Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

KATO C56発売予告に想う

先日KATO EF55発売時の人気に驚いて雑感を公開しました。 筆者も知らない現役時代、知るのは80代の旧型電機が何故?と思った訳ですが、頂戴したコメントから高崎運転所籍でイベント列車牽引や交通博物館展示を知り、世代による車両認知の違いを感じました。

【KATO HPより】
高品質蒸機を送り出してるKATOからC56 160発売予告がありました。 復活蒸機イベント列車『北びわこ号』『やまぐち号』牽引機としてです。 現役時代を知る最後の世代は既に高齢者なので無理もありません。 乗った物、見た物に興味が湧くのは当然だからです。

【KATO HPより】
イベント列車牽引機なのでヘッドマークとランボード・キャブ下白線は許容できても、テンダー白線・至る処金モールだらけ、しかもG56が全く場違いな北陸本線と来ては、上を目指して独立リーグで頑張るピッチャーが、いきなりMLBマウンドに立つ様な違和感です。


元々収益改善が目的の列車、SLなら何でも良かったのでしょう、似合うのはD51/E10辺りですが、昔の事知る人少ないですからね。 乗客減と他列車ダイヤ影響及びコロナ禍で2019年で運転終了したそうです。 消えゆく物への愛惜は1975年も今も変わりない様です。

【蒸気機関車スタイルブックより 中込機関区】
C56は丙線より路盤の弱い簡易線区用に開発された蒸機です。 軍国主義の影響も受け半数以上が軍事供出で東南アジアに渡り還りませんでした。 国内に残ったC56活躍場所は閑散線区、小海線、飯山線、大糸線北部、七尾線北部、木次線、三江北線などでした。

【野辺山静態保存C56】
特に小海線では『高原のポニー』の愛称で親しまれ、100Kmに満たない路線なのに始点小淵沢、終点小諸、機関区のあった中込と上写真野辺山、清里と5両も静態保存されてます。 筆者は1963年清里林間学校で飯森山山頂からC56貨物列車を遠望したのが出逢いです。


C56は後退運転視界確保の為にテンダー欠き取り設計ですが、後退運転性能は従輪がない事で同系列C12より悪く、『北びわこ号』も木之元折り返し便が低速でお邪魔虫になったそうです。 でも従輪がなく後退性能悪いとしたら、8620/9600はどうだったのでしょうね。

【小淵沢静態保存C56】
実はKATO発売予告見るまでC56が山口まで遠征してたとは知りませんでした。 蒸機イベント列車草分け『やまぐち号』はC57 1で運転開始、D51 200が予備機の話は聞きました。 運転技術継承に問題があった様で、わずかな勾配で空転しまくりだったそうです。

【KATO HPより】
大空転音声聞いただけで乗客は前後に揺すられ酷い乗り心地だったと解ります。 それもあったのでしょうか途中からDD51/DE10補機が付く様になりました。 この写真の牽引客車にギョッとなって調べると、マイテ49風/オハ35風の新製車両5両で運行してるそうです。


でもこうなると実際はDL牽引、蒸機は煙と騒音発生装置として列車牽引に寄与しない看板(出力上げれば空転するだけ)に過ぎず、名のみのSL列車でかわいそうになります。

【KATO HPより】
で、掲載された試作品写真はオリジナル、スッピンではイベント列車再現に似合いません。現役時代を知るファンとイベント列車世代双方に買わすつもりですかね。 間を置いて厚化粧C56とイベント列車編成セットにして、一粒で二度美味しい戦略かもしれません。


筆者はパスです、C56活躍線区は限られており、他形式蒸機との混在はほとんど例がなかったからです。 例外的に電化前上諏訪機関区にD51とC56が同居してました。 電化後D51が北海道に去り、C56とC12在籍時期が数年あり、目にしてるハズですが記憶に残ってません。 KATO C56は売れるでしょうね、欲しい方は早目の予約をお薦めします。


ではまた。

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