Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

さよなら汽車ポッポ再び

1月31日更新の以下記事で、釜石市内で撮影された廃止直前製鉄所鉱石輸送専用線写真と、シーナリーガイドK氏の陸中大橋駅訪問記が繋がった話を紹介しました。


◆釜石製鉄所専用線の話


釜石製鉄所専用線レポート執筆者は、新聞記事で1965年3月に廃止される事を知り、釜石を訪問してます。 以下がその新聞記事の写しです。

【1月31更新記事より新聞記事写し転載】
この記事は1965年1月4日付け河北新報に掲載されました。 地方紙でも廃止2ヶ月前の報道で、多くの人の目に触れたと思います。 ナロー蒸機が姿を消すとあって、記事を見た東北地方の別の撮り鉄さんが訪問し写真を残してます。

1月31日記事には写真が少なかったので、合わせて見る事で理解が進みました。

大橋行は釜石製鉄所で鉄鉱石を下した空貨車を牽いて、大橋鉱山へ登ってゆく列車です。 大橋は谷が狭まったドン詰まりに位置しますが、撮影地大畑はまだ山の中の平地です。

歴史の長い専用線には多くの車両が在籍してましたが、本線運用するのはエアブレーキ装備の206-209号タンク機と8.8t積コソ型貨車だけで、これがそのタンク機とコソ型貨車です。 貨車は2軸で、サイド蓋を開けて積荷を落とすホッパー型構造なのでしょう。

【1月31更新記事より転載】
2枚の写真が撮影された大畑を路線図で確認すると、釜石から大橋へ2/3ほどの位置で、専用線は釜石から遠野へ抜ける県道沿い、釜石線は山の中を直線的に走ってると解ります。

【大橋に到着した空車回送列車 背景は鉱石積込】

空貨車を牽いた列車が陸中大橋に到着しました。 背後にK氏レポートに写ってたホッパーやコンベアーが見える事から、国鉄陸中大橋駅構内に乗り入れてたと解りました。

【過去記事より転載】
K氏訪問時は専用線廃止数年後で、鉄鉱石輸送は国鉄が肩代わりしてましたが、専用線時代は大型ホッパー下に762mm軌間レールが敷かれ、コソ型貨車に積込みされてた様です。

専用線には転車台がないので、大橋発製鉄所行列車は、タンク機が逆推進で牽引します。 明治時代に川沿いに県道と並んで建設されたナロー専用線と、昭和に建設された谷を一気に跨ぎ、山をトンネルで抜ける国鉄釜石線の建設時代差が良く解ります。


この時代釜石-遠野間にはバス路線が開通しており、交通量が増えて県道を拡幅するには、製鉄所鉱石輸送専用線を廃止するしかなかった背景が納得できる風景です。

釜石製鉄所構内はエアブレーキ装備のない機関車の職場です。 貨車も8.8t積コソ型でなく149両在籍してた8t積コソ型の様です。 本線運用コソ型は、製鉄所構内の鉄鉱石集積場で荷下ろしし、集積場から各高炉まで積み替えて構内輸送してたと思われます。


と言う事は、専用線廃止後大橋から釜石まで鉄鉱石輸送を肩代わりした国鉄は、新設された引き込み線で集積場まで輸送して荷下ろししてたのではないか、つまり専用線廃止後も構内輸送はナロー軌間鉄道が稼働してたと想像できます。

構内専用蒸機2022号機は休車中です、代替DLが配備されたからでしょう。

こちらがそのDL、本線運用がない構内専用機なのでエアブレーキ装備なしです。 筆者が想像した廃止後構内輸送が継続してたとすると、蒸機廃止後も長く活躍したでしょう。

2015号機はエアブレーキ装備のない構内専用機ですが、何故か大橋まで出張してます、大橋構内入換に従事してたのでしょうか。

同じく大橋での208号機、2015号機と同型の様ですが、本線運用機なのでボイラー上に大型のエアタンクを乗せてます。 前回更新時に現地在住の方からコメントを頂戴し、専用線がかつて存在した事もご存じなく、遺構も残ってないとの事でした。


大橋鉱山は1993年に閉山、ホッパーも撤去済だと思いますがループ線があり、もう一度訪ねてみたい場所の一つです。 歴史に埋もれたナロー鉱山鉄道の話はこれで完結です。


ではまた。

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