Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

碓氷峠百年物語 第4章

ここまで計画から開業までと、開業からアプト式廃止前夜までの計93年間を紹介しました。 今回は新線営業開始前夜からの話で、やっと筆者実体験のある時代に近付きました。


8.信越本線電化
1963年5月末に碓氷峠越え新線敷設工事が完了し、全線慣熟運転が開始され、営業運転に必要な施設も7月初旬完成予定でした。 碓氷峠越え新線開業を語るには同時進行した信越本線電化と併せ見る必要があります。

碓氷峠越え新線敷設が一部完了し、横川方で試験運転を行ってた1962年7月15日に高崎-横川間の電化営業運転が始まりました。 電化によるスピードアックに加え、上野-横川間は高崎で機関車交替不要になりました。

【電化前の松井田駅】・・・過去記事より転載
この電化に合わせ松井田駅は2km高崎方へ移転しスイッチバックが廃止されました。 通常の電化は工事完成後1-2ヶ月の慣熟運転期間を経て営業運転か始まりますが、横川-軽井沢間は工事完成1年前から試運転・慣熟運転が繰り返し行われてました。 国鉄初の66‰粘着運転、つまり70年実績を積んだアプト式を捨てる大きな挑戦だったからです。

【準急『高原』蒸機牽引最後の春】
信越本線軽井沢-長野間電化工事は、碓氷峠越え新線建設と並行して進められ、新線敷設完了時にほぼ完成してました。

高崎-横川間の1年遅れですが、電化工事を行う区間が100kmを越える場合、途中まで半年-1年先行させるのは国鉄が良くやった事で、中央本線松本電化時の甲府-上諏訪間先行や、常磐線平電化時の勝田-高萩間先行など多くの例があり、信越本線もこの方式です。

1963年6月21日電化を目標に準備が着々と進んでました。

上野-長野間急行に使われる165系が長野入りし、試運転列車の試乗会も開催されました。 撮影された長野工場吉田支所に架線はなく、蒸機で回送されたのかもしれません。

試運転試乗会の様子も紹介されてます。 中軽井沢発長野行、実施されたのは開業13日前の6月8日です、営業運転は11連ですが、乗客が少ないので13連で運転されました。 間もなく置き換えられる新旧急行『志賀』の揃い踏みです。

架線が新しいと馴染むまでパンタすり板の消耗が激しいのでしょうか。 作業場所直ぐ上にはDC1500Vが通電中です。 いかにも電化直前のバタバタした様子が伝わります。

165系営業運転は最大12連で13連はなかったと思います。

上り貨物列車が上り準急『のべやま』の待避場面に屋代駅で遭遇してます。 この準急は長野発長野行循環列車で、小諸から小海線で小淵沢、中央本線・篠ノ井線で長野へ1周です、逆回りは『すわ』でした。

前日はD51牽引だった列車を、電化開業初日からEF62単機牽引です。

電化開業翌日、キハ58系とD51が165系とEF62へ替わりました。 篠ノ井駅が上下本線間に貨物列車待避線を挟んだ3線駅だったと解ります。

同じく電化開業翌日の長野駅、大駅だけあって複数の貨物側線に停まるタンカーと貨物上屋が見えてます。

電化開業翌日ですが、まだ試運転列車が走ってた様です。 左側ホームはステップのない新型車両用に嵩上げ工事が行われてる最中に見えます。


9.新線暫定開業とアプト式廃止
冒頭に掲げた信越本線電化の年表で『1963年7月15日新線電化』『1963年9月30日アプト式廃止』に???となった方が多いと思います。 7月15日に新線粘着運転開始と9月30日アプト式廃止は矛盾してる様ですが、これで正しく1ヶ月半は暫定開業期間でした。

現在線と新線の比較表です、距離は丸山信号所から矢ケ崎信号所間です。 長いトンネルと緩いカーブで新線の方が短くて当然ですが、何故か0.2km長くなってます。 トンネル全長が1lkm長いのは納得です。 暫定開業期間は単線2本の運用がされました。

7月15日の暫定開業で新線は直通電車列車、急行と夏季多客期間の臨時準急3本が運転されました。 負荷が軽くリスクが少なく、所要時間短縮効果はまず優等列車に適用する考え方があったと思われます。


アプト式は動輪より歯車軸が高速回転するので最大18km/hでしたが、粘着運転は電機出力押上げなので横川⇒軽井沢は大幅に時間短縮されました。 一方急坂下りの軽井沢⇒横川は安全マージン確保でゆっくり下り、時間短縮が少なくなってるのが面白い処です。

7月15日から運転された臨時準急の詳細です。 料金差があるから待遇差つけたのでなく、165系充当余裕がなかったからだと思いますが、80系6連x2で運転され、3本中2本の6連が長野まで延長運転されてます。


アプト式は1963年10月ダイヤ改正に合わせ廃止され大きく全国ニュースで報道されました。 恐らく9月30日夜大量動員して丸山信号所-*矢ケ崎信号所間8.6kmの歯軌条を外す作業が行われ、現在線が下り本線、新線が上り本線の複線粘着運転が開始されました。


ではまた。

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