Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

第8回鉄道写真コンクール入選作・他

前回紹介した鉄道写真コンクール入賞作品の続きです。

別号には佳作作品が掲載されており、特選/推選/入選/佳作までが入賞になる様です。 その他掲載された選外写真と個人的に気になる写真を合わせて紹介し1回分とします。


★入選『残雪』1963.03.17

前回最後が芸備線備後落合駅でしたが、またも備後落合付近の撮影作品が入選してます。 国鉄が手小荷物扱いをしてた当時、客車列車は短い編成でもハニまたはハユニを含むのが当り前でした。 単行DCの閑散線区では、手小荷物を客室内に積んでました。


★入選『機関車の夕食』1963.04.29

給炭台の作業風景、浜田機関区での撮影です。 推選の水戸機関区もそうでしたが、浜田駅構内も煙が立ち込め見通しが悪くなってます。 現在なら周辺住民から粉塵公害訴訟、元従業員遺族から労災認定の騒ぎになる処です。 給炭台前駐機蒸機は煙突形状と2つドームから8620またはC50かと思われます。 作業に加わってない左端の人は誰なのでしょう。


★入選『ある構内』1959.02.28

入換作業風景ですが、牽かれてるのは暖房車マヌ34に見え、罐を焚いてる様で煙を吐いてます。 撮影場所は米原機関区で???となりました。

【ウィキペディアより】
疑問を解消する為に調べると、米原-田村間が交直接続区間だった時代に、北陸本線優等列車停車時間節約の目的で暖房車が使われてたと解りました。 と言う事は大阪方牽引直流電機は多分EF58で蒸気暖房装置持ってたので、新鋭交流電機はなかった事になります。

【ウィキペディアより】
ついでに補足説明、路線通過貨車を除き、路線内で貨車入換作業する混合列車は、貨車に蒸気伝送菅がないので暖房車併結または客車にストーブを設置して暖房してました。 当時を知るのは高齢者のみ、若い世代は見た事もない話なので、あえて書き記しました。


★入選『北の径』1963.01.12

信越本線柿崎付近の撮影で、現在も雪景色撮影スポットとして人気がある様です。 左奥に日本海が見えてるハズですが、水平線が雪雲と一体化し、それと解りません。


★入選『眠る操車場』1963.06

操車場って田端?吹田?と思いきや何と新宿です。 構内灯が横に並んでる辺りが現在のバスタ、代々木方からの眺めです。 当時の新宿駅は埼京線も湘南新宿ラインも成田エクスプレスもなく、一番西側小田急寄り総武緩行下り線、現在の15番線が10番線でした。


中央本線1-4番線東側に山手貨物線と側線が7-8本あり、ホームから外れた代々木方はヤードになってました。 中央本線発着貨物と、鶴見/田端南北を結ぶ山手貨物線交点新宿で貨物入換作業が行われてた証です。 以下3作品は資料的価値込みの入選だと感じます。


★入選『碓氷新線開通』1963.07.15

横川方丸山信号所-熊ノ平駅間の撮影です。 手前が歯軌条の旧線、80系準急電車が走るのが新線です。 スナップにしか見えず、注目度が高い題材による入選でしょうか。


★入選『いこい』1963.05.17

明石電車区での撮影で被写体はクハ68です。 クハ68は鉄道省時代に51系電車の1員として製造された形式で、初の20m3扉セミクロスシートで、111/113/115系のご先祖に当ります。 新型車に追われ、大都市圏から姿を消す惜別が込められてるのかもしれません。


★入選『駅前電車』1963.04.27

大阪市内では地下鉄工事が進行中で、その影響により市電一部区間が廃止される事になりました。 大阪駅前から間もなく消える市電です。


★佳作『雪のスイッチバック』1963.03.10

箱根登山鉄道大平台駅の撮影です。 湿雪が降る箱根なので全員傘を差してるのが如何にもらしいです。 北海道や信州のパウダースノーが降る地域地元民は傘を使いません。


★佳作『スキー場の駅』1963.01.14

木次線三井野原駅の撮影です。 中国地方のスキー場と言うと大山が有名でしたが、木次線沿線にもあったとは知りませんでした。 当時のスキー板は現在より長く、高校スキー教室でレンタルしたのは210cmでした。 小さなレールバスにどう持ち込んたのでしょう。


★無審査『列車模様』1963.07.25

『無審査』と撮影日から類推すると、応募作だが〆切日に届かなかった作品と思われます。 紙焼きして郵便で送るしかなかった時代です。 速達で間に合い、筆者が選者なら入選にしたかもしれません。


山陰本線丹波口駅の撮影です、本線ポイントのS字を身をくねらせて通過する列車を屋根で表現してます。 駅構内水平でも、本線ポイントから上り勾配を示す標識や、前方踏切の遮断器を潜って列車撮影する撮り鉄さんの姿が写り込んでおり、好ましい作品です。


★選外『雪のホーム』1963.01.01

選外で掲載された数作品で気に入った1枚、上越線越後川口駅での撮影です。 一瞬165系急行『佐渡』と思いましたが、『佐渡』が電車化されたのは半年後です。 良く見ると80系電車で、年末年始運転の臨時準急かと思われます。 正月帰省先撮影かもしれません。


★応募作外『第2アルプス』1962.11.10

塩嶺トンネル開通前、中央本線が大八回りルートで運転されてた頃です。 塩尻から辰野への峠越えシーンで、この先にスイッチバックの東塩尻駅がありました。 2エンジン化されたキロ58 2両を含む8連です。 小淵沢で『八ヶ岳』、大月で『河口湖』を併結し、12連で新宿に到着します。 中央本線電化前、特急『あずさ』登場前の昔の話です。


★応募作外『名残の青山線』1963.09.15

都電10系統通称青山線は渋谷から青山通りを直進して突き当り半蔵門を左折、再び突き当たる写真九段上で右折して新宿方面からの路線に合流、神保町を直進し神田須田町へ至る路線でした。 写真の鳥居は靖国神社、1959-1961年の3年間、毎日曜日に小川町の進学教室に通い、10月1日都民の日に無料解放される万ぜ橋交通博物館へもこの都電利用でした。


ではまた。

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