Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

60年前5月の鉄道風景 Vol.1

lofthonsen

乗り鉄旅に出掛けてたのでレイアウト製作は進んでません。 60年前1966年5月の鉄道風景を日付順に紹介します、GW中の撮り鉄さん取材写真が始めに並びます。

アプト式廃止100年経過で『碓氷峠100年物語』掲載したのが2年前、1966年5月は2年半後なのに何でEF63と思ったら、7月からの碓氷峠複線運転開始に合わせた増備でした。

現在の京阪電鉄京津線の様に、鉄道線・軌道線双方の性格をを持つ地方私鉄が多く存在してました。 新潟交通もその1社で、この時代に併用軌道区間廃止と専用軌道付け替え工事が行われました。 新潟交通電車線は1999年に全廃されてます。

単線非電化急勾配のローカル線は数あれど、旧東海道本線として高規格レールで敷設されたのは御殿場線と呉線だけです。 重量級D52が旅客列車を牽いてました。

国内の車輌製造会社は輸出を始めており、帝車がタイ国鉄から受注した客車20両が完成してます。 タイ国鉄はメーター軌間で日本に近いですが、車内ボックスシートは片側4人掛けと6人掛けで修学旅行専用電車並み、居住性は十分ではなかった様です。

人吉がお茶の産地とは知りませんでした。 60年前の地域興し事業だったのでしょうね。 窓が開かないのは当時特急車両だけでしたが、現在は旧型キハが一部残るだけです。

紀勢本線海南-紀伊由良間複線化が進行中で、有田川橋梁を複線橋梁に架け替え工事が進んでました。 この工事合わせ線形改良が行われ、急曲線が解消しました。

青森電化前のDD51盛岡大量増備は良く解るのですが、盛岡-青森間だけでなく仙台-盛岡間の客車編成急行列車に運用されてたとは意外でした。 電機増備が間に合わなかった?

型式名9で始まる試作型電気式DLです。 1954年東芝がGEの技術導入で試作したDD41を、1958年に国鉄が入換機とし購入し、DD90と改番し運用してました。 増備される事はなく、DD13量産で消えた形式です。

長野・松本電化完成直後に、国鉄は長野原線電化の優先順位を上げ工事を進めてました。 直江津電化、中央西線・篠ノ井線電化を優先すべき時期に、長野原線電化を優先したのは、後に総理大臣になった地元政治家への国鉄の忖度だったのでしょうか。

そうです!コレです、写真3ヶ月後の昭和41年8月7日早朝に、筆者は平泉に降り立ち、10両近いD62が解体待ちで赤錆て数珠繋ぎになってたのを目撃しました。

首都圏外環状線武蔵野線の建設工事が進んでました。 高崎・東北線とは南浦和で交差し、

武蔵野線と北行(大宮操車場)、南行(田端操車場)方面連絡線が建設されました。

国鉄路線との競合が首都圏より厳しかった関西圏大手私鉄では、高加速・高減速新型各停用電車投入が盛んでした、阪神ジェットカーもその一つです。 国鉄と直接競合する特急電車スピードアップには、停車駅を減らすか先行各停待避駅を増やすしかなく、それができない関西大手私鉄は、各停電車のスピードアップを選択したのです。

記事内容の長野-飯田間『第1・2赤石』の運転区間は間違いで、新宿-飯田間です。 篠ノ井線電化はまだ先で、篠ノ井-松本間を165系が走れる訳がありません。


急行『赤石』はTcMMc3連だと思ってましたが4連でした、と言う事は新宿発車時の急行『アルプス』は13連だったと思われます。 松本行基本編成にはサロ2両とサハシが連結されており、6M3Tの9両編成でないと辰野-塩尻間の峠を越えられないからです。


ではまた。

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