Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

静態保存蒸機ミステリーの謎解き 後編

廃車日から保存日まで飯田市の1ヶ月は異例ですが、諏訪市・駒ヶ根市3ヶ月、塩尻市7ヶ月、松本市1年弱と様々です、用地確保等受け入れ準備期間の差と思われます。 塩尻市の7ヶ月を平均と仮定して、県内静態保存蒸機の推移年表を作成してみました。

年末に全国無煙化が達成される1975年初時点の状況、赤字は廃車日不明で推定です。 機関区・国鉄工場があった長野市は3両、市民憩いの場、長野電鉄沿線須坂市臥龍公園を加えると実質4両静態保存しています。 地元無煙化に先行した諏訪市、須坂市(長野市)を除けば、無煙化同年~2年以内の静態保存が多く、1973-4年がピークでした。


6.包囲網がプレッシャーに【1975年】・・・岡谷市
1975年初時点で静態保存計画がない市は、中野市・上田市・岡谷市の3市でした。 長野電鉄沿線中野市は蒸機無縁、地元無煙化から12年経過し機関区もなかった上田市は冷淡だった様です。 一方岡谷市は2年前まで蒸機が走っていました、伊那谷3市を含め周辺市は全て静態保存、加えて県南部の県民性、プレッシャーを感じたと思われます。

岡谷市が静態保存にいつ動き出したか解りません、1975年初ではないかと思います。 同年3月に蒸機稼働は北海道だけになりましたが、運良く上諏訪機関区在籍歴がある地元ゆかりの349号機が追分機関区に生き残っており、仮押さえしたと推定されます。

349号機は1976.3.19追分でD51最終グループとして廃車され、12月諏訪湖畔に県内最後に静態保存されました。 諏訪市は湖上花火大会会場、遊覧船船着場脇公園内の一等地ですが、岡谷市は同じ湖畔でもジョギングロード脇の空地、観光客が訪れない場所です。

再取材で発見がありました、煙突が異形です。 今年1月15日記事に掲載した「誘導通風装置付煙突(輸入品)」装着機です。

《2017.1.15『半世紀前の鉄道P誌1966年12月号①』より転載》
 もしや岡谷市静態保存機の若い頃の姿?と確認しましたが1964年の357号機でした。

外装の痛みはありますがキャブ窓ガラス欠損はなく、タブレットキャッチャーもそのまま残っています。 諏訪盆地4両だけの屋根付き保存は先例諏訪市に倣った様です。

キャブに登る事はできませんが、キャブ内も良く原状を留めています。 蒸機に馴れ親しんだ街とそうでない街、この辺りに違いが出てくるのではないかと思います。

《岡谷市静態保存蒸機の説明看板・・・4/22記事より転載》
でもね市役所さん、これだけは何とかしないと、仕方ないから岡谷もやりましたと宣伝している様なものですよ。


7.最後に動いた自治体【1975年】・・・出遅れた辰野町
辰野町は塩嶺トンネル開通前は中央本線急行停車駅、上諏訪機関区C12が飯田線貨物入換作業をしていた蒸機馴染みの町です。 辰野が町でなく市だったら飯田市の翌年1973年には動いたと思いますが、岡谷市がやらないなら必要ないと考えたか、財政が苦しかったのか双方か、いずれにしろ町内機運が盛り上がらなかったのでしょう。


ところが岡谷市が静態保存すると事情が異なってきます。 新宿方4市町、長野方3市町(明科町含む)全てが静態保存する中で唯一取り残されてしまいます。 辰野町が動いたのは岡谷市計画発表後だと思われます、すでに地元ゆかりの蒸機は尽きていました。

