Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

その後の新カメラ

今月初め、新しいカメラを買った話をしました、その後の近況です。

【過去記事より転載】
ミラーレス一眼カメラ、コンデジサイズで高性能・高機能、その分高価格でしたが。 前回記事公開後マニュアルを読むと標準レンズにもズーム機能あると解りました。 そこで同じ場所でPL-10標準レンズのワイド端とテレ端を撮影し、GX200と比較し直しました。

やはりGX200標準レンズはかなり広角です。 レイアウト撮影には使い易い場面も多いのですが、風景撮影となるとズーム性能が悪く、被写体に寄って撮るしかありませんでした。

PL-10標準レンズワイド端はほぼGX200テレ端と同じです。 つまり標準レンズでかなり広い撮影条件に対応可能です。  

PL-10標準レンズ再撮影に行った場所で、手持ち連写で試し撮りしました。 曇天逆光、17:30撮影の悪条件でしたが、手振れ補正も効果的で、予想以上に撮れました。

好天日を選びテスト撮影行、標準レンズワイド端で小海線小淵沢の築堤大カーブで撮影しました。 手前から奥までシッカリ写ってます。

望遠レンズワイド端試験場所は中央本線旧立場川橋梁、同日撮影はアングルが悪く翌日に再撮影、鉄橋から約400mの距離です。 古風な鉄橋を381系が駆け抜けてる様に見えますが、望遠レンズのマジック、381系は更に300m近く奥のコンクリート橋を渡ってます。

【2016年7月撮影】
こちらが種明かし、立場川橋梁は電化後も使われてましたが、複線化工事完成時に廃線となり、国鉄から地元富士見町が無償譲渡を受け保存してます。 風立ちぬサナトリウムのモデル富士見高原病院が近く、アニメ風立ちぬにも背景にこの鉄橋が描かれてます。

【2016年7月撮影】
1904年に完成し1980年まで使用されたボルチモアトラス橋という珍しい形式の鉄橋です。 筆者は1966年夏の初八ヶ岳山行で新宿発長野行夜行鈍行で通ったのが最初、複線化されるまでに6-7回通ってると思います。

【鉄道P誌 D51特集号より】
さすがに中央本線蒸機時代には少し間に合いませんでした。 さて新しい道具を手に入れて何を撮りたいのか?、購入前に考えてませんした。 JR車両には全く興味ないので鉄道車両写真ではありません。 得た答えは『令和の田舎の沿線風景』でした、昭和の香がスパイスで利いてれば言う事なしです。 自宅近所の風景で例示すればこんな具合です。

現在381系が走る線路を181系あずさが走ってた30数年前、右手前壁のない小屋掛けは寒天釜場でした。 6尺立法の三つの釜でテングサを煮て作った生寒天を、12月初旬から2月中旬まで、水田に拡げ日照のある8-15時天日干し、約2週間で乾燥させて製品にしてました。


181系が351系に変っても寒天生産は続きました。 ダイエットブームで売れに売れた時期もありましたが平成二桁になった20数年前、この寒天釜場は閉鎖されました。 売れなくなったのではなく、5-16時、11時間労働の厳しい職場の働き手確保が不能になったのです。

この寒天釜場は東北地方からの出稼ぎ労働者に支えられてました。 釜場脇、寒天干し場になる水田奥に粗末な住宅があります。 毎冬5-6人の寒天職人が共同生活を送ってました、正月に帰省するだけ、車を使ってた様子はなくここで自炊してた様です。


一度だけ中を見た事があります、囲炉裏が切ってありました、棟の小屋根は煙出し、煙突は薪ストーブと風呂です。 若い人は居ませんでした、最後の数年は喰う為の出稼ぎでなく、長年のお付き合いの義理だったかもしれません、それも高齢化で終わった様です。

【寒天干し】・・・茅野市HPより
この寒天屋は廃業しましたが、市内には時代の変化に適応して操業継続してる寒天製造業者が多くあり、現在も生産量日本一です。


今年6月に5泊6日東北のドライブ旅行をしました。 またぞろお尻がムズムズしてます。 車の運転できるのも多分後2年半弱、寒くならない内に、令和の田舎の沿線風景と俳句ネタ探しの旅です。 来月上旬10泊11日で遠征を計画中です。 カメラ購入もその下心かな。


ではまた。

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