Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

令和の田舎の沿線を訪ねて その3

◆10月8日(日)
観光主目的旅行ではないので、訪問経験がある鳥取砂丘や空の駅になった餘部鉄橋はパス、倉吉線廃線跡に気が動きましたが、山陰本線沿いに令和の田舎を探す事にしました。

心配した天候は曇り、結局一日雨は降らずラッキーでした、7:45にホテルを発ちました。

浜村の撮影ポイントに向かいました、農道の十字路3方向に関係者以外立入禁止の金網柵がある場所です。 刈田の広がる晩秋の風景狙いですが、到着後すぐに通過した特急は木立の陰に隠れ少ししか見えません。 行ってみないと解らないので仕方ありません。

8:47通過の下り列車を撮りました、屋敷林と木立の間から顔を出した2両編成です。 右の農家は軒の深い昔風の造りです。

【右側山陰道延伸工事中】
浜村での撮影後、倉吉先の浦安駅周辺踏切へ向かいました。 5年前ナビ地図にない山陰道が部分開通しており倉吉手前まで時間短縮、その先も山陰道延伸工事中でした。 6月東北旅行の新潟-秋田間に良く似てる、風力発電風車も含めて現代の風景です。

踏切付近に到着して駐車、『1時間もある、どうしよう』と思ったら警報機が鳴り出し慌ててカメラ持って下車、アングル検討の暇もなく普通列車が通過しました。 しかも既に現役引退したと思ってた(筆者勘違い?)キハ40系、ビックリもし嬉しかったです。

1時間余裕できたので車窓眺めながら引っ掛かり、9号線から見えた小さな漁港です。 2x4の新しい住宅はなく昔ながらの風景に見えます。 まっ、鉄分完全にゼロですけどね。

前写真撮影で駐車したのがこの歩行者用踏切先の広くなった路側帯、下の部落住人が畑に行く際に通る踏切の様です。

警報機があるので安心してこんな遊びしてみました。

9号線と山陰本線並行区間が続き、警報機鳴ってる踏切が、すぐ先路肩に駐車スペースがあり急遽停車、下り特急が来ました。 3両編成でした、1両はグリー車/普通車合造車なのでしょうか?、それとも全車普通車?、やっぱり準急の様に感じるのは歳のせいですな。


★駅舎巡り
雨天だったら屋外撮影無理なので、その場合は山陰本線の古いタイプ駅舎巡りを計画し前日ホテルで下調べしました。 最初は赤崎です。

建築時期はこれまでの駅舎と大差ないと思いますが、駅舎サイズが常駐駅員数を表わしてます。 張出し屋根も多く、出入口の別屋根も立派です。 跨線橋のある2面3線駅でローカル線と亜幹線の格の違いです。

無人駅なのっで入場券なしで構内に入れるのは便利です。 2番線レールが錆びて使われてない様子なので、ホーム先端に行って見ると。

2番線両側ポイントが外されてました。 駅舎内時刻表によると上り1番線、下り3番線発車でした、貨物列車大幅減で待避施設不要になったのでしょう。 でも下り列車乗客は跨線橋渡るしかなく、エレベータありません。 バリアフリーの地域格差を見た気がしました。

赤碕駅には『近くて遠い駅裏』を結ぶ歩行者跨線橋があります、これは現代の風景です。 次の撮影予定地へ向かいました。

赤崎より小駅なのに現代風駅舎に改築された中山口付近です。 軽トラがやっと擦れ違える農道陸橋の上です。  邪魔にならない場所に駐車しアングル確認してると遠くから警報機音が聞こえました。 撮影予定だった列車は1時間後で、またまた大ラッキーでした。


水田の中の『緑の切通し』をやってきたのは上り特急でした。 行動計画は最低15分の余裕みてましたが、浦安とココと連続1-2分でした。 撮影後下市駅へ移動しました。

下市駅舎は赤崎より少し小振りですが、屋根は立派です。 姫新線並みサイズですが跨線橋があるのはさすが本線です。 JR化直後の『トイレを綺麗に!』運動で、トイレ改修に合わせ駅舎壁も改修したのでしょうか。 屋根と壁、見事なペアルックです。

