Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

365連休爺がGWに東京へ行った話

都会の皆さんが新緑だ避暑だ紅葉狩りだと押し寄せて来る観光地に住んでるので、定年退職後のGWは何処にも出掛けず家庭菜園の畑仕事が定番でした。 基本365連休なので、混雑するGWを選ぶ理由がないからです。 なのに連休初日4月27日に東京へ出掛けました。


★『準急あずさ!?』で新宿へ
通常は高速バスですが、逆方向とは言え渋滞で時間が読めない、とするとJR、コロナ前以来なので4年振りの中央本線旅も悪くないと考えました。

指定券購入は10日ほど前、遅過ぎたかと思いましたがアッサリ取れ、支払いに北海道帰路の為に最近入会した『大人の休日倶楽部カード』出してビックリ、連休期間は30%割引なしとの事、65歳以上は混まない時に旅するなら安くしてあげるという制度の様です。


茅野駅みどりの窓口は昨年閉鎖され対話型発券機で12人10分待ちの末です。 今更高速バスは取れないしと、高額交通手段選択になりました。

前回4年前は、高速バスとの競争で新宿-松本2時間半切り最速『あずさ』実現の為に上諏訪通過(現在は停車)が決まり、中央本線開業以来初の上諏訪通過定期列車と話題になり、10時台のその列車に乗りました。 停車駅は松本-茅野-甲府-八王子-新宿でした。 


今回は少し早く出て早く帰ろうと1本前の9:40発を選択、駅に到着しホームに降りると9:29発高尾行普通列車が発車する処でした。

353系前は351系『スーパーあずさ』と257系『あずさ』で所要時間が違うので351系利用でしたが、現在は353系に統一して全て振り子式になり『スーパー』が消えました。 JR車両に興味はありませんが、351系デザインの流れを汲む良い顔だと思います。

乗車後アナウンスで『次の停車駅は富士見』、更に甲府まで小淵沢、韮崎停車との事、10分毎停車の準急並み『あずさ』を選んだ様です。 日に16本の『あずさ』には3タイプあり、塩尻、岡谷、小淵沢通過の最速タイプと普通タイプ、そして下諏訪、富士見、韮崎停車の257系『あずさ』後釜の鈍足タイプです。 3駅目富士見で11分前発高尾行追越です。

富士見駅は上下兼用待避線を持つ3線駅ですが、その外側に貨物扱いをしてた頃の名残りか側線が残ってます。 その脇に保線小屋と思われる古風な詰所が残ってました。

旧線は立場川上流へ迂回しこの鉄橋を渡ってました、『風立ちぬ』舞台サナトリウムは左手丘上の富士見高原病院です。 現役時代年に20回前後車中から眺めた風景です。

富士見から2駅小淵沢に停車、接続する小海線2両編成DCが待ってました。 昨年購入した新カメラは中国四国旅行以来使ってなく、北海道遠征に備えた操作法確認も今回の旅の目的です。 小淵沢発車直後、甲斐駒ヶ岳が雲の上に姿を現しました。

長坂を過ぎ日野春付近からの甲斐駒ヶ岳、国内三大急登の一つ黒戸尾根の険しさが良く解るアングルになりました。

甲府盆地西の外れの韮崎停車、25‰勾配上のホームです。 大きな旅行鞄持った乗客がドヤドヤ乗り込んできます。 この列車は新宿止まりでなく東京行、東京駅高架1/2番線終着し新宿回送です。 東京駅から新幹線国内旅行するには便利な列車と納得でした。

甲府駅で緊急停止ボタンが押された安全点検で8分遅延、車内アナウンスで石和温泉、山梨市、塩山、大月停車と聞いて、こりゃ益々準急だわい、4年前3駅目だった新宿が何と11駅目です。 この『あずさ』は甲府行『かいじ』の松本延長運転タイプだった様です。


甲府から2駅石和温泉停車、更に2駅山梨市停車中です。 曲線区間3線駅でカントで車体が傾いてます。 電子式振り子なので停車中は非作動と思いますが、かなりの傾斜です。

更に2駅の塩山停車、49年前付き合い始めた嫁さんとの初山行が大菩薩峠/嶺でした。 新宿から夜行鈍行で3時前塩山着、旧客ではなく115系に変わってた時代です。

笹子トンネルを越えた初狩にはスイッチバック遺構が鉱業貨物引込線として残ってます。 本線クロスがフログでなくトング切替で通過性能向上してるのが解ります。

で、大月停車、中央特快が大月まで乗入れ完全に通勤圏内になってます。 この後八王子、立川停車で新宿へ、休日西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺快速通過で多少改善しましたが、荻窪-中野間のノロノロ運転は変わりません。 立川、国分寺、三鷹で先行する中央線電車を追い越しますが、荻窪に待避施設がないので前が詰まってしまうのです。


東京終着なので新宿駅7番線に6分遅れの11:59着、隣の特急発着9/10番線ホームへ移動しました、ここに愛煙家のオアシス喫煙室があるからです。 20年ほど前に路上禁煙、コンビニ前灰皿が次々撤去、分煙喫茶店も電子タバコ限定と愛煙家は虐げられてます。


