スカ線70系から111・113系へ
70系は1951年登場し、スカ線と京阪神緩行線に投入されました。 スカ色塗装のモハ42・51系(3扉改造車含む)と混成で両線の主役を務め黄金時代を築きました。
★111・113系登場
東海道本線・京阪神快速線に80系を運用してましたが、急増する通勤通学需要に80系の2扉クロスシートデッキ付車体は乗降性が悪く、両開き3扉セミクロスシート11系が1962年6月に、主電動強化113系が1963年12月に登場し、上記2線とスカ線にも投入されました。

111系登場時は湘南色塗装で、誤乗防止の為スカ色行先表示板を使用してました。 翌年113系配備後も、湘南色・スカ色混成列車がしばらく見られました。

スカ線用111・113系は順次塗装変更されましたが、スカ色は車体形状との相性で2種あり、1965年に青部分を増やした新スカ線塗装が登場し、順次変更されました。

111・113系登場後、スカ線70系が一気に消えた訳ではなく3年半後、1966年正月に70系12連が元気に活躍してました。 鎌倉鶴ケ丘八幡宮への初詣客を満載してたのでしょう。

スカ線車両基地だった田町電車区(1962年5月大船に移転)在籍70系両数を見ると、1963年7月、111系配備・113系増備前にピークを迎え、1966年4月でも7割近くが在籍してます。 70系から113系への置き換えが、比較的緩やかに進んだのが解ります。

同日同場所の113系スカ線は15連で、長編成化で輸送力が1.25倍に増強されてます。 前方付属編成4両が青部が広い新スカ線塗装、基本編成11両は変更前旧塗装です。 それと列車番号誤植、奇数下りなのに、前写真1503Sの手前線を走行しており、上り列車です。

スカ線111・113系投入に合わせ、線内ホーム延長工事が行われたハズですが、それに関するニュースは見た記憶がありません。

この写真は望遠レンズで線路敷外からの撮影に見えず、東海道下り貨物線上から隣の東海道本線上り線を走り去るスカ線を撮影した様に見えます。 貨物列車は前方から来るので危険回避可能と考えたのでしょうが、そもそも線路敷は立入禁止の国鉄用地、『撮り鉄さん』の中に行儀を弁えない人が居るのは今も昔も変わらない様です。
★70系の地方転出
70系の地方転出が本格化したのは1963年の113系配備後でしたが、その動きは早くから始まってました。 余剰になってからの地方転出とは少し事情が違いました。

阪和線の70系配備は1955年12月で、スカ線黄金時代の最中でした。 天王寺-東和歌山間特急(追加料金不要、後快速)用に運用されました。 大阪鉄道管理局が大阪中心の京都・神戸・和歌山3方向の旅客サービス均質化を考えたのかもしれません。

中央東線高尾以西、通称『山線』の70系配備は1957年に開始されており、これも111系登場の4年前です。 小仏トンネルを始めとする狭隘トンネル通過の為、低屋根化改造車が使われました。 現山梨市駅が日下部駅だったのは1957年1月まで、小学1年生だった筆者は、家にあった愛読書『交通公社時刻表』で知ってました。

低屋根70系による新宿-甲府間の電車運転は、松本電化後まで続きました。 中央東線トンネル拡幅化で低屋根改造車両不要になったのは何時だったのか解りません。

当時中央東線最初の単線区間が小仏トンネルで、入口側に小仏信号所がありました。 1964年に新小仏トンネル供用開始で高尾-相模湖間が複線化され、信号所は廃止されました。

1950年代前半、京阪神快速線には80系、緩行線には70系が運用されてましたが、1950年代後半になると快速線の混雑が酷くなり、乗降性の良い70系が運用されました。

上越線は1931年開業時から水上-石打間が、長大な清水トンネル蒸機運転が無理で電化され、1947年全線電化されてます。 1950年代中頃、水上-石打間で70系による耐寒耐雪試験が実施され、1962年から長岡への70系配備が開始され、上越線ローカル列車に運用されました。 スカ線111系配備による第1陣転出車と言えます。

1966年7月、拙ブログで複数回紹介した中央西線瑞浪電化で、70系多数が転属しました。 スカ線113系増備時期に重なり、名古屋近郊長編成運転でかなりの両数だったでしょう。 1968年8月の中津川電化で、中央西線70系は更に数を増やしました。
新規電化は全て交流電化で、70系使用可能線区は限定され、他には飯田線や福塩線への転籍記録が残ってます。 70系の活躍期間は意外と短く、車齢30年の1981年までに運用が終了されてます。
ではまた。