Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前のTMS 1966年3月号

TMS1966年3月号その他の記事のまとめ編です。

【TMS1966年3月号表紙】


◆作品グラフ-2:阪和電鉄モヨ100
阪和電鉄と言うからには大阪と和歌山を結んでたと思われますが、何じゃそりゃでした。

かつて私鉄電車の一方の雄とのキャプションにもサッパリピンとこないので調べました。 1930年から1940年の間存在した私鉄なので無理もありません、現在のJR阪和線です。

阪和電鉄は既存南海本線直流600Vに対し直流1500V、東海道本線が37kgレールの時代に50kgレールで高速運転前提で敷設されてます。 ノンストップ超特急表定速度81.6km/hは151系『こだま』が83.6km/hで更新するまで26年間破られなかった国内最速電車でした。


また戦前の紀勢西線は他の鉄道省線から完全に浮いた路線で、大阪-和歌山間は南海/阪和両私鉄に頼るしかない状況だったと解りました。 しかし財政難で自力敷設不能だった鉄道省が渡りに舟と民間に敷設させ、戦争のドサクサで国鉄線にしたお手並みは鮮やかです。

作者は小学生時代に阪和鉄道の乗車経験があり、南海山手線時代だったと書かれてますので、昭和1桁後半のお生まれで、このモデル製作時は50代後半だったと推定されます。

モヨ100のモは電動車の意味と解りますが、ヨが何の意味か解りません。 全鋼製19m、自重47-48tの装甲車の様に頑丈で重量級車両を大出力モーターで高速運転し、営業運転直線区間では届け出認可速度違反の120km/hを出してたと言われてます。 

こちらがその図面、2扉で狭い窓が並ぶ外観です。

リベットは裁縫用のルーレットでペーパー車体裏側から打ち出してます。

モヨ100重連が南紀直通のオハ31系3-4両を牽いて爆走する姿が記録画像に残ってますが、木造客車の車体強度と台車で120km/h運転したら乗客が怖い想いしたのではと思います。


◆作品グラフ-3:ED30
北陸本線坂田-田村間の交直接続区間で運用されたED30のモデル化です。

実車は廃車になったEF55 3号機の主電動機等を流用して1962年に1両だけ製造されました。 作者は金沢在住で先日1965年秋運転会の様子を紹介した『ほくりく鉄道模型クラブ』の中心メンバーA氏です。 おそらく関西方面へ出掛けた際にED30を目にしてたのでしょう。


A氏は特集シリーズに再掲された『雲竜寺鉄道』の作者であり、記事中に同鉄道急行『能登』牽引本務機として入線・就役と書かれてます。 製作記は省略しますが、ED30は歌川模型がその後製品化しました。


◆作品グラフ-4:フェアリーロコ
メキシコ国鉄にこの様な蒸機が存在した様で、カワイCタンクロコ2両で製作してます。

何とも珍しい形態の蒸機で、転車台不要ですがボイラー2基、乗務員は何人だったのでしょう、製作記は参考にならないので省略します。


◆製作記:9mmゲージ キハ41000
巻頭の作品グラフには掲載されておらず製作記だけです。 作者はC50とオハ31しかN市販車両がなかった時代に、C50改造C11タイプや、キハ20、自由形荷電を発表したI氏です。

3月号掲載作品写真の背景が2月号です、出来立てホヤホヤです。 キハ41000は16m級ガソリン動車で、エンジン換装と形式呼称変更で機関出力によりキハ04/05/06になりました。

正面4枚窓両運転台2扉狭い窓の単行運転用ガソリンカーです。 窓抜き考えるとNスケール自作が最も困難な車体外観ですが、N自作車輛工作経験から可能と判断された様です。

車体は実感を重視し、外板0.3t、窓枠0.2tケント紙製で、窓ガラスプラ板で強度を持たせる薄さです。 加工はガラス板上で安全カミソリ刃(極薄両刃)を半分に折って使い、切り抜いた外板に窓枠用0.2tを貼ってからケガキと窓抜きをしてます。 ウィンドシル・ヘッダー0.2t、雨どい0.3tの加工で、最低でも0.1mm単位の加工精度が必要な工作です。

屋根はバルサ材を削り出し1.5t桧板で補強、床板にも1.5t桧板を使ったが駆動系逃げ穴で強度確保できず、1.0t真鍮板で作り直し、結果床板ウェイト効果で走行性能改善したそうです。 車体は下回りに乗せただけです。

バーフレーム型台車TR26は1mm真鍮帯板(0.2tor0.3t)を曲げて連続形を作ってから切断する方法で自作されてます。

モーターはHOスケールレーシングカー用キャラメル型を車内斜めに収納してます。 作者製作後記に興味深い記述があります。

この記事が書かれたのは今から57年前です。 TMSの推奨もありNゲージはテイクオフしましたが、『レイアウト製作に向いてるのは確かだけれど、走らせて楽しむにはチョットね』の声が多かったのは事実です。 しかし、1990年頃にはこの予測は的中してました。

I氏は9mmゲージが発展すれば当時の16番並みに市販品が充実するだろうと考えた様です。 16番市販車両は国鉄型だけでも現役車両の1/10程度だったと思います。 N製品の多様化と細密化により、車両フルスクラッチは無理な時代になり、この予測は外れました。


一方パーツ類充実は当時の16番をはるかに超え、パーツ取付や改造によるカスタマイズ要望に応える環境が整っており、この点は予測的中です。


◆その他
前月号から連載の小田急デト1製作記が掲載されてます。

製作者の夢、小田急全形式模型化は完遂したのでしょうか。

珍車なので図面を添付して置きます。

台車は形状の似た既製金属製台車から原型を1個作り、それを使い石膏型を作ってます。 ここに歯科用プラスチックを流し込んで製作してます。

所在地立川からすると『遠藤商店 模型製作部』は現在の『エンドウ』です。 鉄道模型製造メーカーが次々と廃業に追い込まれた中で生き残ったのは不思議な気もします。 自動踏切の広告を良く見ましたが、レールバスの車両製造販売をしてたとは知りませんでした。

裏表紙は特集シリーズの広告です。 古い特集シリーズはほとんど所有してますが、これは買いませんでした。 掲載号を持ってましたし、『こだま』⇒『ひかり』の売らんかなが気に入らなかったからです。


ではまた。

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