Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

KATOさんそりゃーないでしょ!

3月16日更新でKATOフォーリッジが入手難でプレミア価格になってる、フォーリッジクラスターも市場から姿を消してるとお伝えしました。

【拙ブログ3月16日更新】
これに対し『524spider』さんと『がおう☆』さんからコメントがあり、
★KATOフォーリッジ⇒KATOプランツシート
★KATOフォーリッジクラスター⇒KATOテラプランツ

と製品名変更になってると教えていただき、ありがとうございました。

フォーリッジの在庫がある模型店から9袋調達しましたがまだまだ不足します、プランツシートがどんな製品か確認して置かないと先々困ります。

【筆者常用通販店製品ページより】
欠品中表示で入荷したらメール通知設定しましたが、製品置換ならメール来る事はないでしょう。 レイアウト製作着手した8年前は¥500、これまでに30%価格上昇してました。

【筆者常用通販店製品ページより】
これがフォーリッジの製品説明、『細かいネットに細かいスポンジ粒をからませた素材』と説明してます、380mリットルの容積表示です。

【筆者常用通販店製品ページより】
その置換製品プランツシートは価格が¥100近くアップ、写真なしです。

【筆者常用通販店製品ページより】
その製品説明は『塊になっている葉の素材』で、これだけ読むとフォーリッジクラスターの様で、とてもフォーリッジ同等製品と思えません。 表示も容積から464平方センチと面積に変わってます、塊素材なら面積表示は変です。 通販店はKATO提供製品説明転載してるだけで、KATO HPに説明あったとしてもユーザーにそれを読む義務はなく不親切です。

現物を見なければ何とも言えないと発注し到着しました。 パッケージが変更されてますが、見た目も袋の上から触った感触もフォーリッジです。

開封して広げてみました、スポンジ粒がパラパラ落ち、フォーリッジと色も全く同じです、でも何だか少し小さくなった様な、380リットルと464平方センチでは比較できません。

先日調達のフォーリッジ1袋で針葉樹人工林樹木が31本できました。 延伸線北基台西端に60-70本必要なので、同じ樹木が何本できるかで比較する事にしました。 ハサミで切る感触も素材を幹に差す抵抗感も全く変わりがなく、フォーリッジと完全に同一素材です。

結果には驚かされました、たった20本でした、内容量は約2/3です。

ストックが51本になりましたがまだ不足しそうです。

値上げ率計算すると何と77%、コロナ巣籠り需要で伸びてると思ったら、逆に収入減で趣味費用削減され、経営が苦しいのでしょうか?

だったらこんないんちき臭い手品でユーザー惑わす事せず、苦しいから値上げさせてくださいの方が余程潔くスッキリします。 その方がKATOらしいと思いますがね。

相方フォーリッジクラスターは使い掛けと未開封5袋もあり調達不要ですが調べました。

【筆者常用通販店製品ページより】
欠品中表示でこれも今後の入荷はないでしょう、8年前の¥1,000からやはり30%の価格上昇です。 製品の販売単位が大きく小型レイアウトでは無駄が出るのではないでしょうか?

【筆者常用通販店製品ページより】
製品説明は『スポンジ粒をつながったかたまりとした物』で、容積750mリットルです。

【筆者常用通販店製品ページより】
こちらがその置換製品テラプランツ、写真はありませんが価格は変更なしで同じです。

【筆者常用通販店製品ページより】
製品説明はやはり変更、素材組成説明がなく用途だけです。 そして750mリットルから832mリットルに増量???、実質的な値下げはまずなく値上げだと思います。 フォーリッジクラスターでKATOはどんな手品使ったのでしょうか?
KATOさん、このやり方、らしくないですよ!


ではまた。

鉄道模型販売店の栄枯盛衰に想う

前回TMS1968年12月号掲載広告から鉄道模型製造メーカーの栄枯盛衰を見てきました。 今回は鉄道模型販売店の栄枯盛衰を見ていきます。

【擁壁下築堤を往く】
製造メーカーの多くは販売も行ってました、ただし自社製品と一部取引関係があるメーカー製品だけです、例えばカツミでは天賞堂/カワイ/鉄道模型社製品を扱ってませんでした。


4.鉄道模型販売店
鉄道模型販売店とは各社製品を幅広く販売してる店舗です。

【TMS1968年12月号より】
その代表は各デパートの模型売り場です。 街の模型屋さんも数多く存在し、各社製品販売に加え、模型店独自開発のキットやパーツ販売で特色を出してました。 つまり独自開発品に関してはメーカーでもありました。

【TMS1968年12月号より】
みどりやの広告がそれを一番良く表してます。 カワイを除く大手3社にトビー/つぼみ堂/宮沢模型製品を販売し、独自製品京急1000型ペーパー車体キットの販売もしてます。 みどりやは1993年廃業してます。 

【TMS1968年12月号より】
カツミEF66とピノチオ模型製車体キット写真広告のニットー教材も模型販売店でした。 東京近郊では国鉄駅数駅に一つはこの様な「模型屋さん」があった様に記憶してます。

