Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

C63の話 TMS1966年3月号

設計完了しながら動力近代化の波に飲み込まれ登場する事がなかった幻の蒸機C63についての想いを書きたいと思います。

筆者は蒸気機関車スタイルブックを所有してます。 国鉄蒸気の図面集ですが、蒸機形式と仕様の参考書・写真集としても楽しめる書籍です。

過去記事に1962年版と書きましたが1963年発刊なので1963年版の誤りでした、所有してるのは第二刷です。 ¥950は高価で多分お年玉で買ったのだと思います。 もちろんいつかはこの図面を元に蒸機製作の野望を持ってましたが、実現する事はありませんでした。

【蒸気機関車スタイルブックより】・・・C63設計図
表紙を開くと目次の前にC63の図面が掲載されてます。 均整の取れた美しいスタイルで、「登場してたらな」の感想を持ちました。

【C63解説文(抜粋)】
図面脇解説文転載は読めないので要旨を抜粋しました。 国鉄最後の新製蒸機は1948年のE10ですが、C63が登場すればその座にはC63が座ってました。 また『新製』とは100%新規設計の意味で、E10が最後に製造された蒸機でも最後に登場した形式でもありません。

C61/C62はE10登場翌年まで製造されてます。 軍需物資輸送優先の戦時中から旅客輸送力増強で生まれた形式で、ボイラーを流用しただけで下回りは新製と変わりません。 下の4形式はE10以降に登場した形式で、軸重軽減で活動可能線区を拡げた改造機と言えます。


つまりC63試作・製造中止の5年後まで蒸機製造は続いてました。 ではC63設計が完了し試作・製造中止が決定された1956年の国鉄が置かれてたの状況と決定の背景を見てみます。

諸外国の動向を含め動力近代化の必要性が認識され、大動脈東海道本線全線直流電化は進んでましたが、完成は2年後の1958年でした。 電化したいが金の掛かる直流電化は無い袖は振れないで非現実的、交流電化は技術確立されておらず目途が立たない状態でした。

【C63 16番モデル】・・・詳細後述
そんな中1955年に仙山線で実施された交流電化試験が好成績を収め、交流電化で主要幹線電化を進める技術的目途が立ったのです。 C63にとっては不運と言うしかなく、設計完了が5年、いや3年早ければC63試作・製造にゴーサインが出たと筆者は考えてます。 当時の国鉄路線の電化率は10%、試作DLのDD50は1953年登場で、蒸機全盛時代だったからです。


◆C63設計完了が3-5年早かったら
歴史のイフの話には意味がないと言われますが、筆者妄想・夢物語としてお聞きください。 もう一つ条件を付けます、製造されたC63の運転現場支持が高い事です。 当時のいびつな国鉄労使関係の中では、現場(組合)がウンと言わないと何も進まなかったからです。

【C63 16番モデル】・・・詳細後述
実際の歴史で国鉄経営側は車齢の高い8620/9600をC58/D51で置き換え早期に廃車する計画でしたが、無煙化達成末期まで生き残りました。 運転部門は手足の様に扱える機関車が良い機関車で、国鉄上層部の計画や、整備部門の負荷など一切お構いなしだったのです。

C63の試作・製造中止には、前年の仙山線交流電化試験で交流電化の技術確立ができた事が決定的な要因になってます。 製造されてもこの時点で増備計画は見直し、または中止されたのは確実です。 C63の存在有無に関わらず動力近代化計画は進んだと思います。

C63の存在で一番影響を受けたのは8620、そして走行可能線区と用途が重なるC58だったのは間違いなく、9600もD51で置換不能線区があり生き残った側面があり、C63への置換で早く姿を消したのではないか、丙線区走行可能にしたD61は不要だったのではと思います。

快速旅客列車用設計の8620を何故花輪線勾配線区貨物列車に使ったのか、筆者には謎です。 三重連の牽引トン数は大した事はなく、C63なら重連でその任をこなし、全国唯一のC63重連運転区間として、多くの鉄道ファンを惹き付け、現在も語り継がれていたでしょう。


そして人気の高い蒸機としてNモデルが複数社から発売されてたのは間違いありません。 ところで実在しなかった形式はモデル化の意味がないと考えているのでしょうか? 筆者さえ現役時代を知らないEF55より『幻の蒸機C63』の方が余程魅力を感じるのですが・・・。

【TMS1966年3月号表紙】
C63の話を書いたのはTMS1966年3月号作品グラフ/製作記にC63が掲載されたからです。


◆作品グラフ-1:C63
C63は作品グラフトップに前掲写真2枚と合わせ大きく扱われてます。

それはこのC63が単発モデル化ではなく、国鉄蒸機90年の歴史から代表的な形式60両製作の遠大な計画を持つ作者の第1作だからです。

日本の蒸気機関車の歴史が約100年で終わろうとしている、約370種類登場した機種から主な物を選び約60両で『模型の蒸機博物館』を作るのが作者の野望です。 歴史を遡る形で第1作がC63になりました。 最後が1号機関車かと思えばさにあらず、黒船来航のペリー提督が将軍に献上したペリー号だそうです。 なんとも驚き入った計画です。

壮大な計画ですので1両1両順番の製作では長い時間を要します、30両ほどがすでに仕掛り中の並行工作です。 作者は16番模型歴2年、キットを組んだり自作エッジング板利用車両製作経験で、TMS掲載技法を活用してこの巨大プロジェクトに取り組み始めてます。

使える市販品を最大限活用する方針でも動輪・車輪+αしかなく、ほどんど自作するしかなかった様です。 主台車枠やボイラーが量産されており、一部はキャブも付いてます。

丸棒からドリルレース削り出しで製作するドームや煙突も量産中です。

初の自作蒸機、しかも60両の連作であり、安定した品質を重視しC63各部は納得がゆくまで何回も作り直してます。

TMS掲載の標準技法採用とは言え、各所に作者の工夫が見られます。

物足りなくなり勝ちなキャブ下も適度なディテール、拡大すると超絶技巧で読者に溜息をつかせる作者作品との差が歴然としますが、初作蒸機としては十分な出来栄えです。

TMSも自作エッジング技法に改善の余地ありと指摘してますが、完成写真にボッテリした印象(作れもしない批評家意見です)があるのは、おそらく塗装技術の影響です。 兎も角も国鉄蒸機60両製作計画第一歩として完成したC63は見応えのあるモデルでした。


ではまた。

×

非ログインユーザーとして返信する