Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

令和の田舎の沿線を訪ねて その5

◆10月10日(火)
この日は山陰出雲市から木次線/芸備線/福塩線沿線を訪ねて山陽福山までの長丁場、島根県天気予報は雨降ったり止んだり、避け様なさそうです。 救いは目的地の広島県が曇り時々晴れで良い事です。


ホテル7:05発で木次線幡屋駅に向かいました。 木次線は折紙付きローカル線ですが木次までは松江経済圏に含まれ区間列車も多いので1本でも拾って置こうの魂胆です。 幡屋駅に7:40到着しました。 計画は8:21でしたが、7:49発に間に合っやので至急移動しました。

7:49発を撮影、余裕が少ない先行程への配慮です。 幡屋駅は粗末な待合室と倉庫だけの駅ですが、1971年までは貨物/手小荷物扱いしてた有人駅でした。 撮影後木次のコンビニで昼食を仕入れて、出雲坂根駅へ向かいました。 雨はまだ降り出しません。

【出雲坂根駅】
三段スイッチバックで有名な出雲坂根駅に8:50到着、余裕できたので先に構内見学です。 国道前駅舎だけで駅周辺に人家が1軒もありません、利用者集落は離れてる様です。 入口に『鉄道撮影の皆様へ』の貼紙がありマナー遵守要請文でした、訪問者が多い様です。


木次の先から雨が落ち始め間欠ワイパー使用、出雲坂根駅前国道は濡れてますが雨はやんでおり、傘を使わず構内撮影できました。

出雲坂根は標高565m、上段SB付近が木次線のサミットで、中国山地山陰山陽間の分水嶺の地形です。 下った下段が駅、両渡線で駅構内へ、そして折り返す線路配置です。 ネット写真で何度も見た光景ですが、現場に立って右手前安全側線設置に気付きました。

 

ホーム端踏切対向ホーム2線駅です。 1の停止標識先のレールが錆びてるのは単行列車しか運行されてないからの様です。 中央上に奥出雲おろちループの橋が見えてます。

【出雲坂根駅時刻表】
上下4本記載されてますが1本は観光列車、1本は運転日限定不定期列車で定期列車は日に2本です。 ここから高校通学には下宿し週末帰宅するしかありません。 高齢者通院にも使えないダイヤの路線です。

【1960年代の来次線時刻表】

出雲坂根駅は60年前も木次線で運転本数が一番少ない区間でしたが、それでも普通列車が日に6本、陰陽連絡準急が2本停車してました。 しかもその1本は広島と松江/米子を結ぶ夜行準急です。 今なら車で3時間半、昭和の日本は本当に広かったと改めて感じます。

おろちループ道の駅から木次線を水平に、展望台付近から見下ろせる事は確実なのですが、光線の具合含め、撮影ポイントは現場確認しないと決められません。 出雲坂根駅構内見学後おろちループ道の駅と展望台に移動し、展望台付近見下ろしアングルに決めました。

列車が来るまで30分少々、展望台駐車所で待ってると突然叩き付ける様な土砂降り、車天井を打つ雨音が煩いくらいです。 傘さしても撮影は無理、上がってくれと祈りました、幸い前駅三井野原9:48発、9:50から待機時には小振りになって、傘使えば撮影可能でした。

傘柄のU字部をガードレール裏に引っ掛けて肩で傘を持ち上げて風で飛ばされない様保持し9:57通過列車を撮影しました、雨粒まで写ってます。 3段SB低速運転なので余裕で先回りして出雲坂根駅に引き返しました。

上段で折り返した列車が10:06に下って来ました。 直進で2番線到着、乗降客なし乗客3人でした。 停車中に運転士ほ2度目の移動、10:08木次方面へ発車して行きました。

備後落合に向かう通常日に4回しか開閉しない踏切脇に見つけた民家です。 屋根の形からわらぶき屋根をトタン葺きに替えた屋根です。 わらぶき屋根維持には30-40軒部落の共同作業が必須で、世界遺産や景観保護地区にでも登録/指定されなければ無理です。

【備後落合駅】
木次線と芸備線の分岐駅備後落合駅舎は木造モルタル、鉄道拠点駅だっただけあってかなり大きい建物です。 ホーム2面3線駅で、ローカル線同士の分岐駅として標準的です。

死滅してると思ってた階段踏切が残ってました、実にビックリです。

ただし無人駅なので鉄の蓋はなく警報機付き、これは当然ですね。

紹介遅れました、こちらが大き目の駅舎、貨物側線が残ってますが、貨物ホームや上屋の痕跡は残ってません。

特徴的なのはその構内の広さ、貨物扱いしてた頃の賑わいの名残です。 市街地ならこの様な場所は再開発で跡形もなくなってますが、山の中では開発もなく放置されてた様です。