★風太郎さんの写真展
上京目的は見逃せない風太郎さんの写真展でした。 同名の2016年写真展を見て、昨年刊行された同名写真集も購入してます。

【写真展案内葉書】
会期はGW挟み19日間、昨年開催告知があり平日訪問を考えてましたが、直前に4月27日の作品解説イベント開催を知り、どうしてもそれを聞きたくなりました。 旅の時代は10年の時間差があるのに、拙レイアウトに共通する昭和の香の正体、惹かれる理由は多分コレだと解っていても、更にご本人の口から聴いて再確認したい、そんな気持ちです。

開催場所はオリンパスギャラリーから名称変更した4年前ミャンマー遠征写真展と同じ場所、写真集掲載写真が大半占める事は伺ってましたが、12時半前に到着し14時からのイベント前に鑑賞しました。

【展示パネル】
風太郎さんはハイアマチュア鉄道写真家ですが、鉄道車両写真家ではありません。 ご本人は以前蒸機に間に合わなかった事を残念がってましたが、それが人と鉄道の関係性、住民の生活に密着した鉄道風景に目を向けるキッカケになりました。 筆者1970年代初頭の旅も駅には人が溢れ、列車は長く乗客は多く、駅や車内に人々の生活の匂いが充満してました。

【展示作品より】
『駅に人在りて』を象徴する作品です。 1966-1986年の20年間は自動車交通急速発展時代で、同時に国鉄凋落の20年でもありました。 末期には貨物扱いが次々廃止され、赤字ローカル線の廃止が始まりました。

【左上から時計回りに日中線、天北線、歌志内線】
風太郎さんと筆者の10年の時間差は前記国鉄凋落20年の前期か後期かの違いであって、人と鉄道の関係性は変化しつつも本質的に大きな違いはなかったからこそ、共感し惹かれるのだと改めて確認できました。 廃線直前の姿を捉えた作品が数多くあります。

蒸機全廃は鉄道ファンには大事件だったのは事実ですが、動力手段の変更に過ぎず、そこで暮らす人々には歓迎され、前後で鉄道との関係性に大きな変化はなかったハズです。


人と鉄道の関係性は、バブル景気で日本人の価値観が変化、つまり人が変わり、国鉄分割民営化で累積債務を背負ってJRがスタート、つまり鉄道が変わり、双方同時変化でそれまでの物が失われました。 『旅のたまゆら1981-1988』最終年が何故1988年なのか、JR発足翌年のバブル絶頂期に一旦カメラを置いた風太郎さんの気持ちが良く解る気がします。

風太郎さんブログの魅力は写真とショートコメントのコラボだと心得てます。 蒲原鉄道と五能線は繰り返し訪問されており、五能線では轟木(とどろき)周辺が非常に多いので以前特別な思い入れがあるのかと伺った処、『好きなんです』の答えでした。 写真集非掲載の轟木の浜、岬根元の小さな漁村に風太郎さんは恋された様です。

14時からの作品解説は始めて聞く話もあり、大変興味深い物でした。 また写真に込めた想いや筆者と相通じる時代観の話もあり、この日に来て良かったと思いました。

イベント最後に写真展のもう一つの意図、2台のOM-1の話がありました。 2台とは風太郎さんの40年前撮影使用機と最新モデルです。

写真素人なので解りませんが、アナログの塊と言える銀塩フィルムネガを最新デジタル技術で処理する事により、銀塩フィルムネガに隠れてた情報を発掘する作業だった様です。

一通り見て風太郎ワールドに浸りながら、自分の”鉄”について振り返りました。 時刻表鉄で旅を夢見、模型鉄の洗礼受けてから旅へ、『記録を残す事は忘れない事』と風太郎さんは書いてますが、記憶に残す事重視の若い頃でした。 金がないから撮り鉄は無理、乗り鉄でもなかった、敢えて言うなら知らない土地を見たい一心の旅鉄だったのだと思います。


その旅鉄と模型鉄延長線上の叶わなかったレイアウト鉄が40年後に化学反応を起こし、旅の途上で見た記憶に残る風景や、あの時代の空気感の様な物を1/150世界に再現しようとしてるのだと思い至りました。 良い物を見た満足感に心も軽く会場を後にしました。


★復路は『特急あずさ』
わずか4時間の新宿滞在でトンボ帰りです。

時間で選んだだけですが復路は最速タイプ『あずさ』、新宿-立川-八王子-甲府-茅野-上諏訪-松本で、往路11駅目が4駅目です。 それにしても立川の発展振りには驚かされます、かつては特急どころか急行さえ通過する、ゴチャゴチャした汚い基地の街でした。

嫁さんが迎えに来てくれるのでビールを買い、小腹も空いたのでつまみ兼用駅弁深川めしを調達、久し振りの汽車旅の雰囲気を味わいました。


ではまた。

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