Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

露太本線ループ線と峡谷八景

今回は生野町の北に位置するループ線と峡谷を紹介します。

峡谷部分の線路敷設時の様子です。 計画原案はスイッチバック勾配40/1000の標高差感強調設計でしたが、鉄橋上部空間余裕が不足し、33/1000に変更して鉄橋高を20mm下げました。 それでも不足気味で、ご覧の様に梁を1/3ほど部分カットしました。(強度計算せず) 10cm高の基台枠下側に9mmコンパネをビス止めして峡谷底部にしました。 実寸換算深さ約35mの峡谷で、雄大さとリアリティを両立可能な限界と考えました。 峡谷部をカットした9mmコンパネを両基台から張出して鉄橋橋脚を設置しました。

ダブルループ線の敷設が終り、本線エンドレスが完成した状態です。 ループ線平坦部に誤差補正用に入れた、南-北、南西-北東2本のスライドレールで、約5mm発生した誤差は問題なく吸収できました。 ループ線には御座敷運転で使用した高架線路R315・R348と橋脚セットを流用し、20/1000緩和勾配を介して40/1000勾配になっています。 鉄橋高を20mm下げた調整で、キハ58系5連のエリアは平坦区間にしてあります。 ループトンネル出口手前から再び20/1000勾配で登り、「峠越えのループ線」を演出しています。

鉄橋からループ線へR718x2・R481x2と続くカーブのカント調整の様子です。 見た目重視・やり過ぎ注意で、最終仕様は道床端に0.8mmスぺーサ2枚重ねに落ち着きました。

地形造形前に峡谷奥背景を設置した状態です。 5月連休明けに散歩道から眺めた甲斐駒ケ岳の残雪画像ですが、里は晩秋、高山は初冠雪の想定です。 なお、峡谷上下基台間の柱追加で強度アップを図っています。 それでは、現在の風景を生野側から紹介します。

北町踏切で生野駅構内に別れを告げた本線は、緩く右へカーブしループ線トンネルに吸い込まれます。 『国鉄露太本線のシナリオと線路配置』(2015.12.28)で説明した様に、旧トンネル廃線跡があります。 27-30/1000の敷設時勾配を25/1000に緩和したという想定です。 旧トンネル入口は立入禁止になっていますが、蓋はひび割れ、欠けた部分から詰めた採石が見えています。 余剰トンネルポータル活用シナリーとしてグッドアイディアと思いましたが、後日、先行事例がある事を知り、少々がっかりしました。

ループ線エリアは急峻な岩山になっています。 峡谷と連続地形である事、トンネル内点検口の保守性を確保する為です。 ループトンネル出口には雪崩覆いを設置し、受け止めるよりやり過ごすしかない地形に整合させました。 余剰KATO近郊型ホーム上屋、ジャンク部品、0.8真鍮線の工作ですが、トンネルポータルに合わせた為、非電化路線にしては背が高くなってしまいました。 もう少しタイトな形への改修を検討中です。

雪崩覆い先のカーブは、露太本線の見せ場の一つです。 石垣沿いの登り勾配で、落石防止柵、更に上に雪崩防止の雪止め杭が設置されています。

鉄橋手前の平坦な場所に保線詰所があります。 KATO構内建物の1棟にハシゴ・煙突・暖房用石炭置場などを追加し、作業トロッコ・レール・古枕木など小物を配置しました。

峡谷に架かる鉄橋は、デッキガーダー・トラス・デッキガーダーの3連です。 深く抉れた峡谷断崖は、0.8mm板紙で両岸尾根部の骨格を作り、石膏クロスを若干たわみを持たせて2重に貼ってから下地処理して製作しました。 谷奥中央の砂防堰堤は、10mm集成材に石垣パネルを貼り、完成状態にして峡谷骨格に裏から蓋をする、狭い作業空間対応の工法で製作しました。 地面・植物表現は市販素材を広範に使っていますが、生野トンネル上部から峡谷までの岩山表現には、乾燥させたコーヒー滓を素材として使用し、粒が荒くザラザラした山肌表現に適していると感じました。

保線詰所に通じる急な山道から鉄橋を見上げると、こんな風景になります。 空が迫るのが残念ですが、目標とした深い谷に架かる雄大な鉄橋の雰囲気は、まずまず実現できたと自己採点しています。

峡谷内部はこんな具合です。 谷奥の森から流れ出た川は砂防堰堤でせき止められ、小石と砂混じりの河原に小さなダム湖を作っています。 豪雨でもない限り水が堰堤を越える事はなく、堰堤下部放水口から谷に響く音を立てて流れ出ています。 流れは一旦木立に隠れてから小さな滝で姿を現し、再び樹影に隠れたのち奔流となって谷を下ります。


