Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

雪と国鉄

諏訪在住40年で温暖化を肌で感じます。 転居した1983年は最低気温-23度の厳冬で、諏訪湖も道路も12月初旬から3月下旬まで全面凍結、1m以上せり上がった御神渡が出現、ダイアモンドダストを何度も見ましたし、初使用スパイクタイヤの有難味を実感しました。


戦前の凍結諏訪湖上での飛行機離発着や戦車軍事演習の記録画像が残っており、凄い土地に移住したと思いましたが、気温マイナス二桁が4日以上連続しないと出現しない御神渡は次第に減り、最近では2013年、2018年に数日で消滅する小規模な物が出現しただけです。

寒かった半世紀前は国鉄全線の1/3が積雪地帯で、輸送路確保の為に雪と戦う国鉄の苦労は並大抵ではありませんでした。

国鉄で一番雪深い駅は飯山線森宮野原と言われており、その最大積雪量は7m85cmにも達しました。 平均降雪量で見ると2mを越え地点が全国で11ヶ所、No.1は森宮野原で3m45cmです。 1m以上には北陸や山陰が加わり18ヶ所にもなります。 この表から北海道より上信越国境の方が雪深かったと解ります。 今回は雪と国鉄について見ていきます。


◆雪と戦う車両
国鉄には様々なタイプの雪掻き車が在籍してました。 冬季積雪地帯旅行経験はありますが、撮り鉄趣味はなく除雪作業は主に深夜・早朝に行われるので見た経験はありません。

一番ポピュラーな雪掻き車ラッセルです。 降雪量が比較的少ない場合や、それまでの除雪作業で線路左右に高い壁ができてない場合はラッセル+機関車で事足りた様です。

ジョルダンと呼ばれるラッセルより広い幅の雪掻き車で、駅構内や操車場で使われる事が多かった様ですが、写真事例は本線上で稼働してます。

マックレー雪掻き車は線路両脇の雪を搔き集めます、セットで運用されるロータリー雪掻き車がそれを遠くへ吹き飛ばします。 降雪後の運用だけでなく、線路両側の雪の壁を崩して広くし、次の除雪作業をやり易くする目的でも運用されてました。

【薄暮のロータリー】・・・1961.01 信越本線東三条駅構内
雪が続くと列車運転時間帯の除雪作業も行われてた様で、恐らく午後4時前後、夕方ラッシュ時のダイヤ乱れを抑える除雪だったのでしょう。

【マックレーからロータリーを望む】・・・1961.02 只見線魚沼田中-須原間
除雪列車内部からの珍しいアングルです、国鉄職員でないと撮影が難しいと思います。


◆雪に備える施設
除雪・排雪だけでなく、積雪量を減らす、あるいは度々直撃事故が発生した雪崩から列車を守る施設が設置されてました。

【吹雪防止林】
吹雪による視界の悪化や吹き溜まり発生防止を目的に、線路両側に間隔を取って林が並んでます。 林は国鉄用地ではなく、林野庁許可を得て国有林を伐採した物だと思います。

【吹雪防止林】・・・留萌本線峠下トンネル付近
場所情報が追加されてます。 吹雪防止林は北国家屋の防風林と同じ役割だった様です。

【雪覆い】
雪から線路を守る建屋です、奥羽本線板谷越えスイッチバック駅のポイント部分をスッポリ覆ってた雪覆いが印象に残ってます。 撮影場所情報ありませんが、電化区間である事から奥羽本線かもしれません。

【雪崩割り】
始めて知りましたがネーミングも機能も納得、雪崩がトンネル出口を埋める地形では雪崩覆いは機能せず、左右に分流させるしかありません。

【雪崩覆い】
山腹を横切って走る多雪地帯路線には雪崩覆いが設置されてました。 記憶に残るのは高山本線の高山の富山側、惰行する川沿いの路線はトンネルと雪崩覆いが延々と続きました。

【雪崩防止林】
雪崩防止林の効果が理解できてません。 尾根筋の植林から、尾根筋の雪塊が谷に転がり落ちて周囲の雪を巻き込み雪崩に発展するのではないかと推定しました。 防止林は雪を留め雪崩のキッカケを防止する様です。

【雪崩防止柵】・・・高山本線坂上-打保間
雪崩防止柵は発生した雪崩を止める施設ではなく、傾斜地積雪をその位置に留め、雪崩発生を防ぐ施設です。 その証拠に左下に見える雪崩覆い上部には雪崩防止柵がありません。 発生させて雪崩をやり過ごすと、雪崩を発生させないとを使い分けてるのです。

【雪崩防止杭】
これも積雪を留めて雪崩を発生させない目的の施設です。 北海道で良く見た記憶があり、東北地方想定の当社にも設置してあります。

【雪崩防止階段】
雪崩割りと共に初めて知りました。 硬く締った雪の上に降り積もった新雪が滑り落ちる表層雪崩を防ぐ為に斜面を階段状にした物の様です。

【融雪溝】
雪処分貨物列車が運行されてた様で、無蓋貨車から大勢でスコップを使い融雪溝に雪塊を投げ入れてます。 名前は融雪溝でも機能は流雪溝、幅深さ共に1m以上で十分な水量があり、融かすのではなく押し流します。 当社生野駅2/3番線間に設置したのはコレです。


◆雪の風景
では『雪と戦う国鉄』掲載号から雪景色を北から拾っていきます。

【仙山線『第2仙山号』】・・・八ツ森臨時停車場 1961.02.05
八ツ森臨時停車場は仙台からのスキー客用に冬季営業だった様で、上越国境の岩原スキー場前臨時停車場を思い出しました、交流電化実験線になった仙山線で見慣れない車両です。


調査に少々手間取りましたが、元は伊那電気鉄道の車両、戦時買収で飯田線国鉄籍になり、交直両用試験車491系として仙山線へ、試験車運用終了後に営業車に改修され臨時列車などで運用された数奇な運命の車両でした。 第2仙山号はスキー臨時列車だった様です。

【準急『あさひ』】・・・1961.02.04 米坂線羽前沼沢付近
準急『あさひ』は仙台-山形-新潟間を結んでいた準急で、秋田/酒田と仙台を結ぶ準急『たざわ』『もがみ』と複雑な分割・併合運転をしてた列車です。 キハ55系2両+キハ20の3連で運転されてたと解りました。

【雪の東京】・・・四谷駅 1954
降雪の都内の風景です。 旧型国電が走ってるのは現在の総武緩行線秋葉原方面です。

【飯山線217レ】・・・1961.03.11 内ヶ巻駅付近
C56牽引の飯山線列車です。 内ヶ巻は終着越後川口の隣駅です。

【東海道本線近江長岡駅ヨーギョーセメント引込線】・・・1960.01.28
滋賀県北部や関ケ原は積雪地帯で、牽引電機ED50がスノーブロワを付けてる事でも明らかです。 開通直後の新幹線は関ケ原の積雪でダイヤを乱し雪に弱いと言われてました。


ではまた。

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