Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

機関庫の風景総集編 その2

最近紹介した1966年TMS掲載記事から、KATOがそれを参考にして、と言うよりパクって給水塔・木造機関庫、構内建物等のストラクチャ群を設計してた事が解りました。 シナリーガイドK氏の実地踏査による情報ですから、昭和の雰囲気が出てるのは当然です。
◆KATO新製品ローカル線の小型駅舎・・・2020.05.04更新
3年前にKATOが発売したこの製品、駅前の赤丸ポストから昭和の時代設定と思われるのに、全体雰囲気が現代的で、キハ40は似合ってもキハ20は似合わないと評しました。

【上記記事より転載】
設計者が若く昭和の原体験がないからではないかと書きましたが、昭和のローカル線の小型駅舎なら、TMS誌上にK氏記事の好例が多数ありパクれば良かった訳です。 この外観なら平成から現代の小型駅舎として、ポストを角型に変更しないとチグハグで変です。


脱線しました、今回は小型矩形庫続編で積み残し機関区と機関支区です。

機関区としては最小クラスの一つ飯山機関区が紹介されてます。 キャプションにある様に小機関区でも数多くの建屋が並んでます。 飯山機関区は駅奥の線路沿いに機関庫・転車台・施設・詰所群が長く分散配置されており、密集配置機関区より長閑な雰囲気です。

飯山は飯山線途中駅で分岐する路線もありません、つまり飯山機関区は飯山線専用機関区で、在籍機はわずか7両です。

飯山線の様な幹線を結ぶローカル線は、通常始点終点の幹線駅に機関区が設置されてます。 例えば陸羽西線新庄/酒田、米坂線米沢/坂町の様にです。 100kmを越える高山本線は給炭航続距離から美濃太田/富山では無理で、途中の高山にも機関区が設置されてました。

【飯山機関区救援車】・・・これも機関区らしさの一つ
これに対し始点終点幹線駅の機関区有無に関わらず、ローカル線途中駅に路線専用機関区が設置されてた例があります。 飯山はその例であり、他に花輪線荒屋新町や小海線中込などがあり、いずれも小機関区です。

機関庫は木造2線式で4両収容可能、小型のC56なので西舞鶴より全長は短い様です。 飯山は豪雪地帯なので屋根に雪止め柵が数段、入口は扉付、更に雪の重みに耐える補強支え棒が設置されてます。 屋根上の煙出し位置は規則性がない配置で、面白い事例です。

機関庫から張り出して工作室が設置された事例は多く、当社生野駅で諦めた話は前に書きました。 積雪寒冷地では修理・改修を行う機関区で作業性が良い配置だったと思います。


★機関支区
連載1回目が機関区、連載2回目が機関支区と駐泊所になってます。

【東北本線 北上機関支区】
連載2回目の表紙写真は機関支区で最初に紹介される北上機関支区機関庫が使われてます。 盛岡電化前の仙台-盛岡間で貨物輸送大動脈を支え、この号発売1年経たず全車廃車されたD62が憩ってます。

K氏は本文で機関支区をこの様に解説してます。 つまり規模の小さな機関区で付属建屋に工作室(機関庫張出し型含む)、砂乾燥場等がなく半数程度で済みます。 連載冒頭で機関区を作ろうと考えてる人には機関支区を作る事をお薦めすると書かれた背景です。

北上は東北本線と横黒線(後の北上線)分岐駅で、東北本線は北の盛岡、南の一関の大機関区が担当し、横黒線担当D50の為に設置された様です。 表紙写真から電化前には東北本線担当機が立ち寄った事が解ります。

D62が出入りするので転車台はフルサイズです。 転車台留置線は4本あり、事業用車両とラッセル車が2線を占めていると書かれてます。

在籍機は横黒線担当D50と入換機8620の6両もみです。

D50は方向転換して転車台から出てきた処と思われます。 転車台奥留置線にラッセル車が見えてます。 2線式木造機関庫は片側のみ扉付で飯山ほど雪深くないからでしょう。

五条は和歌山線の中心駅として機関支区が置かれてた様で、本区は奈良だと思われます。 配置図にある様に建屋の多い支区で、機関区と言っても通用しそうな規模です。

KATO木造機関庫タイプの2線式機関庫です、この角度だと奥行不明で収容両数が2両か4両か解りませんが、外観は線の細い華奢な印象です。

写真のキャプションでは『貧弱』と表現されてます、写真拡大して見ると側面がつっかえ棒で補強されてました。 なお北上機関支区は在籍機データが残ってますが、他の機関支区は残ってません。 このには多分奈良機関区のC58やC11が出入りしてたと推定されます。

キャプションに書かれた奥から給炭台・燃料掛詰所・油庫です。 ところで記事掲載写真はK氏撮影ですが、K氏は国鉄職員でも関係者でもない1マニアです。 筆者同世代撮り鉄さんブログからも、関係者以外立入禁止看板の建つ機関区に『写真撮らせてください』と声を掛けると、『良いよ、線路渡る時気を付けて』と許可される鷹揚さが当時はあった様です。

この写真は給炭台上からです、安全管理が厳しくなった1990年代以降は考えられない事で、K氏の貴重なレポートが残ったのは国鉄の鷹揚さのお陰と感謝しなくてはなりません。

五条駅ホームから眺めた機関支区、筆者が見ていたアングルです。 声掛けて立入許可を求める勇気もなかったし、そもそも写真撮りまくるお金も持ってませんでしたからね。

前写真に添えられたキャプションです、確かのNなら400x1,200mm程度のスペースで五条機関支区を再現する事が可能だと思います。

木更津に機関支区があったとは知りませんでした。 本区は千葉の隣房総東西線分岐駅蘇我機関区と思いますが、K氏訪問時にはその役割をほぼ終えて蒸機の姿はなかった様です。

木造3線機関庫ですが全長から見て3両収容サイズです。 蒸機に替わり区間運転の旧式DCが休んでます。

同じ3線機関庫でも亀山や糸魚川に比べると背も低く土台コンクリートも薄く、簡素な作りになってます。

1966年に両国からC58牽引の臨時列車『勝山海水浴号』に乗った経験があり、かつてはC58や8620が出入りしてたのでしょう。 紙数が付きました、次回最終回に続きます。


ではまた。

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