ここまで現在の風景を7枚の写真で紹介しました。 公開中の動画を添付して「八景」とします。 露太本線公開動画(6本)は、すべて効果音付きですので、ヘッドホン・音量高目でご視聴いただくと、より臨場感がアップします。

Nゲージレイアウト国鉄露太本線03「峠を越えて鉄橋へ」


ではまた

生野街歩き-3 北町の街並みと夕景

「昭和の街並み」「昭和の香り」「昭和の温もり」、様々に言われるこれらは一体何だろうと、露太本線構想設計時に考えました。 時代にマッチした建物、車両、小物類、自然が、一定水準のクオリティとリアリティに達している事は、必要条件であっても充分条件ではない、何が必要なのか?何が足りないのか?という疑問です。 例えば、必要条件をクリアした構成要素を、真っ平な土地の定規で引いた様に真っ直ぐな道路沿いに、整然と配置しても、昭和の街並みの雰囲気は得られません。 と言って、曲がりくねった未舗装路沿いに、ランダムに配置すれば良い訳でもありません。


極論かもしれませんが、現在が機能優先・効率重視の『人が自然を屈服させた街並み』だとすれば、当時は『人が自然に寄り添った街並み』だったのではないかと考えています。 自然及び先造構造物(北町通りは鉄道敷設後に発展した)に由来する微妙な「曲がり」や「傾斜」がそこかしこに残っていました、「理由」が見える「ムダ」や「ムラ」と言い換える事もできます。 それらが建築物や構造物の角度や高さ変え、「形」「色」「光」を含めて一見バラバラで個性に富みながらも、全体として奏でるハーモニーが昭和の香り、つまり「いつかどこかで見た懐かしい風景」を生むではないかと思います。


前回、『北町の商店たち』で北町商店街の構成メンバーを紹介しました。

今回は集合体としての街並みについて、夕景を交えて紹介します。

生野駅へ到着する上り列車の窓から眺めた北町通りの街並みです。 列車が走る本線と道路は浅い角度(約10度)で並走しながら離れていきます。 米屋の先の三叉路で少し向きを変えて平行になり、駅前広場に続きます。 また、駅前から三叉路まで水平な北町通りは、そこから手前へ向けて約1%(1軒で1mm弱)の緩い下りになっており、建ち並ぶ商店の土台は、ほんの少しづつ低くなっています。

日没の少し前、レールの影が長く伸び、街には灯りが灯っています。 光の量と角度が変わると、街並みの表情も変わります。

日が暮れると灯りが主役になります。 お店によって照明もまちまちです、洋品店や写真館より米屋や金物屋は薄暗い店内です。

生野駅1番線から見た北町通りの街並みです。 三叉路からの緩い下りは電器店前で水平に戻り、少し左へ向きを変えて本線と平行に延びています。 北町通りはその先、北町踏切前から上りになり、奥に見える造り酒屋賄い処手前で左にカーブしながら傾斜を強め、生野トンネルに吸い込まれます。 この間5mm下って13mm上る、実寸換算わずか2mの標高差ですが、街並みの立体感とリアリティ向上に果す役割は大きいと感じています。

秋の陽はつるべ落とし。 日没にはまだ少し間がありますが、街灯が点灯し家々にもポツポツと照明が灯ります。

夜になると、北町通りの曲がり具合や傾斜の様子が良く解ります。

北町踏切付近からの眺めです、駅前広場までの北町通りを見渡せます。 転轍手詰所の手前側で駅構内敷地が狭くなっており、花壇と、一休みできるベンチが置かれています。 ここから見る生野駅には、峠越え基地の急行停車駅らしい雰囲気があると感じています。 左手奥、給水塔の手前に給炭中D51の姿が見えます。

日没寸前の夕景です。 影に隠れるもの、夕陽に映えるもの、陰影が際立つもの、それぞれが表情を変え、街並みの雰囲気も変わります。 構内時計塔も点灯しました。

街灯や店から漏れる灯りが、北町通りに明暗のグラデーションを作っています。 ヤード灯に詰所や給水塔が浮かび上がり、機関庫物置き前電柱の構内灯も輝きを増しました。


以上、北町通り3地点から時間経過を追って、街並みの眺めを紹介しました。


ではまた。

生野街歩き-2 北町の商店たち

生野駅前から線路沿いに延びる北町通りを紹介します。 駅前繁華街や町の中心部から外れた脇通りですが、いつしか商店が建ち並び北町商店街と呼ばれるようになりました。 

鉄骨隠しの物流会社ビルの先で、北町通りは少し右へ角度を変えて線路脇へ沿っていきます。 裏通りがここから分かれて三叉路になっており、角店はKATO完成品を米屋に仕立ててあります。 新米入荷の張り紙だけで季節感を出すのは難しいようです。

