Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前のTMS 1963年12月号①

ネタに困った時のTMS頼りもそろそろネタ切れ、1964年以降6年分は鉄道模型から離れ、分不相応な車維持の為に売却してしまったからです。

表紙は青大将特急つばめ展望車と食堂車車内です。 特急列車は庶民に縁が薄く、ましてや展望車は高根の花、現在の国際線フライトファーストクラスの様な存在でした。

最初に鉄道模型各社の新製品広告を眺めます。 天賞堂は購入者に製品化希望アンケートを実施しており第1位がDD13だったとの事です。 当時特に人気があった訳でもないDD13が1位は不思議ですが、販売中DF50とのセット運用入替機ニーズだったのではと思います。

当時の鉄道模型メーカーで天賞堂は「高品質で高価」が定評の図抜けた存在で、各社から発売されてた10系客車よりデキは良いが価格5割増しでした、7-8倍の貨幣価値換算で客車1両が1万円以上です。 従って筆者急行列車編成で天賞堂製はオシ17だけでした。

【『鉄の履歴書-19』より転載】
他の客車は処分しましたが、バイト代2日分で買った天賞堂オシ17だけは捨てるに忍びなく今でも箱入り保存してます。 筆者が世を去ればゴミとして捨てられる運命ですので車両の終活を考える時期に来てる様です。


カワイの広告は151系発売予告を最初に行いながら発売が最後になったお詫びから始まる面白い内容です。 当時は万世橋に交通博物館があり、10月1日都民の日は入館無料、お茶の水-神田間にはカワイと鉄道模型社があり16番模型を眺めるのを楽しみにしてました。 

その鉄道模型社新製品はC56です。 写真だけ見てKATO8620と比較したらどうでしょうか?、鉄道模型のデキは現在のNの方が上だと思います。 コピーに時代が出てます、当時16番レール半径はインチ規格、12吋は半径305mmで20m車は22吋以上が目安でした。


上記3社に魚籃坂下にあったカツミを加えた4社が鉄道模型大手で、他に宮沢・トビー・遠藤・つぼみ堂・歌川・マツモト等の車両完成品/キット販売メーカーが多数ありました。

実車世界の新型車紹介には東武8000系が載ってます。 この時代は大手私鉄が3扉17m車から4扉20m車移行を加速させた時期に当たり、新世代私鉄車輛第一陣になります。 筆者が利用した東急では余剰となった17m車が地方私鉄へ売却され、最近まで活躍してました。

同じく新型車紹介は南海7001系です。 私鉄車輛4扉20m車化の背景には輸送力増強と乗降時間短縮があり、17m級新型車末期からほとんどが両開きドア化されてました。 関西私鉄に全く縁がなく解りませんが、南海新型4扉20m車の片開きドアには違和感を覚えます。

この号のレイアウト紹介は錦浦鉄道、ブログと言う便利なツールがない当時、レイアウト製作を志す鉄道模型マニアにとって自作レイアウトのTMS掲載は人生の夢でした。 第2次表記で解る通り作者2作目、作って始めて解る不満点の数々は今も昔も変わらない様です。

大きく違うのはレイアウト製作に要するリソース、スタイロフォームに線路敷設し既成ストラクチャ並べて地形作成植物素材撒いて一丁上りとは行きません。 ストラクチャほぼ全て、写真の電柱や腕木式信号機も自作、勾配線路敷設用便利部品も市販されてません。


そして工作力に加え資金力、現在の5倍以上の金食い虫で、経済的余裕がなければレイアウト製作は難しい事業でした。 またTOMIXの様なメーカーは存在せず一通りの電気知識がなければ走行さえできませんでした。

1.1mx2mは16番個人レイアウト標準サイズ、折り畳みエンドレスに駅一ヶ所の比較的単純線形でNならデスクトップで可能です。 信号機は遠方信号機を含めた腕木式フルスペックで作者のこだわりを感じます。 垂直の擁壁はいただけませんが、ポイント用法を含め実物に即し現実感優先の思想が随所に現れ、当社コンセプトとの共通性に親近感があります。

今も昔も変わらないのが用地難、御覧の様に中央の蝶番で二つ折り構造を取ってます、収納時コンパクトさは十分でなくともストラクチャ破損防止・防塵には有利な構造で、Nレイアウトにも有効な方法だと思います。

【レイアウトサロンより】
気になる事があり第1次錦浦鉄道がどの様なレイアウトだったのか『レイアウトサロン』で調べました。 サイズ1.4mx1.9mは第2次より少し大きいだけですが、線路配置が全く違います、複線エンドレスに通過駅と終端駅、ターンテーブルまで備えた高線路密度です。


『新レイアウトは旧レイアウトより線路密度が低い』の筆者仮説が当て嵌ってます。 レイアウト主目的は運転で最初はアレコレ欲張り線路だらけ、一度製作すると風景製作の面白さや整合性の重要さに気付くと考えてます、TMS掲載龍安寺鉄道も当社延伸線も同じです。

作品グラフには筆者の思い出が詰まった車両が掲載されてます、13mmでモデル化された東武モハ3210です。 年一度の母の実家館林までの1時間半は電車好き少年には大旅行、東武伊勢崎線のセミクロスシート化されたモハ3210が旅行気分を満喫させてくれました。

断片的な記憶の3-4歳から祖母が亡くなる小学校卒業まで母に連れられ帰省してました。 東急にないクロスシート・2扉・1段下降窓のモハ3210をボツボツ電車と呼んでました。 リベットを打った電車は昭和20年代末に姿を消し、30年代に他では見ませんでした。

同じく作品グラフには国鉄7000型、明治期に輸入され北海道で活躍した米国製蒸機です。 当時でも超古典蒸機で資料に乏しく、細いボイラーでスケール1/72、キャブ一杯にモーターを収納してます。 スクラッチビルダーの『人が作らない物を』の精神が感じられます。

好評連載陸蒸気からこだままでは当時国鉄の看板列車、EF58牽引20系あさかぜ、153系東海型、初の電車特急こだまで最終回を迎えてます。 『振動と騒音がある電車は長距離優等列車に向かない』の鉄道省技術陣常識を打ち破ったキッカケが80系湘南型、仕上げが151系こだまで、電車王国日本誕生の立役者として151系はエポックメイキングな車両です。 

後に陸蒸気からひかりまでと改題され特集シリーズに加えられましたが、右下エンディングは0系新幹線に差し替えられたのでしょうね。 日本の新幹線が現在欧州に併存する動力集中式(機関車)でなく動力分散式(電車)になったのは、方式優劣でなく車両開発史の必然でした。[続く]


ではまた。

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