辰野町静態保存蒸機はD51 59号機、1次型通称なめくじです。 保存場所は小高い丘の上にある荒神山スポーツ公園です、やはり屋根付きは諏訪盆地だけの様です。

柵に囲まれこんな看板が出ていました。 入って良い様に受け取れますが扉には南京錠、柵を乗り越えるのは止めておきました。

説明看板です、記載内容からライオンズクラブ(町民)主導で役場・議会を動かし、費用も負担した様子が窺えます。 履歴によると59号機は長く小樽築港機関区に在籍し追分機関区を経て1976.3.1岩見沢で廃車になっています。

岩見沢のサボも健在、タブレットキャッチャーも残り、窓ガラス欠損もありません。

キャブ内も現状を留めている様です。

保存状態は諏訪市と同程度の並レベルです。 ところで地元ゆかりの蒸機が尽きていても辰野町に他の選択肢もあったはずなのに何故1次型なのか、諏訪市静態保存824号機調査の際、上諏訪機関区1964年在籍D51に1次型は含まれていませんでした。 疑問を感じ「なめくじ」が諏訪盆地や辰野町に馴染みがあったのかどうか調べてみました。

配置表によると上諏訪機関区D51は1955年14両、1959年18両、1961年21両と輸送力増強に合わせ増備されています、1955-1961年の間1,22,29,40の4両の1次型(1964年転出済)が含まれ、何とD51 1号機が辰野町を含め諏訪盆地を走っていた事が解りました。
筆者註:D51 1号機は京都梅小路蒸気機関車館で静態保存中。


以上謎解きしてきた様に、1970-1975年無煙化達成最後の5年間に各自治体の思惑が交錯する中、伊那谷3市1町を含めた各自治体に静態保存蒸機がある現状が作り出された事が解りました。 同時に自治体により異なる保存時期・場所・状態の大きな隔たりへの疑問も氷解しました。[完]


《春本番》
どこぞで真夏日とか熱中症に注意とか聞こえてくる中、諏訪はようやく春本番です。

早く咲く白と黄色、少し遅い赤、童謡通り3色咲きそろうのは一週間ほどです、手前ではハナカイドウが蕾を膨らませ、隣家のしだれ桜が満開になりました。

アスパラがニョキニョキ伸び収穫しました。 ジャガイモは先週植えましたが、トマト・ナス・ピーマン・キュウリは畑準備だけで植付けは5月下旬、連休に植えると必ず遅霜でダメになります。 草取りに追われる季節になりました。


ではまた。

静態保存蒸機ミステリーの謎解き 中編

前回続きの本題前に、平成の大合併で耳慣れない名前の市が数多く誕生しました。 隣県山梨では北杜市・南アルプス市・笛吹市・中央市・甲斐市・甲州市・上野原市が誕生し、勝沼・石和・竜王・長坂・小淵沢の中央本線駅名になっていた町は消滅しました。 現在全国で一番村が多い都道府県をご存知でしょうか?、答えは長野県です。

段トツ1位です、58町村77市町村も北海道に続く第二位です。 県北部では東御市・千曲市・安曇野市が誕生し、由緒ある戸隠村・鬼無里村は長野市に併呑され消滅しました。 一方県南部の伊那谷・木曽谷・諏訪では合併が進みませんでした。 良く言えば独立心が強く、裏を返せば人の風下に立つのを嫌う気風があり、県民性が南北で異なるのです。


4.最初の波紋【1973年】・・・伊那市が動いた
飯田市の蒸気静態保存に反応した自治体があります、つい最近過大なふるさと納税返礼品で話題になった伊那市です。 県内で伊那谷は飯伊地方と呼び慣わされ、飯田がやるなら伊那もとなったのではないかと推定されます。 もちろん飯田線沿線の伊那市に蒸機走行歴はなく、故郷の歴史を記念する目的はありません。

かくして選ばれたのは1973/7/20中津川で廃車になったD51 209号機でした。 履歴調査によると長く稲沢第一機関区に在籍しており、廃車準備で中津川へ転籍なったと推定されます、蒸機末期は特定機関区に集めて廃車していた様です。 従って長野県ゆかりの蒸機ではありませんが、伊那市にとってそれはどうでも良かったと思われます。

