半世紀前の鉄道P誌1964年2月号②C51 239の話
古書一冊で何回も引っ張って恐縮ですが、ブログにはエンターテインメントの側面もあり、興味を持って読んでいただければそれでヨシ、ネタ不足もありますしね(苦笑)
【生野駅前の賑わい】
今回はこの号に掲載されたC51 239の話です。
廃車指令の決定が覆り、保存される事になった経緯が紹介されてます。
決定が覆ったのは鉄道友の会新潟支部長の嘆願書がキッカケでした。 嘆願書冒頭の時候の挨拶と共に新幹線試乗会招待への感謝が述べられてます。 開業8ヶ月以上前に試乗会が開催され、鉄道友の会支部長が関係者としてメディアと共に招待されたと解ります。
それに続く本文でC51 239が長きに渡り昭和天皇お召列車専用機であった事を理由に、保存機指定を嘆願してます。 お召列車専用機と言えるのは、C51 239と後を引き継いだEF58 60/61程度で、実際はそれ以外に多くの機関車がお召列車を牽引した実績が残ってます。
【お召仕様のC51 201 1940年】・・・ウィキペディアより
C51 239が専用機だった戦前1940年のこの写真がそれを証明してます。
【『半世紀前の鉄道P誌 1966年4月号②』より転載】
非電化区間の国体や植樹祭への行幸はその地区蒸機の晴れ舞台、美濃太田機関区C58の様に都度お召仕様に化粧して使用してました。
宛先は十河国鉄総裁です、一人の民間マニア嘆願書で保存される事になったのです。 昨年長野県でも同じような事例がありました。
【大町市トロバス記念館HPより】
2018年11月廃止されスクラップされたハズの黒部立山アルペンルートで54年活躍したトロリーバスが、富山の工場に1台現存すると知ったマニアの尽力で、クラウドファンディングを使い大町に里帰りし保存されました。 さてC51 239の保存はどうなったでしょうか。
一度総裁が決定した廃車を民間人指摘で手の平を返す様に変更するのは、過ちを認める様で面目が立たないと考えたのでしょうね、官僚的組織の悪弊です。 保存場所は鉄道教習所、教材を兼ねた保存の形になり、『教材』にする為に右側面は大きく切り裂かれました。
火室・煙室・ドーム内部構造が解る様に切り裂かれてます。 お召機として保存するなら標準型外観を旧に復し、金モール・化粧ガラスHLの雄姿で梅小路か大宮交通博物館に展示しなければ意味が薄いと思います。
【お召仕様で保存されたC57】・・・ウィキペディアより
このC57 139はお召列車専用機ではありませんが、お召列車牽引機を18回務めた実績で準鉄道記念物の指定を受け、化粧直しして『リニア・鉄道館』に保存されてます。 鉄道教習所教材になって60年、大組織役人根性で内臓を晒す羽目になったC51 239号機は教材の意味をとっくの昔にに喪失し、現在何処でどうしてるのでしょうか?
[註]鉄道教習所は変遷の後、現在JR各社の社員研修センターになってますが、調査した範囲でC51 239保存の事実は発見できませんでした。
【ウィキペディアより】
[追記]本記事公開直後知人から私信があり、新潟鉄道教習所教材の後、長野工場でお召仕様に復元され、梅小路機関車館で静態保存されてると解りました、鉄道友の会支部長さんの嘆願書が結実し良かった~です。
ではまた。