Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

令和の田舎の沿線を訪ねて その9

今回の旅行日程は後ろから決まりました。 11日松山で再会した松山在住Wさんと縁結びの神の高松在住Sさんの3人が10月15日(日)15:00高松で会う事が最初に決まり、全て逆算で日程を組みました。 11日は松山に来るならと夜もと、後から決まった事でした。


◆10月14日(土)
15日高松時間潰しは勿体ないので前日徳島泊を決め、徳島線沿線経由高松行の計画でした。 14日予定の室戸岬回り牟岐線沿線訪問は面白味がなく変更、土讃線と徳島線一部を訪問して徳島に向かいました。 ここまで雨は半日だけでしたが、この日は雨天の予報でした。

ホテル7:45発、伊野から南国ICまで高速道で土佐北川駅鉄橋に8:45到着しました。 土讃線のこの区間は普通列車より特急列車が多いのが特徴で、上下各16本の特急が走ってます、9:09通過予定の下り特急は始めて見た5両編成、週末運転2両併結かもしれません。


この列車は7分遅れの9:16通過、単線区間遅延は伝播するので以降の行動計画をその前提で考える事にしました。 いつ降ってもおかしくない曇天ですが、まだ降り出しません。

撮影後隣の大杉駅へ移動、16本中10本の特急停車駅です。 コテージ風の洒落た駅舎が国道から橋を渡った正面に建ってました。

国道と大杉駅を結ぶ橋上からこんな風景が眺められました、急峻な地形で国道谷側に建物建設するには人工的基礎が必要なのです。 延伸線川沿い民家建設の参考になりました。

2008年大歩危訪問時、特急停車無人駅に驚かされましたが大杉駅は有人駅でした。 入場券を買おうとしたら「見るだけならご自由に」でした。 駅名の由来日本一の大杉は樹高64m、健在がどうか解りません。

「日本一の大杉」の隣に「美空ひばりゆかりの地」の表記がありました、ゆかりの中身聞くのを忘れました。 ご覧の様に駅舎から踏切で島式ホーム、側線1本の3線駅です。

正確に7分遅れで来た9時台の通過上り特急を撮影しました。 厚い雲に覆われた暗い天候では風景もカラフルな車両も映えません。

側線に事業用車両が停車しており、その前で旧貨物ホームに積まれた鉄骨材料をクレーン付き大型トラックが荷積してました。

大杉10:05発下り列車撮影は7分遅れもあり中止し大歩危に向かいました。 大杉から15分ほど走った国道と土讃線並行区間でこの辺りと予想し、撮影した下り列車です。

大歩危を3回訪問してますが車窓観光だけで乗った事がなかった観光遊覧船に乗るのが訪問目的です。 国道レベルの事務所から高低差50mの長い階段降りた乗場です。

大歩危の吉野川も豪雨時増水が大きく、国道は余裕見て建設されてますが、事務所地下駐車場浸水があったそうで、数十m水位上昇は四万十川並みです。 乗船場上流側は瀬になっており船は通れず、ここから下流域観光です。 韓国団体ツアーに行き当たりました。

乗客は3組5人、受付時に乗船名簿書かされましたし座席には救命用具、四万十屋形船と様子が違います。 でも装着指示だけで説明なし、水に落ちると膨らむのでしょうか。

石見銀山でも感じた事ですが、訪問して自分の眼で見ただけでは「フーン」で終わってしまうのが、説明を聞くと良く解ります。 海底で生成された岩石が隆起して吉野川の浸食によりできた地形で、大歩危の岩石は全て川下側が角度45度で高く傾いてます。

川辺には多くの川鵜が住んでおり、鮎を主食にしてるそうです。 また聞きの大歩危命名の由来です。 旧街道は国道より高い山の急斜面の難路で通行に危険があり、歩くのが危ない歩危(ほき)(ほけ)が語源になったと説明されると、なるほどと納得できます。

遊覧船の周囲に50cm前後の大きな鯉が十数匹も集まる淵がありました、船頭が餌を撒く事を学習してるのです。

大歩危峡出口、この先浅瀬を経て小歩危峡になります。 船頭さんは「ここが四国の真ん中です」と言いました。 つまり四国山地を造った海底隆起の中心線、小歩危の岩石は反対側45度に傾いてる事から学術的に証明されてるそうです。 中央構造線かここの様です。


大歩危観光後、7分遅れなら間に合う吉野川鉄橋へ移動、駐車して撮影ポイントへ歩き出したら定時に通過、7分遅れを挽回した様で残念、小歩危先の白川橋梁へ移動しました。

次の列車待ち時間45分です、この場所は鉄橋下の古風な鉄工所とガーダー橋が主役なので、列車待たずに撮影だけしました、これも沿線風景です。 次の撮影予定地徳島線阿波加茂は1ヶ所駐車スペース未定、もう1ヶ所は路地奥の解り難い場所で事前確認余裕確保です。