通常静態保存蒸機の説明看板には「製造年」「履歴」「走行距離」「廃車年月」「果たした役割」「保存目的」「保存日」「主要諸元」等が記載されますが、その全てが欠落した珍しい看板です。 蒸気機関車ファンを代表する資格が伊那市にあるか疑問です。

野球場やテニスコートがあり桜名所でもある伊那公園の一角に保存されています。 柵で囲み近付く事も触れる事もできません、単なる展示品の扱いで、説明看板を含め伊那市の姿勢が透けて見えます。 保存開始時期を市役所へ問い合わせたところ、1974年と回答がありました。 飯田市の2年後、松本市静態保存と同年に、蒸機無縁の伊那谷にすでに2両存在していたとは実に驚きでした。

静態保存動機が飯田市への対抗心と仮定すると、蒸機取得で目的が達成されたので、以降の保守管理が良い訳がありません。 飯田市402号機ほどひどくありませんが、キャブ窓ガラスも欠損、かなり傷んだ下レベルで、市民に愛されていないのは同じ様です。 


5.広がる波紋【1974年】・・・駒ヶ根市にD51誘致会結成
飯田・伊那両市の波紋は伊那谷3男坊の扱いを受けてきた駒ヶ根市にも波及しました。 市役所に問い合わせて送付された当時の新聞記事によると、「D51駒ヶ根誘致会」が1974年夏に結成されています、我街にもD51を!という訳です。

駒ヶ根市が誘致に成功したのはD51 837号機、長く岡山機関区に在籍し新見機関区を経て1974.12.3長門で廃車になっています。 前記新聞記事にこの場所で行われたD51引き渡し式が掲載されており1975年3月末保存開始と解りました。 蒸機無縁の街駒ヶ根市が、はるか彼方から取り寄せる熱意と言うか執念には、そこまでやるかと感じます。

説明看板です、履歴を記載しているだけ好感を持てます。 首長会又はライオンズクラブ連合会の3市対抗心が背景にあったと推定します。 何故ならSL誘致ではなくD51誘致、C12やC56では肩を並べられないと駒ヶ根市が考えていた事が明白だからです。

保存場所は市内公園の一画、伊那市と異なり柵はなくキャブに登れます。 キャブ窓枠とガラスは欠損し、内部メーターや配管類は全て撤去され、ディテールが解らないほど腐食防止コーティングで厚く覆われ、哀れで写真を撮る気が起きませんでした。

《諏訪市静態保存824号機》
諏訪市824号機キャブ内と比較すると、外形は同じでも全く別物とさえ思えます。 静態保存されるなら中国山地の街で、現役時代を知る人達に囲まれてなら幸せだったろうに、31年の生涯を終え見ず知らずの信州の山中で40年以上を過ごしています。

保存状態は伊那市と同じ下レベル、キャブの様子や、欠損後部ナンバープレート(マニアが持ち去った?)の放置等、温かく見守られている印象はありませんでした。


全国無煙化達成8ヶ月前1975年4月までに、伊那谷3市、諏訪3市町、松本平2市に蒸機が静態保存されました。 飯田市が投じた小石の波紋は更に広がります。[続く]


ではまた。

静態保存蒸機ミステリーの謎解き 前編

工作・レイアウト建設最適時期になりましたが、またまた脱線です。 蒸口密度から静態保存蒸機過剰装飾、そして走行歴のない伊那谷3市D51静態保存の疑問へと興味が次々に発展しています、現地踏査と公開データによりかなりの事が解りました。 保存時期・車両履歴・保存場所と状態の事実を基に、筆者推測を交え長野県南部蒸気静態保存の経緯を謎解きしてみました。 読み物として楽しんでいただければ幸いです。


