Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

令和の田舎の沿線を訪ねて 最終回

旅行最終日は高松から自宅へ帰るだけの行程です、旅の所感を含めて最終回とします。


10月16日(月)
帰宅するこの日も好天、結局11日行程で雨が降ったのは5日目の出雲坂根駅付近の午前2時間と、9日目徳島へ向かった午後3時以降だけと、晴男の本領発揮で旅を満喫できました。

【帰路551km】
前日15時チェックイン後帰路確認しました、自宅まで551km、所要時間5時間50分、休憩時間入れて7-8時間、薄暗くなる前の帰着には遅くとも8:00に出発する必要があります。

【鳴門大橋】
夕暮れ時の運転を避けたいので7:30ホテルを出発、高松市内で通勤ラッシュに巻き込まれましたが7:50に高速に乗れました。 2015年に車で来た時は高松-徳島間は完全開通してなかったと記憶してますが、全区間2車線開通しており、8:30鳴門大橋を通過しました。

【明石海峡大橋】
淡路島を縦断して明石海峡大橋を9:05通過、山陽道から中国道、吹田JCTから名神と思ってたのですが、漫然とナビ指示に従ってたら阪神高速に乗ってました。 多分距離がわずかに短く、馬鹿正直なナビは最短時間経路を案内した様で、高速料金割高になりました。


阪神高速から名神高速起点を通過、ここを通るのは中国道も山陽道もなかった50年前から2度目です。 阪神高速はゆっくり休めるPAもなく、高松から2時間越え連続運転です。

【草津PA】
結局3時間連続運転で往路でも寄った草津PAに10:30到着、トイレと給油、コーヒー買って10:45出発しました。

【小牧JCT】
名神は順調に流れており、遅いトラック追い越す程度のマイペース走りで、12:05小牧JCTから中央道へ、ここまで来ると自分のテリトリーに近付いた実感がありました。 余裕で明るい内に帰宅できるの確実です。

【宇津峠PA】
小腹が空く時間帯、ここを通るなら名物のアレです。

【名古屋はきしめん】
宇津峠PAのきしめんは結構旨いのです。 讃岐うどんとは一味違った食べ心地です、平打ち麺におかかが絡まるのがきしめんの特徴です。

【恵那山トンネル】
中央道は平日でリニューアル工事1車線規制区間かかなりありましたが渋滞はなし、恵那山トンネルも1車線規制でした。 これを抜ければ長野県、残り1時間少々です。

【諏訪IC】
エコランで走りで諏訪IC14:30着、高松からジャスト6時間です。 昨年JR利用で茅野7:30、高松15:30着でしたから、名古屋-岡山間新幹線『のぞみ』利用の鉄道より、660cc軽自動車の方が1時間移動時間が短い訳で、これでは鉄道が衰退するの無理もないと感じました。


★旅の所感アレコレ
1.意外に残ってた古い物
本シリーズタイトル『令和の田舎の沿線を訪ねて』は詰まる処『ローカル線沿線に残る昭和を探す旅』でした。 予想以上に昭和の遺構が残ってました。 旅行記に使わなかった撮影写真で振り返ります。

【美作河井駅ラッセル車転車台】
無煙化から48年、ラッセルはそれ以降も運転されたかもしれませんが、備後落合機関車駐泊所転車台は間違いなく使用停止48年経過してます。 鉄不足の時代もあったのに、赤錆びたまま放置されてました。

【トタン葺きに変えたわらぶき民家】
この民家は築100年かもしれません。 50-60年前にトタン葺きに改修され、錆止め塗料がほぼ剥げ落ちてます。 無住で取り壊さないのは、固定資産税の節税対策でしょうか。

【美作江見 農業倉庫】
昭和に建設された駅前農業倉庫です。 ストリートューで発見した時は剥げ落ちかけた壁に『協同組合倉庫』の文字があったのですが、塗り直されており大変残念でした。

【備後落合駅階段踏切】
死滅したと思ってた駅舎前ホーム階段踏切がまだ残っており、実際に使われてました、鉄板の蓋は操作する駅員が居ないので撤去されてます。

【吉舎 元野小屋尾の駐車場】
現在は駐車場として使われてますが、木造瓦葺きの建物で、昭和時代には野小屋または倉庫として使われてたと思われます。

【阿波加茂 町工場跡】
何時廃業したか解りませんが、昭和時代のこの建物は町工場だったと思います。 床のコンクリートに油のシミが残ってました。

【松山地蔵町 よろず屋】
そしてNo.1は現在も営業中のよろず屋です。 伊予鉄駅前で近くにスーパーもコンビニも無い為、奇跡的に生き残ったのでしょう。


2.視力低下はしんどい
免許更新条件ギリギリまで視力低下が進み、車の運転には細心の注意を払い、薄暮から夜間運転避けましたが、影響はかなりありました。

【トンネルが怖い】
昔はトンネル内でも漠然と前を見てるだけで視覚⇒脳⇒腕の自動制御回路が働き何の不安も感じなかったのですが、視覚情報が減りセンターラインや天井灯注視でやっと真っ直ぐ走れ、トンネルが苦手になりました。


またトンネルに入った瞬間の瞳の反応速度が低下しており、トンネル入口で少し速度を落とす様になりました。 小仏トンネルや日本坂トンネル渋滞は、入口速度低下の連鎖反応が原因と聞いた時は『減速必要ないじゃないか』と嗤いましたが、嗤えなくなりました。

【郡家の大チョンボ】
車両高さとガーダー橋桁高さが同じです。 400m先因美線鉄橋を渡る列車を、250m先若桜鉄道鉄橋を渡る列車と勘違いして撮影してます。 若桜鉄道列車は1分後通過しました。


3.昭和と令和と
現代に昭和の香を探す旅でしたので、至る所で両者が交錯してました、2例紹介します。

【木次線 出雲坂根】
60年前昭和30年代にこの駅を出入りしてたのはC56・キハ02・キハ07でした。 その後C56は消え、キハ52やキハ40を経て、現在はキハ120、世代交代3回に時の流れを感じます。

【福塩線 吉舎】
木造モルタル塗りの古い駅舎と跨線橋の上空に高速道路の高い橋梁、尾道道です。 とてもアンバランスな風景だと感じました。


4.印象深い訪問先
11日間の長い行程で2,700km走った旅の印象深い訪問先TOP3の一つは営業中よろず屋ですが、残りの二つです。

【石見銀山ガイド付きツアー】
江戸時代初期石見銀山の山の上に、数万人が暮らす『日本のマチュピチュ』があったとは実に驚きでした。 月曜でしたが3連休休日でこのツアーに参加できたのが幸運でした。


【奥出雲おろちループ】
場所への思い入れもありますが、ガードレールに傘の柄を引っ掻け肩で押上げ、雨の中で撮影した事が強く印象に残ってます。 列車が15分早ければ土砂降りで全くダメでした。


5.撮り鉄とは待つ事と見つけたり
昨年の四国旅行でも最大1時間20分待ちましたが、今回はそれ程ではないにしても40分前後の待ち時間が数回ありました。

【只今天日乾燥中】
旅の荷物は少ないに限るので期間中3回洗濯し、天気が良く暖かい日も多かったので、人目のない待ち時間に愛車が物干場になりました。
 [本シリーズ完結]


ではまた。

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