Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

令和の田舎の沿線を訪ねて その2

◆10月7日(土)
山陽道トンネル火災事故通行止め渋滞を避ける為に、初日の計画を変更し数ヶ所で撮影しましたが学んだ事があります。 良いポイントと思っても天候や時刻により条件が全く違う事です。(当り前!) ホテル7:00発、前日の上月撮影ポイントに7:55到着しました。

本当はこのアングルで撮影したかったのですが、太陽が城址の山の真上で完全逆行、出直しリベンジの1枚です。

追いかけでもう1枚、撮影後美作江見駅に向かいました。

【美作江見駅】
現在残る古いタイプのローカル線駅舎の典型です。 昭和40年代からの変化は木製窓枠がアルミサッシに変った程度でしょう。 駅前ポストは角型です、以前KATOローカル線小型駅舎について、『全体の雰囲気平成なのに丸型ポストは不似合い』と書きました。

【TOMIX木造駅舎】・・・製品紹介ページより
と思ったらTOMIXも同じミスしてます、丸型ポストが設置されてた昭和のローカル線木造駅舎はこんなカラフルでなく、どう見てもJR化後の駅です。 三輪自動車置けば昭和30年代に見えるという大きな勘違いと同じチグハグさ、時代の雰囲気は全体で決まる物です。

【美作江見駅前倉庫】
閑話休題、美作江見駅に立ち寄った目的は昭和の匂いタップリの駅前協同組合倉庫です。 昔は貨物側線が倉庫前に引き込まれ貨車に荷積みしてたかもしれません。 現在使われてる様子はなく、取り壊されずに残ってたのが不思議、数年後には姿を消すかもです。

ストリートビューで見たこの倉庫の壁面は古くボロボロで『協同組合倉庫』の文字が読めました、最近の補修で塗り潰された様で残念でした、

上月より姫路方は1時間に1本以上ですが、上月の津山方は日中歯抜けの時間帯があります、中国山地に分け入ると乗客が減るのでしょう。 

8:57発津山行の列車を待つ乗客が3人、いずれも筆者同世代の高齢者です。 決め付けは失礼ですが、病院通いではないかと思います。

列車と倉庫を入れて撮りました、撮影後津山方の勝間田駅に移動しました。 目的は『何処にでもあると思うなコンビニ』で、昨年の予土線沿線もそうでしたが、POSによる配送システム効率からコンビニ空白地帯が存在し、勝間田にはローソンがあるからです。 これから踏み入る因美線沿線は空白地帯の可能性があるので、ここで昼食を仕入れました。

【勝間田駅】
勝間田駅は美作江見駅とそっくりな差し掛け出入口の付いた木造駅舎で、駅前に角型ポストと公衆電話ボックスのある駅でしたが、2021年に超モダンな現駅舎に建て替えられました、これも時代の流れです。 でもポストも災害時有用な電話ボックスもありません。

勝間田駅には交換施設があり、美作江見駅同様の駅端踏切です。 有人駅だった時代は当社中山平の様な改札前階段踏切だったと思いますが、開閉と安全確認する駅員が居ないと使えません。 先の曲がった鉄棒でガッシャンと踏切蓋を開閉する風景は死滅した様です。

勝間田駅から少し戻った水田地帯から、勝間田10:16発佐用行列車を撮影しました。 新型の車両も住宅も遠景にすれば大きな風景の中に溶け込み、昔と変わらぬ晩秋の田園風景です。 撮影後因美線へ向かいました。

【那岐駅】
次の撮影地は美作河井駅ですが、先に1駅先の那岐駅(なぎ)へ向かいました。 拡幅直線化された国道で11:00に到着しました。 美作河井駅前通過してからと思ってたのにいきなり到着でした。 駅舎は小振りで、出入口差し掛け屋根がない木造駅舎でした。

もう一つの特徴は駅舎よりホームが高く、改札口からホームへ階段で上る構造です。 多分狭い山間集落に駅を作る際に山側を削って設置したのが理由だと思われます。

上下ホームオプセットが3両分程度あるのも特徴、対向ホームからフェンス付き長い線路脇通路を通り駅端踏切まで回り道しかありません。 様子解ったので美作河井駅へ戻る事にしました。 ナビ指示は来た道でなく生活道路、センターラインが消え更に狭くなり遂に。

こんな山道を5kmほど走りやっと国道へ、でもこの国道は改修前旧国道で道路の上に落葉がないだけで大差ありません、30分も掛かりました。 改修された現国道は山中トンネル直進で美作河井駅前を通ってません。 両駅間が中国山地分水嶺サミットだと解りました。


