Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

この写真は何時?何処?

元日更新で四国旅行の坪尻で一緒に下車した新聞記者の記事が12月17日夕刊に掲載された話を書きました。 筆者は朝日新聞購読してませんし、長野の田舎では朝刊だけで夕刊配達されないのです。 札幌在住の友人が『こんなの載ってましたよ』と教えてくれました。


今回は昔の未紹介鉄道P誌を眺めていて発見した写真クイズです。 次の写真は何時、何処で撮影されたのでしょうか?超難問です。

【機関車マスク列車のみ】
最初に列車を見てもらいます、機関車はマスクしてますがタンクロコです。 牽引される客車はダブルルーフ、床下トラスのある旧式木造17m級客車4両編成です。 駅構内には少なくとも本線2本があり、屋根のない跨線橋から4-5人が列車を見下ろしてます。

【『客車買物帖』より転載】
外観や窓配列から推定すると大正時代に製造されたナハ22000系だと思われます。 鉄道史に残る昭和22年に発生した八高線事故を契機に鋼体化改造で生まれたオハ61系の種車になった形式です。 牽引蒸機が2120型なら、誰しもが大正末期-昭和初期と答えるでしょうね。 でも違うのです!。

【写真タイトル】
写真タイトルです、季節が解っても時代・場所のヒントにならず、タンクロコ牽引4両編成ならローカル列車の範囲、これもヒントになりません。

【マスク外したらC12】
牽引機はC12 34号機でした。 C12製造開始は昭和7年なので少なくもそれ以降、戦前昭和10年代か終戦直後に撮影された様に思えます、でも違うのです!。 いつまで焦らしても仕方ありません。

撮影日は昭和34年(1959年)5月29日と記載されてます、脆弱な車体構造が原因で死者多数を出した八高線事故から12年後、サン・ロク・トウ大改正の2年半前にこんな旧式客車が走ってたとは実に驚きました、チョッと信じられません、何か変です。

【鋼体化改造】・・・ウィキペディアより
そこで鋼体化改造を調べると1949年度から1954年度、昭和24年4月から昭和30年3月に実施されたと解説がありました、その通りなら鋼体化改造終了後4年と少々になります。 その謎解きは後回しにして、先に撮影場所は何処か?の種明かしをします。

【撮り鉄さん夫人の新婚旅行日記より】
撮影場所は国鉄茅野駅!、ナナ何と筆者の最寄り駅でした。 列車は中央本線辰野発上り526レ小淵沢行の区間列車です。 撮影者は新婚旅行中の夫人を写真背景の跨線橋に残し駆け出したという記載には、思わず笑ってしまいました。


夫人は日記に茅野駅に降りたのは8年前の5月と書いてます。 つまり撮影8年後の昭和42年、1967年にこの文章が書かれた事になります、ところが・・・。

【鉄道P誌1962年5月号表紙】
写真掲載は1962年5月号です、1967年の文書が5年前の雑誌に掲載されるのは有り得ない事です。 夫人の記載は間違いないと思われるのでこれは校正ミス、茅野訪問した撮影日は1954年、昭和29年5月が正しいと考えられます。


雑誌発行が61年前、撮影者は間もなく消滅する旧式客車を見て、線路脇を走ったのでしょう。 昭和29年5月撮影なら鋼体化改造完了10ヶ月前で、後回しにされてた車両が中央本線区間列車運用されてても不思議ではありません。 という訳で61年前の鉄道P誌校正ミスを発見し69年前の居住地写真に出逢った小話でした。


何時? 昭和29年5月29日
何処? 中央本線 茅野駅


ではまた。

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