Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

60年前の鉄道P誌 1964年1月号

鉄道P誌1964年1月号掲載記事は1963年の出来事でしたので、テーマ別で紹介済みです。 今回はこの号単独掲載記事の落穂拾いです。

【鉄道P誌1964年1月号表紙】
表紙は国内初の屋根上運転台、先頭車前面客席を実現した名鉄パノラマカーです。 アイディアは小田急が先行した様ですが、先にやったが勝ちの世界で、NSEに先行しました。


1.変わった鉄道車両

変わった鉄道車両の古い画像が1ページに掲載されてます。 本文記事参照とありますが、目次になく、隅まで確認しても本文記事なし、調べて書くしかありませんでした。

最初は変わり方の少ない馬車鉄道からです。 蒸気機関/内燃機関/モーターが動力になる前の一番妥当な選択です。 津屋崎軌道は1909年(明治42年)に開業した福岡県福間-津屋崎間3.9kmの馬車鉄道で、914mmの特殊な軌間を採用してました。 1939年廃止です。

この鉄道は1899年に開業した野州人車鉄道が前身で、その後大谷石の首都圏搬出を主目的にする宇都宮石材軌道に再編されました。 馬車の延長に馬車鉄道、籠の延長に人車鉄道があった訳です。 軌間610mmレール上を石材積んだトロッコを数キロ押す重労働です。


1923年関東大震災後の復興需要で賑わい、1928年のガソリンカー導入で動力近代化(?)が図られ人車鉄道は消えた様です。 最後は東武大谷線として鉄道の幕を閉じてます。

帝釈人車鉄道は1899年(明治32年)金町-柴又間に開業し、柴又帝釈天参拝客輸送に当ってました。 後に京成電鉄金町線として改軌され、現在に生き残る珍しい例です。

無火機関車とは工場や炭鉱など引火性物質を扱ったり粉塵爆発リスクのある場所で使われた工場構内機関車で、清潔性を重視する食品工場で使われる事もありました。 動力源は圧搾蒸気または圧搾空気です。


八幡製鉄所構内鉄道の資料が見つからず、蒸気式なのかエアー式なのか解りませんが、0-4-0軸配置で機関車らしい外観を保ってます。

一方北海道夕張炭鉱で使われてた無火機関車は『圧縮空気』と明記してあり、八幡製鉄構内鉄道は圧搾蒸気式だったのかもしれません。 エアタンクに動輪付けた特異なスタイルで、後部に小さなキャブがあります。

【過去記事より転載】・・・圧搾空気大放出
圧搾空気式機関車は真岡キューロク館で見ました。 真岡鉄道C11/C12は動態保存で石炭燃やして走りますが、観光客アトラクション用9600は圧搾空気式に改造されてました。 走行音は本物らしく聞こえますが、煙が全く出ない不思議な光景で、アトラクションクライマックスは圧搾空気大放出、見映えすれば何でもありの興醒め演出でした。

魚梁瀬森林鉄道は1911年(明治44年)に開通した高知県東部の23.4kmの木材搬出を主目的にした森林鉄道です。 山から里の搬出時は無動力下り勾配をブレーキ使いながら下る『乗り下げ』で、里から山への台車運搬に犬または牛が使われてました。 犬車鉄道と聞いて犬橇の様に、犬が人や物を乗せた車を牽いたのかと思いましたが違いました。


2.雪に挑む
上記タイトルで雪景色画像が掲載されてます。 第8回鉄道写真コンクール入選作品は紹介済みなので除外してます。

東海道本線の冬の難所関ケ原の『こだま』号です。 背後の雪雲に山頂を隠されてるのは伊吹山と思われます。

雪に挑むのタイトルにふさわしいか疑問が残りますが、D52の牽く旅客列車の珍しい写真です。 旧東海道本線だった電化前御殿場線ならではの光景で、松田付近の撮影です。

タイトルにピタリの1枚、札幌市内機関区のあった苗穂駅構内除雪作業中のジョルダンを捉えた画像です。

同じ苗穂機関区の片隅には休車中のC11 2両が野外留置線に放置されてました。 稼働予定がないので車体の雪も線路上の雪もそのままです。

【1964年1月号裏表紙】
この号の裏表紙は近鉄の広告です。 当時の近鉄特急にはエアラインCAの様な制服を着た顧客サービス係が乗務してたのでしょうか。 現代でも通用する美人モデルですね。


ではまた。

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