【美作河井駅】
山の中のローカル小駅として選んだのが美作河井駅でした。 因美線沿い鳥取への旧国道から右折したドン詰りが何~にもない駅前広場、自転車置き場屋根だけです。 駅に定番のポストも電話ボックスもありません。 駅舎は小振りで粗末、羽目板もボロボロです。

【ラッセル転車台】
交換施設のない小駅だと思ってたら大間違いでした。 鳥取から雪掻きしてきたラッセル車を当駅で方向転換し折り返してた転車台が残ってました。 事前調査しても訪問先全駅詳細調査は無理です。 こんなハプニングが起こるのもローカル線沿線旅の楽しみです。

【美作河井駅時刻表】
現在は上下6本の列車が運転されてます。 運転時間帯からも主要な利用客が通学高校生と高齢者である事が解ります。

【1960年代因美線時刻表】
60年前の美作河井には9本の列車と通過する陰陽連絡準急2本、貨物列車も走ってました。 智頭急行線開通の影響をモロに受けた側面はありますが、中国山地路線で陰陽連絡機能を保ってるのは智頭急行線と電化された伯備線だけ、他路線には優等列車がありません。


細い国道が谷筋を曲がりくねってた時代は国鉄優等列車が最速移動手段でしたが、国道は拡幅直線化、市街地バイパスで格段に時間短縮されました。 更に高速道路網の充実で、生き残った2路線も+30分程度で値段半分の高速バスと熾烈な争いに巻き込まれてます。

美作河井12:16発鳥取行が7時台始発の次の列車、乗降なしです。 交換施設跡とラッセル折返し機廻線レールだけが残ってます。

積まれたバラスト山の上から出発列車を見送りました。 計画時は那岐先回りも考えましたが、あの山道では絶対無理、那岐へ引き返しです。

美作河井駅付近は平坦で道幅も広く普通に走ってたら、先ほどの列車右の山肌をノロノロ走ってます、県境サミット上り勾配で40km/h程度です。 ガード下で追越し1枚です。

更にその先でも1枚、因美線は最後トンネルですが旧国道はウネウネ山道でトンネルなし。那岐駅まで25分かかり、列車は発車後でした

那岐13:06発津山行列車を待ちながら写真整理してたらバッテリー1本目が空に、最初の交換をしました。 到着した列車から1人下車しました。

山里高台の駅の単行気動車を撮影してから智頭急行線分岐駅智頭を通過し、旧国鉄若桜線(現若桜鉄道)の因幡船岡駅に向かいました。

【1960年代若桜線時刻表】
若桜線は因美線郡家(こうげ)から分岐し若桜を結ぶ盲腸ローカル線で、鳥取から日に9本直通運転されてました。 内4本がC11牽引の混合列車だったと推定されます。 蒸機列車通過の東郡家駅は貨物扱いをしない無人のいわゆる気動車駅だったと解ります。


現在は第三セクター若桜鉄道となり、朝夕を中心に日に14本運転され、内6本が鳥取に乗り入れてます。 沿線の若桜町/八頭町が赤字補填して存続させてる図式です。 時間を取って若桜駅に動態保存されてるC12を見る選択は、圧搾空気式なのでパスしました。

【因幡船岡駅】
元国鉄駅で財政難の第三セクターなので当然ですが、古い木造駅舎に手を入れて使い続けてるのが解る駅舎です。

因幡船岡駅近くで見かけた昭和の香が満点の建物です。 古いだけでなく羽目板補修塗装もサボってる様でハゲハゲ、JAと言うより農業協同組合事務所と呼ぶのが似合いそうです。

これを逃すと次は2時間20分先になる若桜行を八東川鉄橋で撮影しようして大失敗ました。 14:29-14:30通過予定で3分前から準備してると、走行ジョイント音に続き鉄橋通過音、少し早いなと思いながらシャッターを切りましたが、何か違和感がありました。


車に戻って再生、アレッ2連?と思ってたら大きな鉄橋通過音、これが250m離れた鉄橋通過若桜線列車で撮り損ないました。 写ってるのは若桜線鉄橋の150m奥に架かってる因美線鉄橋通過列車でした。 1分差で遠くが良く見えなくては仕方ないと諦めました。


途中の食品スーパーで夕食仕込んで、東横イン鳥取南口着15:10、早目のチェックインで写真整理と記事作成です。 3連休後半天気予報は雨、気が重いです。


ではまた。

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