【TMS1968年12月号より】
右下を拡大すると大手中小全社に加え専業メーカー製品も多く扱っており、『何でも揃う』の看板に偽りなしです。 ニットー教材も時期不明ですが廃業してます、鉄道模型が模型店で見て確認して買う製品でなくなったからです、デパートからも姿消したのでしょうね。

【TMS1968年12月号より】
ピノチオ模型も各社製品を扱う販売店でした、独自製品も多く前出ニットー教材にも供給してました。 リーマンショックを乗り越え生き永らえましたが2013年廃業してます。

【TMS1968年12月号より】
さんご模型も各社製品を扱う販売店でした。 鉄道模型社下請けからのスタートで、プレスやエッチングパーツ品揃えが豊富なのが特徴です。 ここは16番、HO(1/87、12mm及びナロー9mm)部品供給メーカーとして事業継続してます、コア技術の強味だと思います。

【TMS1968年12月号より】
関根模型も各社製品を扱う販売店で、蒸機の特注加工なども手掛けてましたが廃業しました。 当時として珍しく16番とHOを混同しており、マニアから??だったと思います。

【TMS1968年12月号より】
取扱い製品明記してませんが大阪の模型販売店です、オリジナル16番車両携帯ケースが載ってますが、20両入りで電機が買えた高価格です。

【TMS1968年12月号より】
他にも年数回広告掲載する様な小さな模型店が数多く存在しました。 左の北沢理科教材社の地図は、246号線を玉電が走り、首都高3号線がなかった頃の三軒茶屋です。

【TMS1968年12月号より】
そんな中で忘れられないのが二子玉川のいさみやさんです。 高校時代の学校帰りに度々寄り、ご健在なら90代のご主人と模型談義したり、部品/製品情報教えて貰ったりしました。 TMSバックナンバーを高価で引き取ってくれたのもいさみやのご主人です。

【いさみやロコ・ワークスHPより】
それ以来50年以上足を運んでませんが現在も営業してます。 当時からペーパーキットなどオリジナル製品販売に力を入れており、鉄道模型再開時に16番通票閉塞機出してるのを知りました。 オリジナル製品が生き残りの鍵だったのかもしれません。

【TMS1968年12月号より】
珍しい東海地区模型販売店の集合広告が掲載されてました。 小規模店で調査しようもありませんが、その大部分は廃業したと思われます。


通販がなかったから鉄道模型販売店が多く存在した側面はありますが、それだけではありません。 当時の鉄道模型は取扱いが難しくて壊れ易く、修理や調整が必要な製品でした。 信頼できる店員さんやご主人の居るお店から対面販売で買う製品だったのです。

現在私たちが『コンビニ』『通販』『宅配』『ユニクロやワークマン』で購入してる物品を当時は違う場所で手に入れてました。 鉄道模型もそれと同じ事なのだと思います。


ではまた。

鉄道模型メーカーの栄枯盛衰に想う

手元に残ったTMS最後は1963年12月号通算186号です。 1964年1月号以降は一括売却したハズなのに何故か1冊だけ残ってました、バックナンバーは連続してこそ価値があるので、売却後中抜けで1冊購入した様です。

それが1968年12号通算246号で186号とは丁度丸5年の開きがあります。 この5年には大きな動きがありました、東京オリンピック開催に湧き、1966年が底の不景気、大阪万博開催が決まり再び経済活性化、国民の誰しもが豊かさを実感できる様になった良き時代でした。


第一回目の今回は『鉄道模型メーカーの栄枯盛衰に想う』と題し、各社TMS広告から見える鉄道模型界の変遷を俯瞰してみたいと思います。


1.大手鉄道模型メーカー4社
大手と言ってもニッチ市場なので、自社設計生産スケールモデル製品ラインナップを揃え、自社製品のみ扱う店舗を持ち、デパートや街の模型店で製品が販売されてた4社です。

【TMS1968年12月号より】
一番手は天賞堂、海外HOと国内16番から、5年間で大成長したNゲージ、そしてライブスチームにまで手を広げてるのが目を引きます。 高品質だけど高価格が定評で、トランジスタコントローラは大きな衝撃でした。

【TMS1968年12月号より】
大手二番手はカツミ、この号は入門セットに的を絞った広告です。 大卒初任給が2万円少々の時代ですからセット価格はかなり高価です。 この頃10歳下弟のプラレールステップアップにNを薦めた記憶があり、入門セットシェアをNにかなり食われてたと思います。

【KTM本社ビル】・・・同社HPより
中学生時代に目黒から都電に乗り魚籃坂下にあったカツミに目の保養に行った思い出があります。 レイアウト製作を決断した10年前には、本社近く環状6号線沿いにあったショウルームを訪問し、真鍮製16番蒸機価格23万円を見て『こりゃNしかない』と決めました。

【TMS1968年12月号より】
大手4社序列は当時の一般的認知度で付けましたが、くしくも上位2社が生き残り下位2社は市場淘汰されました。 河合商会廃業は2012年、良い模型欲しい車両作ってたのに何故が筆者に縁のないメーカーで、交通博物館の帰りに店頭レイアウト眺めるのが楽しみでした。

