Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

地味~な蒸機C54の話

『国鉄近代型蒸機』と言う言葉は昔から使われてますが、定義がある訳ではありません。 多少強引に定義すると、20世紀前半に製造されて鉄道院/鉄道省/国鉄在籍機になり、20世紀後半まで現役活躍した蒸機と言えるのではないかと思います。


この定義ではB-E動軸数呼称形式ではC52(1947年廃車)を除く全てと、呼称改定されなかった4110、6760、8620、9600が対象になります。 20世紀後半初年1950年廃車のC53/4110を含めるか否か議論は分かれますが、仕様・運用両面で最も地味でこれと言った晴舞台も華もなく、ひっそりと消えた目立たない度No.1蒸機はC54だと考えてます。

【C54 蒸気機関車スタイルブックより】
C54は特急牽引の大正の名機C51後継機として開発設計されましたが、1931年に17両製造されただけでその役割はC55へ引き継がれました。

【蒸気機関車スタイルブックより】

C54は基本設計をデフ装着にした最初の形式として知られてますが、そのデフは小振りで、大正期蒸機共通の欠点だった動輪強度もC51スポーク動輪のままです。 実際にC51を置き替えた水かきフィン付動輪C55やボックス動輪C57に比較し進化が中途半端でした。

【蒸気機関車スタイルブックより】
新製時は仙台・福島・水戸・梅小路に分散配置されましたが、戦後は福知山に集結し、事故廃車や余剰廃車を経て、末期1963年春には浜田機関区に6両在籍するだけになってました。 残ったC54の多くが数年に一度の大修理年に当る事と、金沢電化で余剰になるC57の手当てが付いたので、置き替えるハズだったC51より一足早く全車廃車が決定されました。

山陰本線に集中配備されてたのは、電化計画がなく牽引力と軸重vs線路規格のバランスが取れた相性の良い路線だったからで、その安住の地をC57に追い出される事になった訳です。 従ってC54現役時代を知るのは、子供時代を山陰で過ごした70代以上の方で、筆者は知りません。 C54現役最後の姿を追ったレポートがありましたので紹介します。

60年前の16番模型界でもC54は不人気で市販模型はなし、製作事例も全形式製作の一環か、誰も作らない物を作りたいマニアの2-3例に過ぎませんでした。 Nで中村精密がC54を出してると知り非常に驚きました。 華々しい活躍もイベント列車牽引実績もない山陰本線想定レイアウト以外不要な形式ですが、コレクターズアイテム価値はある様です。

レポート執筆者が浜田を訪問したのは1963年5月下旬、可動中6両に加え休車C54も浜田に集結してた様子が解ります。

この時C54 6両が浜田機関区11-15仕業を担当してました。 全てに鷹揚な時代なので機関区事務所で入手したと思われますが、蒸機運用の貴重な資料です。 11仕業は浜田から鳥取間往復で上り列車4本、下り列車3本を牽引します。  出雲市/米子/上井で機関車交替、給水/給炭し機関士交替もあったと思います。 担当地域は鳥取/島根/山口3県に及んでます。

この機関車運用表、元は1枚ですが縦長で見難いので2枚に編集しました。 と言うのは15仕業814レに着目すると実に面白い事が解るからです。 脱線しますがお付き合いください。


814レは長門市5:40始発、福知山22:25終着の普通列車です、長い山陰本線ですが途中駅発着区間列車運転時間16時間45分にまず驚かされます。 1本の列車が始発列車、通勤通学列車、下校帰宅列車、終列車と走行エリアにより様々な役割を果たしてた訳です。

長門市-浜田間は126km、浜田機関区15仕業は814レ牽引2番手として浜田-米子間150km担当と解ります。 その先、米子-鳥取間93km、鳥取-福知山間112kmと4仕業で814レが運行されたと推定できます。


これまで蒸機石炭搭載量は航続距離100km基準で決められてると理解してましたが、燃料消費の多い山岳路線を含めての話で、海沿いで平坦区間が多い山陰本線では150kmもOKだったと改めて理解できました。

運用表を基にC54最後の日々を山陰本線沿線で追ってます。 825レは京都始発岩見益田行普通列車なので、浜田機関区15仕業米子から浜田は恐らく京都から4番手、浜田-岩見益田間は浜田機関区所属の別形式(C57またはD51)による別仕業だったと考えられます。

解説に『古風な橋梁』とありますが、ガーダー橋のご先祖様?、始めて見ました。 この様にシルエットで見ると、小型デフと2コブドームでC54と解るだけで、C57一次型に通じる軽快さやスマートさが感じられ、『地味だけど悪くないね』と思いました。

日本海沿い駅を発車するC54牽引列車です、写真脇説明文は、

田儀駅とありビックリしました、昨年10月ドライブ旅行の訪問撮影地だったからです。 波打ち際から10mで9号線、そのすぐ上が田儀駅で、広い砂浜も防風林もない風景でした。

【田儀駅 2023/10】
前後の写真でアングルは異なりますが同じ場所、60年の月日が流れてます。 この辺りは1965年夏にクラブ研究旅行で訪問予定でしたが梅雨末期集中豪雨で山陰本線不通で実現せず、初訪問は1974年でした。 それさえ50年前の遠い昔の事です。


C54最晩年訪問記をネタに書き始めましたが、何だかとりとめのない話になってしまいました、悪しからずです。


ではまた。

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