、今回の大回り旅の本命『中在家信号所跡』と『加太トンエル』は加太-柘植間、もうすぐです。

【加太駅】
加太駅は関西本線には珍しい2面2線駅です、山間で敷地不足だったのでしょう、構内本線が大きくカーブしてます。

【加太-中在中在家信号所跡間】
中在家信号所引上線は加太方にあり大きく右カーブしてました。 右カーブで、右側に一段高い引上線台地があれば目的地と神経を集中しました。 60年前に取材したK氏は、加太駅から歩いて中在家信号所・加太トンネルを訪問したと思われ、頭が下がります。

【中在家信号所跡】
突然現れた中在家信号所跡地には、ポイント・路盤痕跡もなく信号所建屋土台と通票授受用の短いホームが草に埋もれてるだけでした。 この先本線左側に2本伸びてた発着線跡地は草木が生い茂り、完全に自然に還ってました。

【加太トンエル】
中在家信号所跡から1kmほどで加太トンネルです。 K氏によると、煙抜き竪坑トンネルが掘られ、入口に幕が設置されてたトンネルです。 トンネルに入ると出口が見えました、1km弱の片勾配直線トンネルで、蒸機時代は苦労した事でしょう。

【柘植駅-1】
加太トンエルを出て少しで柘植に到着します、良く手入れされた木造駅舎が残ってます。 22分乗継で駅から出て一服、右下に筆者バックが写ってます。

【柘植駅-2】
柘植駅も3線駅です。 最近鉄道旅してバリアグリー格差を感じます、亜幹線・ローカル線駅のエレベータ設置駅はまずありません。 60年前柘植には機関支区が置かれてました。 草津線C58や加太越補機D51の基地でした。

【柘植駅-3】
草津線は初乗車です、JR西近郊型4連電車が待ってました。 JR化後車両に興味がない事もありますが、JR西・九州の車両に接した経験がなく、形式名も解りません。 前面に聖火の様に捧げ持った部品は一体何なのか、国鉄時代の鉄道ファンにはサッパリです。

地図で山の中の路線と思ってたら、比較的平坦で直線が多い路線でした。 姫路始発鳥羽行のお伊勢参り快速列車が走り、60年前に廃止されてDC急行が走った時代もありました。

【貴生川駅】
草津線で一番乗降客が多い貴生川へ到着しました、当駅で列車交換です。 金曜日15時半で、帰宅高校生がどっと乗り込み、対向ホームにも高校生の姿は現代の風景です。

【浜大津京阪京津せ線併用軌道】
草津から新快速に乗換え、大津16時半着、徒歩10分少々のホテルにチェックイン、大津泊は15年振り2度目です。 最初に来た時、浜大津からの急坂併用軌道を疾走する京阪京津線4連急行電車に仰天し、もう一度見たいと思ってたのです。 夜は知人と会食、飲みかつ語り、楽しい時間を過ごしました。

【近鉄特急】
6/6は7時起床、大津8時前発新快速で京都下車、近鉄発券窓口で乗車券購入しました。 JR通し乗車券の方が経済的ですが、近鉄奈良駅の方が会場・ホテルに近く便利だからです。 35分で楽に行けて往復¥2,500少々でした。

【平城京跡を走る近鉄線】
西大寺から近鉄奈良間は平城京跡の中を走ります。 近鉄が敷設した時点では平城京位置が特定されておらず、発掘時には移設話もありましたが実施されず、爾来百年近く、近鉄線が平城京跡を走り続けた時間の方が、奈良時代(710-794年)より長くなりました。
俳句大会と帰路については、本題から外れますので割愛します。
ではまた。