下市は対向ホーム2線駅で、対向ノームに回送気動車が停車してました。 左側通行なら駅舎側が上り本線、対向ホームが下り本線です、回送列車は下りでしょうか?、ところが上り回送列車だったのです、その証拠に。

1番線に偶然下り列車が到着しました、またキハ40系です。

キハ40系は筆者が社会人になってからの登場で、旅時代の乗車経験はありませんが、国鉄車輛には何とも言えない郷愁を感じます。

この列車は3両編成、現代では長い普通列車です。 この5分後、普通列車を追いかけて下り特急が1番線通過、その数分後2番線回送列車が上り方向に発車しました。 下市駅は1番線が上下本線のスルー線、2番線が上下副本線改造を受けた様です。


ホーム端まで確認に行けば良かったのですが、2回続けて行けばすぐ来る、三匹目の泥鰌狙いで次の撮影地に向かい10:30に到着しました。

築堤と鉄橋、その前の刈田とワラボッチが並んだ水田、絵に描いた様な風景ですが、水田畔でいつ現れても良い様にカメラ電源入れたまま、待っても待っても現れません。 結局1時間10分、当初計画の下り列車まで上下列車1本も通過せずでした、単行列車でした。

結果的に時間的余裕使い果たしました、ボケッとした時間も良い物は負け惜しみですね。 当初計画に戻ったので10分後の上り特急を鉄橋下移動で撮影しました。 撮影後、昨夜調査した御来屋(みくりや)駅に移動しました。 これが特別な駅だったのです。

ここまでの中国地方JR駅の半分近くは建て替えられてますが、古い木造駅舎が多く残っており御来屋駅もそうです。 減便で交換施設撤去駅が多いローカル線に対し、ほぼ各駅交換施設があるのは亜幹線ならではです。

御来屋駅は3線駅ですが、乗場案内からすると1番線が通過列車専用スルー線改造を受けた様です。 上下列車乗場2/3番線ホームの緩急車流用待合室は昔の北海道駅を思わせます。


下市にもあったスルー線、単線区間駅出口ポイント通過制限速度は60-70km/h、120km/h運転の現代の気動車は通過駅でも1分近くロスします。 10駅で10分近くでは輸送機関として仕方ない事と言う他ありません。

ヤヤヤッ、ここには丸形ポストが残ってました。

それもそのハズ、この駅舎は1902年開業時からの物で御年121歳、山陰地方最古で有形文化財登録されてるとありました。

文化財登録を受けたからでしょうか?、出札口も手小荷物扱い窓口も50年以上前にタイムスリップした様です。

その感覚は待合室も同じです、『昔の日本人の顔』をした老人が座ってても全くおかしくありません、良い物を見せてもらいました。

ホーム端まで行って確認すると、昔は反位だった駅出口ポイントが定位にスルー線改造を受けてました。 1番線から本線へ真っ直ぐで安全側線も撤去された様です。

気になる表示がありました、丸で近々この駅舎が供用停止される様な表現です。 取り壊される事はなくても、別駅舎を建てて文化財保存に切り変わるのかもしれません。

9号線沿いで昼食場所を探してると、駐車場満車の手打ちうどん屋が反対車線海側に、休日混雑でなく旨い人気店と確信してUターン、待ち客リスト13番目でした。

40分待って着席、海老天うどんを注文し、予想通り美味でした。 讃岐うどんのツルシコではまく、太く硬めのモッチリタイプでした。

本日最後の撮影予定地、境線高松町駅に移動しました。 境線は米子と境港を結ぶ短いローカル線ですが、後藤駅に車両基地があり米子間電化、また米子空港駅もあり都市近郊路線の趣です。 高松町駅は境港に近い交換施設のない小駅で14:30に到着しました。

神社境内に間借りした様な配置です。 境港行を撮影してから高松神社に参拝し、旅の安全を祈願しました。 これで3日目予定終了、中ノ海北岸を回り東横イン松江に15:30チェックインしました。 2日目/3日目と早目のチェックインでゆっくり体を休めました。


ではまた。

×

非ログインユーザーとして返信する