Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前のTMS 1966年1月号

最近紹介した線路脇のストラクチャと機関車駐在所のネタ本紹介です。

【TMS1966年1月号表紙】
新春特大号なのか通常号より増ページされ価格アップ、記事内容も充実してます。 表紙は掲載作品車両・ストラクチャ・レイアウト使うのが普通ですが、デフォルメした蒸機置物(オルゴール?)は珍しい例です。


◆広告戦線異変あり
模型店からの新年のご挨拶が掲載される1月号表紙をめくってアレッとなりました。 ここは天賞堂の指定席だからです。

ところがカワイモデルが天賞堂の指定席に座ってました。 広告は掲載ページにより掲載料が違うので、カワイが奮発したのかもしれません。

天賞堂がどこ行ったか探すと裏表紙でした、表紙見開きより裏表紙が格上とすればワンランクアップです。

通常号裏表紙はカツミか機芸出版社、カツミは裏表紙と裏表紙見開きを行ったり来たりで、この号は天賞堂の裏、指定席の一方に座っており、カワイだけがランクアップでした。

この号の広告で関水金属(KATO)が積極的に攻めてます。 1966年はNゲージがレイアウトを製作し運転を楽しむ鉄道模型として大きな一歩を踏み出した年だっと言えます。 レイアウト製作に欠かせない電動ポイント発売予告があり、103系の発売予告もあります。


◆作品グラフと製作記-1
本号は通算211号、207号の表紙を飾った富山地方鉄道10020系特急電車の紹介と製作記です。 筆者には全く馴染みのない車両です。

作者はTMS誌上に私鉄電車の秀作を度々発表してたK氏です。 例示すると京急デハ1000系などが発表済、この後は長野電鉄OSカーや名鉄8000系DCなどを製作発表されてます。

地方中小私鉄は大手私鉄からの譲渡車両が大半を占める中で、新製車両投入は前述長野電鉄OSカーと並び珍しいケースで、K氏が食指を動かしたのは当然と言えます。 富山-宇奈月温泉間で特急運用されてました。

鉄道模型マニアの楽しみ方として走らす事『運転』は昔も今も変わりませんが、その他は大きく変わりました。 当時は20m車6両編成走行可能な個人レイアウトの建設・所有が非常に難しく、レンタルレイアウトもなく、所属クラブ組立式レイアウトが精々でした。


市販されてる完成品・キット車種は少なくかつ高価、その結果車両製作が楽しみ方の大きな比重を占めてました。 現在のNの様な収集マニアは存在し得ず、ほとんどの車両が模型化され、メーカーが新製品のネタ探しに苦労する時代が来るとは想像もできませんでした。

木型を作って展開図から真鍮板を切り出し、叩き出しで形状作成したパーツを半田付けで組み上げる当時の標準技法は、現在の16番、13mm、HO(1/87、12mm軌間)マニアに細々と継承されてるのでしょうか?。 この車両の製作記は参考にならないので省略します。


◆作品グラフと製作記-2
200特別号でエッジング板車体利用キハニ5000製作法を紹介したN氏の製作記です。 これも鉄道模型社エッジング板車体利用ですが、またまた変わり種車両の登場です。

この写真でこの国鉄車輛の氏素性が解る人は珍車マニアです。

『キワ90』、形式名からするとエンジン付き有蓋貨車になるのですが、正にその通りの自走式貨車です。 国鉄にこんな車両あったと驚くと共に、エッジング板発売元の鉄道模型社はゲテモノ好き?とも思えます。

実車は1959年に2両製造されて宮崎に配属され、妻線で試用されましたが運用成績が芳しくなく、7年後のこの時点で休車されてました。 運転台付き貨車にしてはスマートな101/103系に近い顔立ちです。

例によって車両工作初心者にも解る親切丁寧な製作法解説です。 前回も書きましたが製作者への配慮に欠けた製品だった様で、エッジングが浅く塗装で運転室扉が埋まる恐れがある、側板抜いてから一体の屋根曲げるのはほとんど無理などと苦言を呈してます。

で、測板と屋根板を切り離し、屋根を別に曲げて組み立てる方法で製作してます。 この辺りはベテランモデラーの判断による製作法指導がなければ、初心者は失敗確実です。

キハニ5000と異なり車内が見えないので、標準的な縦型モーター駆動です。 各1軸集電の性能確保の為、非駆動側車輪は中央部のみ固定の3点支持にして追従性を確保してます。

短距離盲腸ローカル線にこんな貨物列車が走ってたとは何とも愉快ですが、キワ90は国鉄車輛設計陣のアイディア倒れ失敗作だった様です。


◆作品グラフと製作記-3
作品グラフ&製作記最後はキット改造蒸機です。

と言っても、元キットが容易に想像できない変貌振りの1Cタンクロコのゲテモノです。

明治期に北海道開拓に活躍した米国製カウキャッチャー付きテンダー機、義経号の晩年の姿を再現したモデルです。

製作者自身が『この製作記読んでキット改造する人はまず居ないだろう』と書かれてますが、珍車なので確かにそうだったかもしれません。

帝国車輛入換機時代演出のスナップで『南六甲1号機』と命名されてます。 ちなみに『南六甲電軌』が作者がオーナーの模型鉄道です。


◆米国ライブスチーム事情
仕事で長期日本滞在中のライブスチーマー、ブラット氏が寄稿した米国ライブスチーム事情が掲載されてます。

ブラッド氏は1952年にライブスチームに接する機会があって興味を持ち製作を決意、1953年に着工し4年かけてアトランティック(4-4-2)を完成させてます。 1インチスケール(1/12)、121mm軌間、全長1.8m、重量100kgのライブスチームです。

ライブスチーム製作には旋盤や溶接の設備と技術が必須で、氏は根っからの鉄道マニアでなく機械系エンジニアの職業柄興味が発端だった様です。 完成後同好者12名でクラブを結成し年2回の運転会を開催し、その際は州を越えて遠距離車移動し集まってるそうです。

ではこのクラブ員が富裕層かと言うと決してそうではありません。 米国と日本では社会構造が全く違うのです。 エンジニアの社会的地位は決して高くなく、現在の日本に置き換えれば年収800-900万の中の上クラスに相当します。 何が大きく違うかと言うと大都市を除く田舎では土地が非常にに安く、米国の宅地単位はエーカー(約1230坪)なのです。

自宅にプールがあると大豪邸と思い勝ちですが、内陸部では建設費だけでプールを持て、ブラッド氏のクラスなら所有可能です。 ライブスチームはブラッド氏宅の庭で運転されます、線路延長は何と400mもあります、日本では地主さんでなくてはまず無理です。

この記事にTMSは『日本でも今後一般化すると思われるライブスチーマーの参考になる点が多かろう』と書いてますが、これは米国事情に疎い予測で当たりませんでした。 所得や生活水準は追い付いても、このスペース確保の問題で一般化の壁が非常に高いのです。


ではまた。

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