半世紀前のTMS 1967年1月号②
前回の続きです。
【前号より転載】
★名鉄ディーゼルカー8000系製作記
前回の拙ブログTMS紹介1967年6月号の長野電鉄OSカー製作者K氏の作品です。 実際はコチラが先の製作、5ヶ月後にOSカー発表です。
キハ82系に似た外観と国鉄DC急行色塗装のキハ8000系は、名鉄が国鉄高山本線乗入れ急行『たかやま』(最初は準急)用に開発した車両です。
【特急『北アルプス』運用のキハ8000系】・・・ウィキペディアより
1970年黒部立山アルペンルート開通に伴い『北アルプス』と改称し富山地鉄立山駅まで延長運転、1976年には特急に格上げされ、特急車両に倣い前面矢羽根塗装が追加されました。
作例は『たかやま』時代、運用開始から1年強のモデル化ですから、新型車と言えます。
0.3t真鍮板にケガいて切って、曲げて半田盛ってヤスって仕上げる、と製作法に記載されてますが、この3平面組合せ前面ガラス窓枠など、とても素人の手には負えません。
【某通販サイトより】
もしやと思い『名鉄キハ8000』で検索したらやはりありました。 手当たり次第何でも模型化がNの特徴だと解ります。
★充電式電池で常点灯
現在はPWM電源常点灯が常識で、誰でも簡単に実現できますが、停車中真っ暗になる車両を何とか点灯させたい要望は昔からありました。 その一つの解法が紹介されてます。
カドニ電池とはニッケルカドニウム電池、通称ニッカド電池で、重たい鉛蓄電池から軽量充電式電池のホープとして登場しました。 筆者が所有してたウォークマン音楽プレーヤー電源もコレでした。 このニッカド電池を16番車両常点灯に利用するアイディアです。
それ以前は高周波点灯や交流点灯が提案されてましたが、大規模電源改造と白熱球短寿命化の欠点があり、電池式は超コスト高でした。 充電式バッテリーで走行中充電、停車中放電で常点灯する自己完結型で従来欠点を解消するのがこのアイディアの特長です。
3V白熱球使用時の回路構成図が載ってます。 ダイオード4本直列順電圧2.8Vはニッカド電池2個直列電圧より若干高く、走行中は充電抵抗Rで充電すると共に白熱球を点灯します。 停車して走行電圧0V時はニッカド電池約2.7Vで点灯します。
この回路をD51テンダー内に押し込んでます。 課題は白熱球1個当たり40mAの消費電流と編成車両間のジャンパー線接続で、荷物車に大容量電池搭載し編成全体常点灯の計画が記載されてます。 LEDとPWM電源普及で常点灯が当り前と思える現在の私達は幸せです。
★ナローの魅力:祖師谷軽便鉄道から
TMS誌上でナローレイアウト祖師谷軽便鉄道を発表した作者の連載記事でこの号が3回目、ナローの楽しさを発信してます。
ところでNゲージで鉄道模型始めた方は『ナローは線路幅が狭い鉄道模型』はご存じでも、HOn2 1/2の意味を正しく理解してる方は非常に少ないと思います。 本題に入る前にポイントだけ説明します、筆者が何故KATOの1/80模型HO詐称を問題にしてるかも解ります。
つまりHOn2 1/2とはNレールを走る1/87サイズの軽便鉄道模型です。
【沼尻鉄道ホハ12】
線路幅が狭くなると必然的に走る車両の幅も狭くなり、高さも低く、重量も軽くなります。 でも乗客のサイズと重量は変わらないのでナロー独特の車両外観になります。
【沼尻鉄道ホハ7】
特に妻面縦横比が特徴的で、360cc時代の軽ワゴンの様に馬面になります。 軽量化の為でしょうかオープンデッキ客車が多いのもナローの特徴で寒い地域路線なのにと思います。
【祖師谷軽便鉄道の2軸客車】
作者はN用5.5φ車輪を使い2軸客車を製作してます、乗車定員20名未満だと思います。
拙ブログでも1960年初頭全国各地に存在した軽便鉄道を紹介してます。 1970年までの10年間でそのほとんどが廃止されました。 1964年東京オリンピックへ向け交通網整備が進み、東名高速開通は先進国仲間入りを果たしたい国家の威信を賭けた大事業でした。
【1964年10月遠州鉄道最後の日】
その一方で平均速度20km/hに届くかどうかの軽便鉄道は、古臭く非効率で捨て去るべき物として蒸機に先立ち廃止され、蒸機の様なブームも起きずひっそりと姿を消しました。
【運材列車イラスト】
ナローは機関車もユニークですが、連載3回目なので紹介済みの様です。 祖師谷軽便鉄道は鉱石運搬鉄道の想定ですが、作者は運材列車の夢もお持ちでイラストを描かれてます。
機関車や客車の外観特徴に比べれば貨車の外観は普通です、機関士や乗客の様な基準寸法がないので、縦横を小さくしたスタイルになってます。
有蓋車も背の低いタイプが多いですが、これは車掌が乗るワフなので馬面です。 筆者はナローファンではありませんが興味はあります。 筆者が一人旅を始めた昭和40年は1965年、有名な草軽は廃止されてましたが半数近くの軽便鉄道には間に合ってました。
【風間克美さん写真集ポスターより】
しかし国鉄線車窓からホーム片隅や跨線橋向こうに見えるマッチ箱の様な車両を見てもこれが時刻表に載ってる▲▲鉄道だなでスルーしてました。 それを懐かしく感じるのは若い頃好きでなかった流行歌を30年後に聞くと、その頃の思い出に繋がるのと同じ心情です。
★ひかりに続く車両たち
この号で初めて知ったシリーズがありました。
【TMS1963年12月号より】
長期連載の『陸蒸気からこだままで』は新幹線開業10ヶ月前の1963年末に完結しました。 その後加筆され『陸蒸気からひかりまで』と改題され特集シリーズになったのはご承知の通りです。 その続編とも言うべき『ひかりに続く車両たち』の第1回が掲載されてます。
①近代化された除雪車DD53とDD20
1964年から1965年、正に新幹線開業直後に試作された除雪編成、後年の量産型がどうなったかは寡聞にして知りません。
②小さな体で大きな力ED75
ED71の改良機で出力1900kW、旧式ED電機代表格ED16の900kWの倍以上の出力です。
③九州特急が生んだ珍車サヤ420
151系特急博多乗入れの際、九州交流区間は電機牽引した時に電源車として改造し使われた車両、交直両用481系登場で元のモハ420に再改造された一時のあだ花的車両です。
最下段はキユ25と冷房付きキロ28です、5ケ月後の1967年6月号にこの連載はないので。数回のシリーズで終わった様です、新幹線開業1年半ではネタ切れしても仕方ありません。
ではまた。