Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

ネタ切れ雑感(汗)

今回のフィーダー設置基準シリーズ、長期的にはロングセラー記事になってくれると思いますが、連載中の注目度は今一つでした。

【過去記事より転載】
発注ミスでTOMIXフィーダー延長コードと一緒に再発注したLED照明付き拡大鏡は、入荷次第発送の連絡メールあっただけでなしのつぶて、いつになるやら解らず、湖南電源新安全性保証回路の仕上げもできません。 でネタ切れ、日常雑感でお茶を濁します(滝汗)

【野小屋と籾蔵】
長生きしてると車と同じでアチコチガタが出て来る物で、定期健診で要精密検査の結果となり、地元総合病院に設備がない検査受診の為、諏訪日赤病院へ出掛けました。 薬剤注射して検査まで3時間、車の運転控える様にの指示で嫁さんに連れてってもらいました。

【諏訪日赤病院】・・・ウィキペディアより
地域で一番設備が整った中核病院で、7-8年前に睡眠時無呼吸症一泊入院検査でお世話になってます。 11時に注射、検査は2時から、さてどこで時間潰すかと近くの諏訪市図書館へ行きました、月刊誌「NHK俳句」でも読んで、もう一つの趣味のお勉強と考えた訳です。

【鉄道ファン誌紹介ページより】
高齢者利用が多い図書館なのに「NHK俳句」「NHK短歌」(嫁さんの趣味)は置いてなく、月刊誌コーナーにあったのがコレ、それこそ50年振りにパラパラと流し読みしました。


2004-2010年東京単身赴任でオフィスが新宿だったので、湘南新宿ラインに連結されたダブルデッカーは度々目にしましたが、効率化の権化の様で好きではありませんでした。

【E4系新幹線】・・・ウィキペディアより
巻頭にはE4系MAXラストランの記事が載ってました。 那須塩原から東京の帰りに運悪くコレの1階席を利用しました。 武骨で不細工な面構え(個人的感想です)、走行中は騒音防止壁で眺望ゼロ、鉄道旅情緒なぞ糞喰らえの大量高速輸送特化マシンと感じました。 調べるとE4系登場は1997年(一次車)、デビューから引退まで24年の寿命です。

国鉄が民営化されてJRになって以降、車両設計思想が大きく変化しました。 経営効率優先に転換し、「丈夫で長持ち車両」から「使い捨て車両」に考え方が変わったのです。

【E351系】・・・ウィキペディアより
そのJR式車両設計思想適用第1号とも言えるのが、筆者が数百回お世話になったE351系スーパーあずさで、1994年登場2018年引退廃車、E4系MAXと同じ24年の短い生涯でした。

【キハ40系】・・・ウィキペディアより
同号には『最後の全国型気動車』として今年引退したキハ40系特集号(?)の紹介もありました。 引っかかったのは『全国型』、なぜ『国鉄型』としなかったのでしょうかね。

キハ40系登場は1977年、寿命44年と長いのは国鉄時代の車両設計思想で製作されたからで、最近引退した115系や103系と同じです。 現在アラカン世代の方が若い頃の貧乏旅で利用されたキハ40系には馴染みがありません、登場時就職し利用機会がなかったのです。

【旭川駅】・・・ウィキペディアより
唯一の利用機会は8年ほど前、毎年恒例の利尻・礼文旅行に旭川最終便ディスカウントチケットを利用し、宗谷本線乗り鉄を組み入れた時でした。 旭川-稚内特急直行は芸がないと先行する旭川発名寄行普通列車を使い、それがキハ47単行ワンマン運転でした。


旭川駅は高架駅改修完成直後で昔日の面影なし、私鉄ターミナル駅の様でガッカリでした。 長いホームにポツンと単行のキハ47、8時前発車でしたが乗客は数えるほど、車内の印象はキハ20系とほぼ同じ、エンジン音、走行感を含め量産型国鉄気動車その物でした。

【名寄駅舎】・・・筆者撮影
旭川から名寄まで2時間弱のローカル列車の旅、昔と違い有人駅は江別と和寒程度で、交換施設有する駅でもポイントも信号機も遠隔操作・自動閉塞の無人駅でした。 かつては名寄本線・深名線起点駅で交通の要衝だった名寄は、長い貨物側線跡地に建ち並ぶ倉庫群が往時を偲ばせてくれるだけでした。 救いだったのは古い情緒ある駅舎が残っていた事です。

【諏訪古畑HPより】
話はガラリと変わります、この日の通院検査日程決まった時から昼飯はココと決めてました、鰻の名店古畑です。 天竜川起点の諏訪では終点に近い浜名湖より規模は小さい物の鰻養殖が行われており、鰻のお店が数多くあります。 古畑は筆者イチオシのNo.1です。


諏訪転居の1983年に始めて行きました、東京のウナ重が¥800の時代に大きな鰻を柔らかく焼き上げた「松」が¥600、御飯の間に半尾分追加した「竹」が¥800、2段重ね2尾分の「梅」が¥1000と解り易い料金体系で、いつも「竹」を注文してました。

【諏訪古畑HPより】
遠来の客にご飯の中から鰻が出て来る「竹」は大好評で、仕事の会食にも利用しました。 物価連動で15年ほど前には¥1800と倍以上、そこから加速し10年前には¥2400、その2年後は¥3200でした。 そして資源枯渇問題が起こり近年更に値上がりしてます。 


3年前東京から友人3人が来てもてなす際に利用しようとしたら臨時休業日、仕方なく名高い別の鰻屋ヘ行ったら古畑「松」相当の1尾入りウナ重が¥5000!、味も記憶に残る古畑の感動はなく、一体幾らになってると不安だったらメニューの「竹」は¥4000でした。

【写真撮り忘れたのでお店HPより】
「竹」を注文して出て来たのがコレ、見えないハズの御飯が上から見えてます。 載ってる蒲焼は1/4尾3切、箸で探ると御飯の中にもう1切あり、どうやらサイズ落して値上げ幅を抑え、ウナ重が高根の花になるのを避ける営業方針転換の様です、美味しかったですが・・・。

【同店HPお品書きより】
帰宅して調べると旧「竹」1.5尾分は現在の「特梅」で、8年で¥3200から¥5500へ7割強の値上げは納得でしたが、中国産の固い鰻がチョコンと載ったファーストフードのウナ重の様で贅沢感が失われており、何とも複雑な気分でした。 雑感で失礼しました。


ではまた。

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