Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

今年は落選 俳句の話

昨年末の1年の振り返りに、NHK全国俳句大会入選についてこんな事を書きました。


『結社では満3年で同人に昇格し、俳句作家として認められた形になってましたが、公的な勲章は何もなかったからです。 今年も応募し昨年同等かそれ以上を狙ってます。 結果通知は1月末、公開可能は3月末です、大口叩いて落選では大恥晒しますが。』


短歌が趣味の嫁さんと昨年は夫婦揃って入選したのに、今回は嫁さん2首入選、筆者は落選で正に大口叩いて恥を晒す結果になりました。 自信あったのですが、自作句の客観的評価が難しいのは常に感じてます。 全国大会はレベルが高いと思い知らされ、落選作はボツにして、昨年夏の北海道旅の句を紹介します。

昨年5月10日空路で旭川入りし、空港でレンタカーピックアップして、10年前に通った宗谷本線東六線駅へ行きました。 駅名は何もない開拓地ナンバリング道路で、古レール骨組みに古枕木乗せた短いホームの、仮乗降場昇格無人駅でした。 『仮乗降場』は8音になり、俳句は中八を嫌うので、『仮乗降所』としてます。 一般人には通じますからね。


確か廃車掌車の待合室があったと思いますが、ナビ指示目的地踏切には何もありません。 近所(と言っても数百m間隔)の家に聞いて回ると、コロナが流行り出した3年前に、旭川-名寄間の仮乗降場昇格駅が一斉に廃駅になったとの事、廃線できない路線は廃駅で経費削減のJR北海道でした。 痕跡さえ残ってない東六線駅跡には爽やかな風が吹いてました。

翌5月11日は旭川から富良野・新得を経て帯広までの行程、廃線直後の幾寅駅訪問後、国道から狩勝峠旧線方向を遠望しました。 旧線廃止から58年、競合脱線実験線廃止から45年、現場に立った訳でも、朽ち枕木を目にした訳でもありません。 でも廃線痕跡として路盤跡は残ってるでしょうし、バラストは散逸しても、枕木破片はあるのではの想像句です。

新得から帯広へ直行せず、糠平湖へ大きく迂回しタウシュベツ橋梁へ寄り、幸運にも増水前で水没しておらず見る事ができました。 『湖』と書いて『うみ』と読ませます。 国道脇駐車スペースから展望台まで、熊除け鈴鳴らしながらの往復でした。

5月12日は日曜で母の日、音別(オンベツ)の丘は墓地になっており、母を偲ぶ墓参りの人が大勢来てました。 山瀬は冷害の原因になる霧を伴う湿った東の風で、夏の季語です。 到着時にあった視界をみるみる覆い尽くし、列車通過音はすれど霧の中状態でした。

翌5月13日は終日本降りの雨、厚岸先の湿原撮影ポイントでは、雨で滑る草付急斜面を攀じ登り、列車が来た時に折り良く視界が少し利く様になりました。 花咲線列車は湿原通過時は30km/hの徐行運転、観光目的乗客への配慮の様でした。

厚岸湿原次の訪問地落石は風雨が強まり、超有名な撮影地に近付けない天候でした、地の果まで来て諦めるのは惜しいと、14日の行程変更して早起きし、始発列車を撮影しました。 初夏は『しょか』ではなく、『はつなつ』と読ませます。


今回は北海道旅前半の作句を紹介しました。 お気付きかと思いますが風に係わる夏の季語を多用してます、5月の北海道では風の心地良さを強く感じたからです。 後半の作句は日を改めて、ネタ不足の際にでも紹介するかと考えてます。


ではまた。

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