Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

災害時に見る日本人の変化に想う事

6月19日の県境を越えた移動自粛要請解除の2週間経過後から新型コロナウィルス感染者数が増加に転じ、東京は連日百人超です。 「夜の街」「若年層」集中と死者数が少なく医療体制余裕がある事から、政府は経済優先路線ですが第二波到来が心配されます。


外出自粛と休業要請で悲惨な状況だった首都圏に比べるべくもありませんが、観光立県長野の影響も深刻、老舗旅館廃業などのニュースは暇なく、県独自で県民対象宿泊費助成や小規模事業者持続化支援を行ってます。

【掲載画像は記事本文と関係ありません】・・・以下同
罰則・強制力のない休業要請と補償がセットで語られる事が多く、商店街や歓楽街の窮状を伝えるニュースを見て時々違和感を感じました。 コロナは天災、政府や自治体責任でなく救済義務もありません、あくまで経済社会活動影響を最小限に抑え、社会を維持する為に莫大な国費を投入し様々な施策を打ってます、休業補償もその一部です。 例えが適切かどうかは別として、江戸時代大飢饉時のお助け米と基本的性格は同じです。

さて支援策を受ける側の意識変化が随所に垣間見えるのが筆者違和感の正体です、コロナ休業要請関連ニュースで半数近くの方が『休業要請に従うなら補償が当然』と考え発言してました、『客来ないから店閉めて補償金貰った方が得』なんて声も聞こえます。


自分の生命/財産は自分で守る意識の希薄化、税金払ってるんだから天災含め政府援助は当然という権利意識の向上、情報インフラ整備等技術進化や生活レベル向上が背景にあると思われ、是非を論じてるのではなく、起こるべきして起きた変化と感じてます。

この傾向は世代を問いません、先日の球磨川豪雨災害時に水中に取り残された車から救助された70代男性のコメントです、『買い物へ行こうとしたら急に水嵩が増え動けなくなった、通行止めになってなかった』、危険なら通行止めにして住民の安全を図るのは行政の責任と考えてなければ出てこないコメントです。


同世代までこの変化が及んでると知り、時代の流れを感じると共に、個人的には暗い気持ちになりました。 コロナ実害些少ですが先日10万円一律給付が振り込まれ、小さく使い難い安倍マスクも届きました。 年金源泉徴収額は馬鹿にならず、特別還付金と考え有難く頂戴しました。 これら全て税金です、将来世代負担が更に重くなりました。

急カーブで増加してた外国人観光客は9割以上激減、再延期は有り得ないオリンピックは開催できるのでしょうか?、この2項だけで莫大な経済効果です。 一旦は大幅に下げた日経平均は持ち直してますが実体経済を反映しておらず、世界的に大暴落を恐れる投資家心理の反映と見てます。(筆者は老後資金一部を市場運用する極小規模投資家です)

役員を務める高齢者クラブイベント再開は目途が立たず、嫁さんの介護施設傾聴ボランティアも2月から中止のまま、地域の絆希薄化加速が心配です。 足のない高齢者病院送迎は『事故が起きたらどうする?』、独居高齢者への手作り弁当配食サービスは『食中毒起きたら誰が責任取る?』、そんな話ばかりのギスギスした嫌な世の中になりました。


先が見通せない状況の中、仕事・子育てのコロナ対応に苦慮されてる皆さんには大変申し訳なくまた後ろめたいですが、コロナ禍が現役時代でなくて良かったと思います。 日本は何処へ向かうのでしょうか?


ではまた。

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