Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

令和の田舎の沿線を訪ねて その4

◆10月9日(月)
若い頃は雨男で山で降られてばかりでしたが、齢喰ったら晴れ男に、6月東北は梅雨時にもかかわらず6日間行動中雨なし、今回も予報悪かったのに4日間ワイパも傘も未使用です。


昔の山陰旅で地中海風景の様な石州瓦の家々の向こうに見えた日本海の印象が強烈で、もう一度見たいと思ってました。 それには島根県西部(旧岩見国)へ行くしかありません。

【次写真撮影の集落】
旧岩見国は東西に長く益田市を中心にした西部、浜田市/江津市を中心にした中部、太田市と出雲市の一部を中心にした東部に3分され、その東端が最初の撮影ポイントです。

ホテルを7:00発、山陰本線小田駅東側踏切に8:10到着です。 小さな集落の民家全て石州瓦です。 拙宅は昭和末建築ですがハウス系で昭和の香がありません。 踏切脇民家は同時期建築と思われますがが昭和の香がします。 8:18通過の下り列車を撮影しました。

撮影下り列車が小田駅次の田儀駅で交換する上り列車を狙う為、小田駅先陸橋へ移動、陸橋先に駐車スペースがあり、道を渡った歩道から8:29通過の列車を撮影しました。

撮影後田儀(たぎ)駅へ移動、分刻みスケジュールです。 田儀駅は国道を挟んで日本海に面する駅です。 駅前に車を停め線路脇の細い道を進み8:40通過の上り特急を撮りました。 ホーム上屋の屋根が待合室部分だけ異なっており、何とも鄙びた味わいがあります。

田儀駅裏の丘陵が手引ヶ丘公園になっており、駅前から公園に上って俯瞰で望遠レンズ撮影を目論んでたのですが、関係者以外進入禁止の看板が立ってました。 こりゃ駄目かと思ったら、『関係者』にはとても見えない一般人の車が数台入って行きました。

、更に2台入ったところで思い切って進入、駐車場に車を置き山陰本線俯瞰ポイントを探しましたが、思ったほど眺望が利かず、見下ろせる小さな港と国道を撮影しました。


この日には一度行きたいと思ってた岩見銀山観光を組み入れてました。 テツ分なしの純観光で、石見銀山へ直行、9時半過ぎに到着しました。 連休最終日でかなりの人出、代官屋敷や古い町並みの狭い道を抜け丘の上のビジターセンターへ行きました。

ほとんど事前調査なしだったので情報収集、予定3時間で観光と昼食済ますにはシャトルバスで移動し徒歩またはレンタサイクルで街並散歩と公開坑道見学、もう一つは休日に開催のガイド付き『大久保間歩ツアー』、ただし10:40集合、13:05解散で予定時間超過です。

で結局ツアー参加する事にしました。 パンフや看板読んでふーんと見て回るより、ガイド解説付きでツアーでしか入れない坑道見学した方が、ここまで足伸ばした価値があると考えたからです。 ¥3,700の2時間半ツアーですが、多分もう来ることはないでしょうから。 日4回ツアーの2回目、参加者12名、年代は様々ですが高齢者が半数でした。

バスで5分移動して登山口、そこから20分の山道です。 左端女性左足で舗装が途切れており、ここが世界遺産エリア境界線、遺産登録されると一切手を加えられないそうです。


発見は戦国時代、大内氏、尼子氏、毛利氏の手を経て江戸幕府直轄領へ、最盛期は江戸前期で、1,000の坑道が掘られ、10万人近い人が暮らしてたの説明には驚きました。 古文書によると人々は山の上に住んでたそうで、マチュピチュの様な集落が散在した様です。

幕府直轄天領の銀山エリアは柵で囲まれ各所に関所の様な番屋があり、違法持ち出し監視の他に、生活必需品を持ち込む商人から税金を徴収してたとの事、なるほどです。 坑口管理棟でゴム長に履き替えヘッドライト付ヘルメット着用、坑内は真っ暗だからです。

ガイドさんが立ってる場所の天井高は2.5m、ライトで照らしてるより上が江戸時代に手堀りされた坑道、下は明治から閉山された大正までにダイナマイトで拡幅した坑道です。

手堀り坑道はノミの跡が残り滑らかです。 サザエの殻に菜種油を入れ灯心を付けた微かな灯りで坑道を堀り、鉱石を背負って這って運び出してた訳で、想像を絶する世界です。

一方発破で拡幅した部分はゴツゴツしており差が一目瞭然です。 坑道拡幅後はレールを敷きトロッコ使用したそうですが、産出量は江戸前期に及ばなかったとの事でした。

坑内水溜りにパイロンを立て、絶滅危惧種のエビを保護してます。 ガイドさんのライトに3匹見えてます。 暗闇環境で退化し目がありません。

東西に走る鉱脈に対して南北に坑道を掘り、鉱脈に当ると上下左右に堀り進み、数十m高い場所に設置した足場を支える梁の跡も随所に残ってました。 大きな鉱脈を掘った鍾乳洞の様な大空間もありました。

坑内滞在時間は30分の制約があり見学終了、トロッコレールの枕木が腐りながも残ってました、躓かず歩くの大変でしたが。 昼食時間なしで温泉津へ向かいました。 歩行者用跨線橋から石州瓦屋根主役撮影が目的です。 計画は13:34通過列車でしたが無理、でも次の13:55には間に合いそうです。 部分開通山陰道の助けがあり13:30に到着しました。

【温泉津駅近くの歩行者用跨線橋】
またまた着けばすぐ来る大ラッキーかと思いきや工事通行止め、諦めるしかありません。 撮り鉄マナーが問題視されてますからね、目の前を列車が通過して行きました、残念!。


無駄足になった温泉津から出雲市まで引き返し、一畑(いちばた)電鉄大寺駅へ向かいました。 私鉄電車への興味は低いのですが、地方私鉄は車両自体が昭和っぽいのではの予想で、一畑電鉄の知識はゼロでした。

温泉津近くの道の駅で遅い昼食、海鮮丼をいただきました。

撮影ポイントは稲刈りが終わった水田が広がる中を地方私鉄電車が走る風景です。 昼食時間で余裕なしギリギリ到着、大寺駅15:25通過の2両編成急行電車がやって来ました。

JRローカル線より断然運転密度高いのに、今時珍しい第4種踏切です。 普通車通行可ですが、野良仕事に行く軽トラの通路なのでしょう。 軽自動車のみ通行可、歩行者と耕運機だけ通れる第4種踏切もありました、一畑電鉄の財政は苦しいのでしょう。

急行と数駅先で交換した普通列車がやってきました、撮影場所は幅1.5mの第4種踏切です。 50年以上前の京王電鉄の車両です、昨年琴電でこの車両に乗り琴平へ行きました。

余裕あればと計画に入れた雲州平田付近撮影をパスし今宵の宿出雲市へ向かってると、丸で大手私鉄の様な待避施設を持つ4線駅に行き当たりました、駐車場へ停め見学です。

一畑電鉄川跡駅は綺麗な駅舎で、現代のローカル線小型駅舎です。

構内の乗場案内を見ると待避駅ではなく分岐駅でした。 1-3番線が乗場、4番線は使われてない様で、事業用車両留置線なのかもしれません。

案内板によると本線から出雲大社への支線分岐駅でした。

川跡駅先に全国ネット食品スーパーがありました、品揃えも価格感も解るので便利です。 松茸御飯弁当とアサヒ缶生2本、つまみの枝豆を仕入れて出雲市へ、東横インに16:30:チェックインしました。


ではまた。

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