芸備線は広島/三次/新見に、木次線は木次に機関区がありました、距離と位置的に備後落合には駐泊所があったハズと思ってたら証拠が残ってました。 赤錆びて放置された転車台と給炭台です。(周辺立入禁止) 給水タンクとスポートの痕跡は見当たりませんでした。

1番線が木次線ホーム、階段踏切で渡った2/3番線が芸備線ホームです。 次の列車まで2時間あるのに筆者同世代の方が、待合室にも高齢者が2人、溜り場になってるのかもです。

 

と言うのは駅前に家は2軒だけ、1軒は人が住んでる平成住宅、もう1軒は昭和の香プンプンなのに無住の様子、駅前停車3台の軽自動車で来たのでしょう、皆さん何処に住んでる?

【備後庄原駅】
備後落合駅の取材後、備後庄原駅に向かいました。 広島県東北部中心都市庄原の中心駅なので堂々とした駅舎です。

駅前にはバス乗り場がありこの通り、中距離交通主役がバスに置き換わってるのが明白です。 1時間毎広島行は芸備線より早くて安いと思います、シート座り心地も良いし。

【備後庄原駅時刻表】
時刻表も比較の為に撮影しました、広島方面は日に8本ですが、備後落合方面は5本です。

【1960年代の芸備線時刻表】
60年前は備後庄原-備後落合間を夜行を含む4本の準急を入れて日に13本運転されてました。 庄原市にはコンビニがあるので、昼食を仕入れて少し戻った撮影ポイントへ向かいました。 13:42通過上り列車まで1時間半もあります、考えた末に撮影中止にしました。

【車両なくても良いよね!?】
パスした撮影予定地は本線上、ポイント反位でもないのに速度制限25km/hとは何ともローカル線らしくて良いと思ったのです。

先を急ぎ、芸備線と福塩線分岐駅塩町に移動しました。 同じ分岐駅でも備後落合とは性格が全く違います、福塩線列車は全て三次始発終着で、塩町は線路分岐点に過ぎません、島式ホーム1本上下本線だけの小駅です。 朝の山陰は雨、午後の山陽は好天でした。

面白いのが分岐点、左芸備線、右福塩線でそれぞれ塩町駅進入側が本線ポイント定位です。 塩町駅発車側が本線ポイント反位で両線兼用安全側線が設置されており、ポイント反位通過制限速度は25km/hです。

安全側線ポイントは定位時トングが外側から重なる乗り上げタイプ、フログも乗り越しタイプの昔ながらの形式です。 こんな処に昭和を感じるのは年寄の証拠かもしれません。

1時間半待ちパスすれば1本早い列車に間に合うのではの期待が的中、ポイント撮影した踏切警報機が鳴り出しました。 やって来たのは三次からの単行普通列車です。

時刻表解らず何線?と思ってると、両渡線渡り福塩線に消えました。 行動計画に列車撮影予定なかったので拾い物でした。 普通の小型駅舎へ行き確認すると12:49発福塩線府中行でした。 福塩線は福山-府中間電化近郊路線と、府中-塩町間非電化ローカル線の二重人格路線で、通し運転列車は1本もありません。

撮影後福塩線吉舎(きさ)駅へ行き時刻表確認してから撮影予定地へ移動しました。 古いコンクリート擁壁前通過列車を川の対岸から40分待ちで撮影し、4駅先の上下(じょうげ)駅へ移動しました。

名は体を表すではありませんが、上下駅は上下列車交換駅で、15:45/15:47交換風景の撮影予定でしたが、1時間先行できました。 上下駅には貨物ホームがまだ残ってました。

駅前に『銀山街道上下宿』の標識が建ってました。 毛利氏が石見銀山を尼子氏から奪った後、銀山で働く人達への物資の往来があり『銀山街道』と呼ばれてたのでしょう。

駅前通りの1本奥に旧街道と思われる道が並行しており、旧宿場町の面影が残ってました。 町並み保存で観光資源化してないのが返って好印象、でも部分的電線地中化は筆者的にNG、400年前なくても、電柱と電線ゴチャゴチャしてなければ昭和っぽくありません。

16:15東横イン福山にチェックイン、自室からの眺めです。 駅近いのは便利ですが福山は近過ぎ、頻繁な新幹線高速通過音が気になりました。


ではまた。

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