Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

私鉄特急ロマンスカーの系譜 その1

テーマの『特急ロマンスカー』は私鉄の花形、ところがロマンスカー定義は定まっておらず人によりバラバラ、特集を組む事になった鉄道P誌編集担当者は頭を抱えました。 そこで1963年5月時刻表から特急を名乗る私鉄各社の車両運行状況をリストアップしてます。

時刻表に記載のない列車は省略と断ってますが、筆者記憶では運転開始してた京王帝都電鉄新宿-京王八王子間特急が省略されてる様です。


南海特急で解る様に競合国鉄路線がある区間の平均速度が高く、自社線内特急は平均速度が低い傾向が明確です。 特急ロマンスカーを納得が得られ易い以下の様に定義してます。

当時小田急NSEと並び私鉄特急人気車輛だった名鉄パノラマカーは➍をクリアせず対象外です。 地味ながら乗車経験があり好きだった東武伊勢崎線の『赤城』号は日光線『けごん』に遠慮して急行を名乗ったので対象外です、料金は特急の¥200に対し¥100でした。


1.私鉄特急ロマンスカーの登場
それでは私鉄特急ロマンスカー登場から黎明期を見て行きます。

私鉄の特急運転が開始されたのは大正末から昭和初期の関西だったそうですが、特急ロマンスカー定義に当て嵌まる最初は1947年2月に登場した近鉄特急だったそうです。 筆者が生まれる3年前の事で、扉もない車両や座席があればマシには驚かされるばかりです。

こちらがその国内私鉄初の特急ロマンスカー、2扉3両編成で、古臭さを感じさせない垢抜けたデザインの車両です。

特急ロマンスカー登場の衝撃を、当時の鉄道同好会会報の記事に語らせてます、戦後の香一杯の時代がかった文章ですが、当時の鉄道ファンが喝采して迎えた気持ちが伝わります。

近鉄特急ロマンスカー登場翌年に関東でも東武が浅草-東武日光間で運転を始めました。 GHQ専用の国鉄客車を組み込んだ編成が時代を表わしてます、画像はありません。

東武に続き小田急も新宿-小田原間で特急ロマンスカー運転を開始しました。 別料金を徴収せず運転してた週末温泉列車の復活で、週末に1往復だけの運転でした。 小田急は引き続きサービス向上に努めてます。

運転開始翌年に10分のスピードアップ、更に国内初の特急ロマンスカー専用車両1910系3連を新製し、週末運転を毎日1往復運転にしました。

【小田急1910系】
1910系は4扉車で部分固定式クロスシートの室内なので、近鉄や東武に比べ見劣りしましたが、車内に日東紅茶スタンドを設け話題を呼びました。

1950年8月に箱根登山鉄道小田原-箱根湯本間の相互乗入れ可能工事が完成すると、平日3往復、週末4往復に増便され、箱根温泉玄関口湯本まで95分で結ぶ様になりました。

関東で先陣を切った東武はクロスシート車デハ10系から6両を選び、ロマンスカー用改修を行い、浅草-東武日光間に『華厳』、浅草-鬼怒川間に『鬼怒』を平日1往復、週末に増発して運転しました。

茶色一色だった東武車輛初のツートーン塗装で、浅草-東武日光間所要時間は、1949年6月のダイヤ改正で169分へ、1951年5月のダイヤ改正で146分とスピードアップされました。

一方近鉄は登場当時所要時間3時間55分で名阪連絡に敵なしでしたが、私鉄より運賃割安な国鉄関西本線に準急が登場、キハ55投入で時間短縮の競争により、1949年8月に30分短縮、更に、1952年3月に2時間55分へスピードアップして王者の地位を守り通しました。


2.黎明期の珍車たち
黎明期の特急ロマンスカーには有る物利用の珍車が登場してます。

近鉄は手荷物室付きコンパートメント車両を改造し、荷物室にソファーを置いて、特急料金¥50加算で利用できる2303型連結特急ロマンスカーを1949年10月から運転しました。

東武は戦前製造木造貴賓車トク500を改造し転換クロスシート、ソファ、スナックバー付き車両を団体専用特急ロマンスカーに連結しました。 これも1949年10月運転開始です。

南海では東武の様に戦前製造の貴賓車を改造した1900形を、特急『こうや』に連結し、利用料金徴収して1951年6月から難波-極楽橋間で運転しました。 しかし1900形以外の車両はロングシート車で料金徴収しなかったので定義外で特急ロマンスカーとは言えません。

南海『こうや』が転換式クロスシートのモハ1251形とクハ1900形で料金徴収し特急ロマンスカーの条件を充たす列車を運行したのは1953年4月、他社よりかなり遅れてました。


3.専用設計車両の登場
黎明期は専用車両と言っても改造や改修で作られた車両で、基本設計は一般車と変わりない物でした。 停車駅が少ないのに扉が多い、座席数を増やすを主目的に特急ロマンスカー専用車両が開発され、1951年2月に運用開始した小田急1700系がその最初と言われてます。

MTM3両固定編成の扉はデハ連接面各2ヶ所のみ、サハは非常扉だけにして座席数を増やしてます。 転換式クロスシート等特急ロマンスカーらしい室内になりました。 しかし第1第2編成デハ台車は1600系の流用、サハ台枠は戦災国電の流用などケチ臭い設計でした。 第3編成だけ新造車で外観も多少異なり、蛍光灯照明を採用してます。

第1第2編成も後に第3編成の新造台車に履き替える改修を受けました。 技術的に目新しい部分が少ない1700系ですが、その後登場した各社特急ロマンスカー専用設計車に様々な影響を与えており、小田急が先駆者的な役割を果たしてます。 次回はその辺りからです。


私鉄電車ファンにとって特急ロマンスカーは興味深いので、ルーツ解説の紹介をまとめてますが、何せ60年前に75年前を振り返った記事です。 時系列では話が飛び火ばかりだし、会社別では相関関係が解らない、どうまとめるか考え考えで非常に難しい作業です。


ではまた。

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