Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

河岸段丘ユニット背景写真撮影行 後編

前回の続編です。 昼食後そのまま清里に向かい八ヶ岳中腹を周回する通称鉢巻道路で帰るのが早く紅葉も楽しめると思いましたが、途中で気が変わり気儘な進路になりました。

右中央道須玉IC 30分コース、直進清里1時間コースです。 選んだのは左折『穴山駅』、山に凝ってた50年以上前に始めて停車し、諏訪転居してからあずさで何百回と通過してますが一度も下車した事ありません。 それでフッと行ってみたくなりました、暇だしね。

小さな駅と解ってましたが駅舎は公園の公衆トイレほどのサイズで勿論無人駅、昔がどうか知りませんが自販機一つだけ、タクシー営業所どころか店があった痕跡すらありません。

駅舎30m手前で車は通行止、午後1時前で駐車スペースには工事の方が昼寝してました。

券売機が置かれただけの駅舎を抜け島式ホーム跨線橋上からの画像です。 穴山駅は元スイッチバックで、現在のホームが25‰勾配の単線本線、7-8m高い右手平坦な場所がかつての穴山駅構内でした、現在の駅舎はスイッチバック廃止時に旧構内に建設された物です。

穴山駅前通りの両側は民家で幅員の狭い道が100mほどで突き当りになってます。 後ろの小高い丘に能見城跡の看板があり、信玄に臣従した穴山氏の居城跡だと思われます。

突き当り交差点を走る道路は七里岩ラインと命名されてました。 七里は28kmでピンと来ました、信玄の時代、延々と続く釜無川河岸段丘は『七里岩』と呼ばれてたのでしょう。

駅前の『七里岩ライン』は旧道、部落を抜けると広いバイパスに合流します。 最近の地方はバイパスだらけ、旅行時は旧道選んで走らないと地域独特の文化歴史もバイパスです。

『七里岩ライン』進むと日野春駅前に出ます。 上り勾配中休みの平地にある日野春は国鉄時代はホーム2本3線駅で待避線と貨物側線がありましたが、今は対向ホーム2線駅で跨線橋があります、線路撤去だけで改修されなかったので木造駅舎が今も残ってます。

日野春ー長坂間の水田に長野県では見た事ない北海道牧草地の様な大型ビニールシート巻ロールが並んでました。 ワラボッチ天日干しせず大型機械で巻き飼料にするのでしょう。

長坂ー小淵沢間複線化は50年前に完成しており、長坂駅は引上線が上下本線間に割り込む珍しい形のスイッチバックでした。 廃止後の現在は短縮された引上線が保線車両置場に使われてます。 それにしても現在幹線のバラスト肩の盛り上げ方はスゴイと思いました。

長坂の次、特急停車駅小淵沢から分岐する小海線の有名な築堤大カーブに寄ってみました。 画面左奥から半径250m/180度の大カーブで、野辺山の国鉄(JR)最高地点へ向け33.3‰連続勾配が続きます。

地図で見ると築堤大カーブのスケールが解ります。 このYahoo地図に『八ヶ岳高原線』と表記されてます、JR化後の名称変更でしょうか?、由緒ある路線名がチャラチャラ名称に変わったとすれば淋しいです。

そう言えばコロナ禍で直前キャンセルになった高松行に備えてン十年振りに購入し結局無駄になった時刻表があったと調べてみました。

時刻表には『小海線』と表記されてました、中央本線は黒、小海線・身延線・飯田線の青表記は幹線と地方交通線の区分の様です。 かつての幹線信越本線が新幹線開通で第三セクター信濃鉄道として経営分離され、ローカル線小海線がJR線で生き残ったのは皮肉ですね。

山梨/長野県境付近からは南北40km近い八ヶ岳連峰が一直線に並び、全て中央最初のピーク編笠山の陰に隠れます。 左側のピークは前衛の御小屋山で、この山の国有林から伐り出された大木8本が再来年七年目の御柱祭で曳行され諏訪大社上社に建て替えられます。

高原野菜大規模農業の裕福な原村セロリ畑が1km以上先まで農道両側に続いてます。 出荷作業は午前3時から、同じ風景で迷わぬ様ここは3番の札(7番まであり)が立ってます。

過去記事に何度か登場した大規模農家農機駐車場、稲刈りと冬支度が一段落したのでしょうか、平日なのに半数近く入庫してました。

同じく桜満開時期に写真掲載した標高950m地点です、 満開から丁度半年で紅葉、でも桜は花を見る物で紅葉はペケです、最近億劫で散歩でここまで足を伸ばす事がありません。

【2020.04.30更新より転載】
と言う訳で直線距離50kn少々、あちこち寄り道しての撮影行は午後3時前に無事帰宅して終了、久し振りに旅気分を味わいました。


ではまた。

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