【TMS1968年12月号より】
大手4社殿が鉄道模型社、16番木製道床レールや153系、台車等パーツ類で一番お世話になったメーカーです、鉄道模型再開後名前聞かないので消えたと思ってましたが、本記事作成調査で1997年廃業と知りました。


2.中小鉄道模型メーカー
大手4社を除くとスケールモデル製造販売メーカーは限られてました。

【TMS1968年12月号より】
トビーはバランスの取れたスケールモデルメーカーとして認知されてました。 広告にあるC11、6760の他に8670、C58を販売してましたが、80年代末に姿を消した様です。 市場がNにシフトし鉄道模型製造業が金属加工業から精密成型業へ業態変化した結果です。

【TMS1968年12月号より】
TMS毎号に広告掲載し、スケール蒸機はないものの電機・電車を中心に多品種モデルを製造販売してたのがつぼみ堂です。 16番真鍮製鉄道模型製造販売で生き残りは難しく、調査した処、この広告掲載10年後1978年廃業でした。 前出トビーと同じ道を辿ってます。

【TMS1968年12月号より】
遠藤(TER)は貨車や入門用自由形EB機、また自動踏切などユニークな製品を販売してたメーカーで、この号ではラッセル車が広告を飾ってます。 『遠藤商店模型製作部』という名称から、鉄道模型で生き残れなくても本業で生き残ってるかもしれないと調査した処。

【株式会社エンドウHPより】
有限会社遠藤商店が鉄道模型総合メーカー株式会社エンドウとして発展存続してました。 真鍮/プラ16番車両に加え、両渡線含む独自レールシステムやパワーパックをラインナップする正に総合メーカー、何が生き残り成長のキーファクターだったのか興味があります。

【TMS1968年12月号より】
筆者が唯一所有してた国鉄蒸機C58の製造元宮沢模型は、この1968年時点で鉄道模型製造販売から卸売業へ経営の軸足を移してる事が広告からも読み取れ、現在も存続してます。

【TMS1968年12月号より】
そしてここで忘れてならない現在の大手2社の一角KATOです。 車両製作の楽しみを捨て、レイアウト製作に特化したゲージとしてNは定着し、次第にシェアを伸ばしてました。 TOMIX参入は8年後1976年なので、この号に広告ありません。 しかし写真見れば16番かNかすぐ解った細密感差が現状まで進化するとは想像する事さえできませんでした。

【TMS1968年12月号より】
歌川模型は鉄道模型社から独立した方が創業者で、鉄道模型社廃業後は一部製品を引き継いでましたが2004年に店主が亡くなり廃業してます。

【TMS1968年12月号より】
ひかり模型も鉄道模型社からの独立創業者で、大手が手を出さない領域の金属車体キットを手掛けてましたが、店主が亡くなり廃業した様です。


3.専業鉄道模型メーカー
他社と競合しない自分の土俵を作って戦った専業メーカーです。

【TMS1968年12月号より】
一番に挙げるべきは最近廃業したフレキレール専業のシノハラだと思います。 16番レイアウト製作を計画してた筆者は4番/6番ポイントや曲線レールをバイト代で買い集めましたが敷設する事なく廃棄になりました。

【TMS1968年12月号より】
無印が真鍮♯100、★が洋白♯100、☆が洋白♯70レールです。 1970-2010年鉄道模型界事情を知らないので的外れかもしれませんが、何故Nフレキに舵を切らなかったのでしょう?、16番と異なり専用ポイントマシンやSW発売など電気のハードル下げる努力は必要でしたが、Pecoと同等品質で価格2/3のレイアウト敷設専用Nレールを供給できたハズです。

【TMS1968年12月号より】
日光モデルはダイキャスト製台車に特化したパーツメーカーで現在も営業してます。

【TMS1968年12月号より】
今井製作所は電源専門メーカーでカツミやエンドウにパワーパック生産納入しながら、自社でも販売してました。 当時は田無でしたが現在は東村山で営業継続してます。

【TMS1968年12月号より】
マッハは大阪のメーカーなのでTMS広告で名前を知ってただけです。 改めて見ると真鍮/ペーパー車体キットから塗料/電源キットなど幅広い製品をラインナップしてます。

【マッハ模型HPより】
調査すると現在も塗料/パーツ/特製完成品専門メーカーとして営業してます。 こうして見ると小規模でも固有技術を持ち、得意分野に特化したメーカーが生き残ってる様です。

【TMS1968年12月号より】
京都のマツモト模型は名工と言われた初代創業者松本正二氏の手になるペーパー車体を売りにするメーカーで専業メーカーに分類しました。 現在も営業しており57年前¥1,300の旧客ペーパー車体が現在は¥18,000で14倍、物価上昇率の倍の高価格になってます。


今回の鉄道模型メーカー俯瞰から、製造業が成長期から成熟期になるに従い、メーカー数が減って大手に集約され、それ以外は特徴を持った小規模メーカーのみが生き残るという他業界で起きた事が鉄道模型業界でも起きてたと解ります。 今回はここまでにします。


ではまた。