阿波池田(三好市)から徳島への国道沿いで見かけた民家で、現在は空家です。 わらぶき屋根として小柄な屋根を昭和末にトタン葺きに替え、その塗装もほとんどはげ落ちてます。 ここで生まれ育った子供達は今どこでどうしてる?、等とつい考えてしまいます。

阿波加茂先行移動は大正解で、白川橋梁で列車撮影してたら、駐車場所探しでオタオタする処でした。 徳島発阿波池田行特急『剣山』です。 2008年乗車時2両でしたが、今日は3両編成でした。 国道向こうに並ぶ住宅の佇まいに惹かれてのポイント選択です。

前ポイントから阿波加茂駅近くの路地奥踏切へ移動、特急と交換した徳島行普通列車を後追い撮影しました。 この場所の魅力はトタン壁・屋根の古ぼけた町工場と線路脇の路地、そして『正しい交通』のレトロで、かつ何となく違和感のある交通安全標語の看板です。

美濃加茂はお住まいの方に失礼かもしれませんが、古い物と新しい物が雑然と混在する興味深い街でした。 撮影後踏切渡って右折した駅前通りです、この先70-80mが駅舎前です。 令和時代のJR特急停車駅付近とはとても思えませんが如何でしょうか。

実み懐かしい名前に出逢いました。 カンコーとは学問の神様菅原道真の尊称「菅公」です、50-60年前全国各地国鉄の車窓から、黄色地に黒字で「菅公」と大書したホーロー看板を何度見たかしれません。 岡山で事業継続中とは知ってましたが、直営店の様です。

現代的な阿波加茂駅舎は室内を見ると建て替えでなく、平成時代の大規模改修の様です。

丁度先刻撮影した阿波池田発普通列車から下車した女子高生2人が自転車置場に向かう処でした。 土曜日なので部活だったのかもしれません。

この街の名所「加茂の大クス」の看板が駅舎壁に取り付けられてます。 中国語・ハングル表記されてるのが如何にも現代的です。

撮影した路地奥踏切反対方向を駅舎前から眺めると、見事なばかりのシャッター商店街、これも現代の風景と言えるでしょう。

元々地上レベル駅舎からホーム端踏切渡って島式ホームだったのが、ホーム端踏切通行禁止になってました。 警報機付ければOKに思えますが。

踏切通行禁止にした替わりに歩道橋スタイル跨線橋が設置されてます。 足腰弱った高齢者には踏切の方が優しいです。 昔ながらの跨線橋は新設される事がない絶滅危惧種です。 橋上駅か地下通路、跨ぐ方式は歩道橋材料の流用が経済的で耐久性も高いからです。

貨物側線跡地へ行って見ました。 線路は残ってますが車止がないので使用形跡はありません、貨物ホーム跡地は定石通り駐車場になってます。

徳島線は吉野川に並行して遡る路線なので、それが解る撮影ポイントを探し、穴吹先の川沿いで徳島行普通列車を撮影しました、車両入れないと鉄道の存在が解りません。 でも残念ながら吉野川側の草木が生い茂り、期待した画にならず計画倒れに終わりました。

近くに来た列車撮影、徳島線で出逢う普通列車は土讃線より新型ばかりです。 両運転台で単行運転可能なのにいずれも2連です、高知の山の中より乗客が多いからでしょう。

15時になっても雨が降り出さないので、翌日日程先行消化で西麻積(にしおえ)駅に行きました。 夕方眉山展望台から徳島の町並と紀州水道を眺める計画は夕陽がなくては様にならないからです。 西麻積駅舎は正にローカル線のザ・駅舎でした。

駅前に駐車して駅端踏切まで歩き、徳島方からの普通列車を刈田の中で撮影しました、この列車も新型の2両編成です。

踏切を過ぎて構内進入、停車位置は写真の2両分先、西麻積駅ホームは6両分ある長い物で、交換施設を撤去した形跡はありません。 駅舎があるので貨物扱いしてたのは確かです。

草の茂った長いホームの反対側はソーラーパネルが並び、これは令和の風景と言えます。 ここで遂に雨が降り出し、翌日行程の麻積塚(おえづか)駅を下見してから徳島東横インへ直行する事にしました。

徳島市は県庁所在地だけあって市中心部へ向かう国道沿いには、ありとあらゆる全国ネット量販店が軒を並べてます。 そんな中に地元資本と思われる広大な駐車場の店があり、ここで晩飯を仕入れる事にしました。

つまみ兼用で12貫入り寿司2パックと、着いたらご苦労さんの缶生、寝酒の缶チューハイ、〆て2千円少々、写真整理しながらチビチビです。


ではまた。

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