1.序章【1970年】・・・それは上諏訪から始まった

《諏訪市静態保存蒸機の説明看板・・・4/22記事より転載》
配置表と履歴でウラを取ると、D51 824号樹は説明通りに上諏訪機関区から長野機関区へ転籍し、DD51投入による篠ノ井線無煙化直後の1970/8/6に廃車されました。 中央東線電化直前の上諏訪機関区にはD51が22両も在籍しており、近い将来姿を消す馴染み深いD51を最初に静態保存したのが、機関区所在地諏訪市だったのは当然かもしれません。


2.煙が消える日【1973年】・・・自治体により大きな温度差

《茅野市静態保存蒸機の説明看板・・・4/22記事より転載》

《下諏訪町静態保存蒸機の説明看板・・・4/22記事より転載》
中央東線電化8年後の1973年まで諏訪から蒸機の煙は消えませんでした。 1972/3配置表によると、上諏訪機関区にC12 67(翌年廃車、茅野市静態保存)C12 171(翌年廃車、下諏訪町静態保存)とC56が4両在籍しています。 ちなみにこのC56は、3両がゆかりの大町市・佐久市・小淵沢町に静態保存、160号機は梅小路で動態保存されています。

《塩尻市静態保存蒸機の説明看板・・・4/24記事より転載》
諏訪から蒸機の煙が消える1973年には中央西線と篠ノ井線の電化が完成し、松本平からも蒸機が消えようとしていました。 茅野市・下諏訪町・塩尻市の3自治体は、地元ゆかりの蒸機を譲り受け、駅前・役場等の一等地に静態保存しました。 この時点で富士見町・岡谷市・辰野町に保存の動きは見られず、松本市は少々及び腰だった様です。

《松本市静態保存蒸機の説明看板・・・4/24記事より転載》
県庁所在地は長野だけれどと、何かと対抗意識が強い松本市は塩尻市に遅れること1年、松本機関区在籍歴のある10両以上のD51ではなく、上諏訪・長野両機関区に在籍し木曽福島で廃車されたD51 172を譲り受け、市中心部から遠く離れた工業団地内公園に静態保存しました、市当局の熱意の低さが表れています。 全国無煙化達成の1年前の事です。


3.小石の波紋【1972年】・・・飯田市で起きたある動き

諏訪・松本平の蒸機静態保存ブームの1年前、県南飯田市で小さな動きがありました。 市ライオンズクラブ創立10周年記念事業として何か形に残る物をと候補探し、折りしも世はSLブーム、3年後開通予定の中央道恵那山トンネルで時間距離が大幅に縮まる岐阜県中津川市には機関区があり、両市商工会議所関係強化の狙いを含めて静態保存蒸機寄贈になったと推定されます。 1972/3/27廃車で4月に保存、実に素早い動きです。

寄贈を受けた飯田市は市役所から300mほど離れた道路脇、動物園と消防屯所に挟まれた15x30mの敷地に保存、当初はライオンズクラブメンバーが清掃等行ったのでしょうが、45年間でいつしか途絶え現在は野晒し放置、荒廃と言っても過言でない状態です。

この402号機は長く中津川機関区に在籍したので、木曽福島・松本近辺まで走行した県内ゆかりとも言える蒸機です。 しかし民間電気鉄道4社戦時買収で成立した飯田線に蒸機は無縁です。 寄贈したライオンズクラブは、記念品が偶然蒸機になっただけで思い入れがある訳でなく、市と市民にとっては余所者、保存熱意が低い事は責められません。

一連の取材した静態保存蒸機の中で最低の状態です、デフは錆で浮いてボコボコ、こんな姿を人目に晒されるのは可哀そうと感じました。

現在は隣接する消防屯所の看板掲示台として活用されています。 市民に愛されない静態保存蒸機の末路は哀れです、なまじ行った装飾が逆に無残さを強調しています。


飯田市内では忘れ去られた様な402号機静態保存が、寄贈者ライオンズクラブも、寄贈を受けた飯田市も全く予想しなかった大きな波紋を生む結果になりました。[続く]


ではまた。