Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

令和の田舎の沿線を訪ねて その1

★始めに
旅は楽しければ良いので小難しい理屈不要ですが、タイトル『令和の田舎の沿線を訪ねて』には多少思い入れがあります。 新カメラを入手したローカル線沿線撮影旅行が基本になります。 現在走行してる形式名も知らない気動車に興味がなく、主役にはなりません。

【9/18公開記事より転載】
先日何を撮りたいかで上記写真を例示しましたが、気動車がキハ40系だったら平成初期に、20系/58系だったら昭和に見える風景がローカル線の沿線にまだ残ってると思われ、それを訪ねる旅にしました。 と言って興味の赴くままののブラリ旅、どうなりますことやら。


◆10月6日(金)
旅は10月6日(金)から16日(月)までの10泊11日ドライブ旅行です。 目的地は中国四国地方のローカル線で、四国は昨年訪問しましたが、中国地方は50年振りで初訪問路線もあります。 初日は移動日で目的地は兵庫県相生でしたが、大変なニュースが入りました。

【山陽道トンネル火災事故ニュースタイトル】
目的地すぐ先で起きた事故で山陽道通行止め、復旧目途立たずで大渋滞発生、相生に直行は避けた方が無難です。 急遽初日早出して2日目計画一部を取り込む変更をしました。

朝7時、トリップメーターと平均燃費計をリセットして目的地を姫新線上月駅に設定するとナビ指示行程482kmで到着予想12:40、15:15到着でOKなので余裕2時間半強です。

出発し諏訪ICから中央道に乗り100km/h+で坦々と走りました。 恵那山トンネル通過8:20、長野県から10日間離れます。

恵那峡SAで満タン給油、燃料半分で出発しました。 8月から9月に掛けて長野県ガソリン価格は9週連続全国一高値で、新潟や山梨への越境給油が地元局ニュースで流れてました。 県内までタンカー列車輸送のコストと、小規模事業者が多いのが原因だそうです。

小牧から名神道、養老SAでトイレ休憩、走行230km半分弱です。 過去10年間の関西方面ドライブは、設計が新しく疲労度が少ない三重県回りルート利用してましたが、分岐が多く標識看板読む視力考えると、真っすぐで間違え様のない名神が気楽と考えた選択です。

【京風ラーメンと半チャーハン】
草津PA着10:30、ここで昼食を摂りました。 昼食後満タン給油し11:00発、タンク容量30Lで450kmは楽勝ですが入れられる時にが鉄則です。 この時点の到着予想13;10、2時間半の余裕を30分しか使っておらず、このまま行けたら2時間待ちです、でも渋滞あるしね。


京滋バイパス経由で大阪方面へ、心配してた京阪間中国道分岐までの渋滞は全くなく、11:30に中国道に入りました。 中国道吹田-宝塚間も良く渋滞するのですが全くなし、ほぼナビ指示ペースで山陽道と舞鶴道を分岐、加西SAまで来てしまいました。

ここで休息、何もない上月で2時間待ちはシンドイので上月⇒佐用⇒播磨徳久の訪問順番と時刻表を読み、先に播磨徳久を訪問すれば待ち時間が1時間弱になると解り、ナビ目的経由地に播磨徳久を追加、急ぐ必要ないので燃費重視の100km/h以下でエコランしました。

播磨徳久駅13:30に到着です。 今回の旅も昨年同様ストリートビューでコンセプトに合う撮影ポイントを探し、列車時刻表抜き書きと照合して撮影行動計画を作成してます。 今回の旅最初の1枚は予定外の播磨徳久駅近くの鉄橋になりました。


平成時代にリフォームされたと思われる現代のローカル線木造駅舎です。 交換施設は撤去され、駅舎側ホームより低い対向ホームと下り本線のバラストのみが残ってました。

もちろんワンマン運転の無人駅、撮影予定列車は播磨新宮始発佐用行、姫路-播磨新宮間は近郊路線で2-3両編成、ここはラッシュ時のみ2両、その他は小型気動車の単行運転です。