小さな商店街なので、アーケードなどはなく、街灯の柱に看板があるだけです。 米屋の先は洋品店、写真館、金物屋と続きます、いずれも現在は少なくなった個人商店です。

夜景がそれらしく見えるように、店内を簡単に造作してあります。 写真館のショウウィンドには家族の写真を縮小して飾りました。

その先は薬屋と電器店です。 こんなカエルのマスコットがあったと、懐かしくなったのが購入動機です。 都会ほど建て混まず、といって間延びしない間隔で並んでいます。 街灯に接近すると、3228チップは大き過ぎるのが一目瞭然です。 二期工事以降は、1608と薄型3014を使用していますが、3228タイプの改修工事は将来課題のままです。 街灯支柱には内径1mm真鍮パイプを使用し、片電極を兼用しています。 少々オーバースケールですが、電柱や道路標識も同様なので、バランスが取れると考えています。

お隣は商店長屋、駄菓子屋に改造可能なストラクチャを探した結果です。 当時の駄菓子屋は、木枠ガラス蓋の商品ケースを、店の外までガラガラ引き出していたものです。 残り3軒はしもた屋、蕎麦屋、不動産屋にしました。 列島改造ブームで明和不動産は好景気、生野駅へ構内看板を出し、中山平駅空地の販売も手掛けています。 生野駅は街外れの小高い丘の上にあるので、旧市街中心部は少し低い場所になります。 背景に筆者が住む茅野市の風景を使いました、当時あってはならない量販店と近代的ビルを樹木などで隠しています。 それだけでらしく見えるのは地方都市だからでしょう。 ソーラーパネル設置屋根もありますが、当時の温水器に見えるのでそのままにしてあります。

更にジオコレタウンが続きます、出光GSと漬物屋です。 GSの先で生野駅構内が終り、北町踏切から駅裏工業団地や山裾の村々へ通じる道路が分岐します。

夜景です。 街灯2灯、GS給油場、GS事務所、漬物屋、場所と性格により明るさと色が異なります。 踏切までは計画原案通りですが、その先、北町通りの自然な終らせ方が着工まで未解決でした。 漠然とトンネル・・・と考えていましたが、空間の広がりを演出できないかとこんな工夫をしました。

塩ビパイプ継手を使えないかと、道路トンネル規格を調べたところ、断面形状は真円でOK、建築限界があることも解りました。 手頃に見えた50シリーズ・内径60mmの塩ビ継手は建築限界ギリギリ、自転車では恐くて通行できないサイズでした。 そこで、東京五輪(昭和39年)後の景気対策公共工事として、歩道付高規格トンネルが建設されたという都合の良い設定で、65シリーズ・内径76mmの直線継手と大曲りエルボ継手を組み合わせ、生野トンネルを製作しました。 トンネル内でカーブさせれば、北町通りの自然な終端処理ができるというアイディアです。 12V給電、標準LED3灯直列の内部照明(常時点灯)を取り付けました。 塩ビの地肌がコンクリートに近いので塗装していません。 設置場所は生野駅前の二匹目のドジョウ、20cmx40cmの張出しスペースです。

トンネル入口付近のアップです、車線幅が通常の3mから高規格の3.5mへ広くなっています。 歩道幅は1.2m、自転車・歩行者が安心して通行できます。 入口に銘板、点灯標識と共に「昭和43年9月竣工」のプレートを貼りました。 舗装は手前がアスファルト。トンネル区間はコンクリートをイメージしてトーンを変えています。 

生野トンネルを設置した北町商店街の終点付近です。 道路角度にマッチするKATO製文房具屋をコーナー配置しました。 完成品なので、ウェザリング・照明組込・店内造作をしただけです。 北町踏切から道路は登り坂で、文房具屋左端で2mmほど建物土台が高くなっています。 道路右側に造り酒屋の店蔵と賄い処があります、生野駅南側に貯蔵蔵と出荷倉を持つ老舗です。 店蔵土台の石垣で、トンネルへ向けた坂の勾配が解ります。 生野トンネル自体も、道路が登り勾配になるよう設置しました。

商店街外れの少し寂しい雰囲気と、トンネル奥へ続く空間の広がり感が出たでしょうか?


ではまた。