Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

鉄の履歴書-24 初めての北海道

昭和43年2月北海道を初訪問しました、受験名目の旅でした。 昼行急行で青森へ、夜行青函連絡船で函館へ渡り、初めて憧れのキハ82系特急おおぞらに乗りました、車窓風景が本州と全く異なり、北海道へ来た実感が湧きました。 大沼公園辺りで車内アナウンスがあり食堂車へ、気取って注文した洋朝定食で初体験したオートミルに閉口しました。 初ものづくしの上野から札幌までの旅は所要20時間でした。

【機関庫の裏】
駅前から市電をすすきので乗換え、終点円山公園のユースホステルが宿でした。 同宿道内出身者に「何故雪でも傘を差さない?」と尋ねたら、「傘に雪が積もるじゃないか」と不思議な顔をされました、北海道の雪はパウダースノーで払えば落ちると知りました。


受験日程終了後1日余裕を取り、引退間際の蒸機を見に行きました。 深川でC55、美唄で4110を見ました、写真も撮影しましたがネガの在処が解りません。 半世紀近く前の記憶は当てにならず、砂川で歌志内線E10を見たとばかり思い込んでいました、考証調査の結果、歌志内線のE10在籍事実はなく美唄鉄道4110でした、同じE型タンクロコで思い違いしていた様です。


動機不純の北海道旅行で受験が上手くゆくほど世の中甘くありません、浪人して予備校通いが始まりました。 学生運動記念碑、東大安田講堂事件が起こり翌年は東大入試中止の余波で受験生泣かせの年になりました、ノンポリは格好悪いと思われていた時代です。


ではまた。

×

非ログインユーザーとして返信する