Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

スマホでレイアウト散歩②

シリーズ2回目は中山平へ向かい、周辺を散歩します。


◆昼過ぎの客レ
定時に上り列車がやってきました。

D51牽引旧客列車です、停車時間は3分、機関庫見学してホーム端で列車撮影したので、ホーム先端の給水作業を見に行く暇もなく、後ろから2両目に乗車しました。

汽笛を鳴らして発車、ゆっくりした加速です。 跨線橋を潜るとホームが切れ、先程見た小さな社と住宅が見えました、その先には公営住宅と中学校がありました。

反対座席に移動すると築堤の上から稲刈りが終わった水田を見下ろせます。 昭和45年に始まった180度転換の農業政策減反はこの地にも影を落としてます。

小川鉄橋を渡った辺りから、走ってきた築堤と中学校が遠望できました。

ここでまた座席を反対側へ移動、丁度目の高さに水田の畔があり、上半分の視界です。 倉のある立派な農家が見えました。 庭の柿はこれから干し柿にするんでしょうね。。

次第に畔が低くなって視界が広がり、警報機のない踏切から鎮守様が見えました。 そこから野小屋前を通り、うねりながら簡素な橋へ登ってゆく農道が見えます。 山には初雪が降った様でうっすらと雪化粧してます。

列車は速度を落とし中山平駅に進入します。
[註]下り本線ポイント速度制限標識頭が紛失してました(汗)

中山平で下車し車窓から見えた鎮守様や農家の方向に行ってみる事にしました。 小駅の中山平はホームと一緒に街並みも途切れます。 大衆食堂・病院・よろず屋、反対側消防屯所と倉庫があるだけです。 道路は未舗装、曲がりくねって続きます。

短い街並みを出外れると視界が広がりました、鎮守様・農家の先にお寺の山門が見えてます、そこを目指し線路脇のデコボコ道を歩きます。

踏切を渡ると鎮守様と道祖神が見えました、ここから登り坂です。 多分秋の収穫時期にお祭りがあって出店が出たりするのだろうけど、今年は終わった?、これから?

鎮守様の角を右折してダラダラ登ってゆくと車窓から見えた農家に近付いてきました。 母屋は間違いなく元は藁葺き、高度経済成長を契機に過疎化が進み、同時に人の繋がりも薄れ、部落総出葺き替え作業が必要な藁葺き屋根維持が難しくなったと聞いてます。

果樹園脇のS字カーブ上り坂を汗をかきかき登るとお寺の山門が見えてきました。 近くで見ると思ったより立派な構えで由緒あるお寺なのかもしれません。 檀家さんも多いのでしょうね、住職の車は高級車クラウンです。

山門を潜ると手水舎があり、石段を登った境内に背後に山を背負って本堂と鐘楼がありました。 特に信仰心はありませんが、ついお賽銭入れてお参りしました(笑)

お参りを済ませて振り返り境内からの眺めの良さに驚きました。 どこと言って特徴ある訳ではないけれど、落ち着いた日本の農村原風景だと感じました。

来た道を引き返し鎮守様前を直進してもろこし畑と水田間の農道を歩く事にしました。 再び登り坂、野小屋には季節柄稲わら満載、田植え機が収納されてました。

登り切ると信号所入口がありました、タイフォンの音に???となり柵から見下ろすと、DC列車が足元のトンネルに入るところでした。

ここからは下り坂、足取りも軽くなります。 一段低く農家が見え、屋根の形からここも藁葺きからトタン屋根への改装です。 得る物あれば失う物もある、暮らしは便利で豊かになったけど、本当にこれで良いの?と(当時)思いました。


農家前は三叉路、更に狭い農道が直進しビニールハウスが見えてるけど多分行き止まり、左折する坂の下に中山平対向ホームが見えてます。

対向ホーム裏で右折、この道下ってグルっと回れは駅前に戻れると見当が付きました。 葺き替え時期を過ぎたわら葺き屋根農家と農協倉庫がありましたが、少々草臥れて通り過ぎただけ、その先に駅前側への踏切がありました。

踏切渡って駅方向へ、小さな郵便局を過ぎると貨物ホームの脇に出ました。 つい先ごろ生産中止になり、都会では姿を見掛けなくなった普通車三輪トラックが止まってます。 そう言えば免許取得時に数年前まで三輪運転免許があったと聞きました。

ようやく駅前に戻ってきました。 約1時間半5-6kmは歩いたでしょうか、10月半ばなので汗だくにはならなかったけれと、田舎道を歩くのは結構ハードでした。


ではまた。

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