播磨徳久14:23発、佐用14:27終着列車です。 川の中で数羽の白いサギが小魚を狙って佇んでおり、何とものどかです。

もう1枚、播磨徳久駅停車中列車の先頭が、白い軽バンの上にチラッと見えてます。 手前の農家が主役、昔の雰囲気守って建て替えたと思われます、思い入れと経済力がなければ中々できない事です。 撮影終了後、佐用を通り越し2駅先の上月に向かいました。

上月駅は始発終着列車のある駅ですが、対向ホームは使われてない1面1線駅で駅員は居ません、物産販売店の店員が1人だけです。

しかし駅端から見るとポイントは生きてます、対向ホーム線路の一部を留置線として使用してるのかもしれません。

【強者どもの夢の跡】・・・当初計画の最初の1枚
上月15:25発、隣駅佐用行の上り列車です。 主役は車両でも鉄橋でもなく背景の上月城址です。 戦国の世、中国地方を二分した大内/尼子両氏に挟まれた毛利氏が勃興し、尼子氏の領地を奪いました。 尼子が再興を賭けて織田に縋り、秀吉軍先鋒として上月城を守備し、数万の毛利軍に包囲され滅亡、高名な武将山中鹿之助最後の戦場になった場所です。

【1960年代の佐用駅姫路方】・・・過去記事より転載
撮影後佐用駅に移動しました。 拙ブログ機関車駐泊所の風景で紹介した60年前に、佐用発津山行と、上月発姫路行区間列車牽引C11 2両が一夜を過ごした駐泊所のあった駅です。

【当時の構内線形】・・・過去記事より転載
現在は京阪神と鳥取/倉吉を結ぶ特急『スーパーはくと』が走る智頭急行線との接続駅で、変化の様子を確認するのが目的です。

【1960年代の姫新線時刻表】
1960年代の姫新線には日に2本の準急と1本の急行が運転され、佐用は準急停車駅でした。 現在の姫新線に優等列車は存在しません。 

【JR西/智頭急行 佐用駅】
今は近代的な高架のコンクリート駅舎、ホーム2面4線駅に作り替えられ特急停車駅です。 まあ高加減速性能新型気動車でチョコチョコ停車する現代の特急は、当時の準急みたいな物とも言えますがね。

佐用駅はさすがに有人駅でした。 記念に頂戴しました。

ホームに上ると、上月で撮影した折返し列車が停車してました。 国鉄時代の機廻線、貨物側線、駐泊所スペースに智頭急行線ホームを設置した様です。 筆者が佐用駅に居たのは15時半から16時過ぎ、高校の下校時間です。 智頭急行下りを十数人ほど待ってました。

姫新線は佐用の姫路/津山方で乗客密度が異なり、列車本数がけでなく、佐用始発終着列車が多いダイヤです。 右の播磨新宮からの15:59着佐用行と、左の佐用16:03発津山行の列車接続風景を撮影しました。 6月に戸狩野沢温泉駅で見た飯山線と同じです。


でもね、あれは単行から2両、姫新線は同型式小型気動車の単行同士、何故こんな事してるのか疑問です。 双方の列車に帰宅高校生がドヤドヤ乗り込んで行きました。

この間に3方向3本の普通列車で40-50人の高校生が帰宅しました。 駅待合室には多分智頭急行上りで帰宅する高校生たち、全員スマホ中です。 現在のJRの主要顧客です。

撮影後相生へ移動、ナビ目的地は『スシロー』です。 新幹線駅があるとは言え6月の燕三条と似た様な規模の町、駅周辺に居酒屋は山ほどあれど、まともな晩飯食べられる店はほとんどなく、夕食に出るのも億劫なので、ここで済ませてからチェックインです。

腹一杯食べ、ビールつまみ夜食兼用で持ち帰りです。

東横インへ相生へ20分が2号線渋滞に巻き込まれ18:30着、旅の初日が終わりました。 6月東北旅行で2回目以降帰宅後作成だったので速報性重視ですが、睡眠時間削ってでは意味ないのでほどほどにします。


ではまた。

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